中国における「イスラム教徒の戦い」を語る上では、まず下のサイトを参照する必要があります。
これは日本版「Wikipedia」と言えるサイトで、「ウイグル問題」についてとても良く纏められています。
私はウイグルに3回行ったコトがあり、カシュガル行きの長距離火車内で独立派の青年から熱心なオルグ(政治勧誘)を受けたコトもあります。
彼の名はユスフと言い、「イスラム教徒の戦い」を英語で熱く語ってくれましたが、当時の私はまだ二十二歳で政治的な争いには全く関心が有りませんでした。
それでも彼は私をカシュガルのモスクに誘ってくれ、私はそこで初めてイスラム教徒の「祈り」を知れました。
祈りはその宗教の理想を表すモノで、「神の元の平等」がイスラム教徒の祈りだと感じました。 それは「人が人を支配する」中国社会とは相容れず、反発し合うのは宿命的に思えます。
ユスフとはモスクで再会できませんでしたが、その代わりに物語で彼を登場させるコトとします。
彼は戦いに赴く前にターシャのインタビューを受け、それに流暢な英語で答えます。 二人の対話はネット上で大きな反響を呼び、「イスラム教徒の戦い」への支持を集める仕事をユスフは最期に果たします。
この「戦い」はル-グィンの有名なSF小説「闇の左手」のテーマでもあり、惑星「冬」でも「神権主義 vs 国家主義」の戦いが繰り広げられています。
共産党は全ての国土は国のモノだと主張し、イスラム教徒は全ては神のモノだと主張するので、双方に妥協点はあり得ません。
ユスフ等の熱烈なイスラム教徒にとって、「神の教え」を冒涜するような輩は殺しても罪ではありませんが、イスラム教にも「殺すなかれ」という教義はあり、それは異教徒にも適用されると考える人々も多く居ります。
しかし、近未来では「人口過剰」と「温暖化」に脅かされながら「三極対立」は深刻化するばかりで、「殺すなかれ」という神の教えは冒涜され続けます。
因みに「三極」は「神、国、個人」とも捉えられ、この3つの有り方は近未来では変わって来ると思われます。
話をユスフに戻しますと、彼は「渓谷の戦い」で容赦なく異教徒を射ち倒しますが、数十倍の反撃を浴びて絶命します。
それでも彼は満足で、最期に戦って死ねたコトで、殉教者として神の国へ行けると確信していました。