特に琉球は「歌国」と言える程で、これは大陸との交易で発展したからでしょう。
一番有名な沖縄のフォークソングと言えば「安里屋ユンタ」で、私はこれを細野晴臣の「はらいそ」で知りました。
彼はアメリカでもハリー・ホソノとして人気を博しており、アダ名はトロピカル-ダンディーでディープな「南国の歌」を多く歌っております。
沖縄ネイティブのディープなバンドと言えばネーネーズで、「平和の琉歌」が有名です。
三人の声が見事にマッチした歌は素晴らしく、琉球ソングばかりでなく洋楽のカバーも上手で、アメリカ-ロックと琉球音楽を融合させたプログレッシブなバンドです。
融合と言えば、アフリカとインドとフランスの音楽を合わせたザップママも素晴らしく、代表作は「サブシルマ」です。 この3つの音楽大国から選りすぐりの女性5人がバンドを組んでおり、とてもレベルの高い「南国の歌」を聴かせてくれます。
「歌国」と言えばジャマイカも外せず、当然ボブ・マーリーが挙げられます。 一番有名な歌としては「ノーウーマンノークライ」が挙げられ、これは「女性よ泣かないで」と「泣かない女性は居ない」の両方の意味に取れます。 こうした上手い歌詞が作れるのはジャマイカが英語ネイティブの国だからで、歌で英語を勉強するならマーリーはお勧めです。
なぜ思いっきり「南国訛り」の英語がお勧めかと言うと、それがユッタリしていて日本人にも発音しやすいからです。
この「サウザン・アクセンツ」を歌のタイトルにしたのはてっきりジョニー・キャッシュかと思っていましたが、最近トム・ペティの追悼アルバムを聞いて彼の作だと知りました。
若僧の彼が歌っても全くヒットしませんでしたが、南部訛りで金髪ロン毛の彼は宿命的にアウトサイダー(はみ出し者)となり、そうしたキビしい人生から優しい歌が多く生まれました。
アメリカにはサウザン・ロックというジャンルもあり、その代表格は「Sly & Family Stone」です。
アメリカ南部では1963年まで黒人と白人の結婚が違法でしたが、そうした土地柄で黒人の Sly と白人の妻がコラボしたバンドは特別な価値を持ちました。
古いバンドで日本ではマイナーなのでベスト盤しか聴けていませんが、「Stone」をバンド名に付けたアーティストの中でも一番「ストーン」してるとの定評があります。
最後に南国から北国に移住したジョーン・バエズの「Seven Bridges Road」で締めさせて貰います。
この歌は以前に「Synの物語」で、主人公慎語のインドでの「最期の旅」を描いた折に、「七つの架け橋」と題してフィーチャーしました。 そこでは北国の人間が南国の人々に貢献できる道を七つ考案しましたが、バエズの歌もその道を謳っています。
私もいつかその仕事がしたいと思っていて、人生最期の旅はやはりインドしかないと思っております。