霊鷲山(りょうじゅせん)で修行したのはもう3日前になりますが、忘れられない思い出になったので書かせて貰います。
ラージギルは古代マガタ王国の都で王舎城とも書かれ、山々に囲まれそこには多くのお寺が建ち、その中でも霊鷲山の日本山妙法寺は最大の寺院です。
ここは昔はリフトだったのがロープウェイに進化するくらい多くの観光客を集めており、大きな仏舎利塔も建っています。
こんな山のてっぺんによくも巨大な仏舎利塔を立てたモノだと感心しますが、これは1965年に当時の首相ネルーの肝入で建てられました。
ここでガンディーの政党「国民会議派」と日本山の関係を少し述べますと、満州で日本山を興した藤井日達は「インドへ仏教を帰す」コトを主眼とし、ガンディーの平和行進に太鼓を打って参加しました。
これによって日本山はガンディーと国民会議派から厚い信頼を得て、後に十箇所ものお寺がインドに建つコトとなります。
霊鷲山はその総本山的なお寺で、ここはブッタが総本山にしたコトでも有名です。
5kmほど離れた町外れにも日本山の道場が在り、そこは曾て竹林精舎と呼ばれた修行場で今でも宗教観光で賑わっています。
わたしはここに一泊させて貰いましたが、日本人の上人(老僧)はカルカッタでの法要に参加していてインド人スタッフしか居なかったタメ、またも長居は出来ませんでした。
それでも出来る限りの修行はし、朝の1時間勤行から外の平和行進に2時間以上も出て唱題できました。
その後、わたしの知り合いで日本山に出家した鴨下上人がここで達成した「千日回峰行」に挑みました。
これは千日間も山々を太鼓を叩き歩く修行で、唱題の声量を高めるにはうってつけの苦行です。
今時そんな苦行をする人は滅多に居ないので、山の道は雑木に覆われて見失ないがちで、わたしは何度も道なき道を踏破するハメに陥りました。
これは想像以上に困難で、暑い乾燥地帯の雑木には棘が多く、それが服や肌に刺さると外すのに一苦労しました。
この苦しい回峰行に比べれば、観光客が引っ切り無しに参拝する立派なお堂で唱題するコトなど楽なモノでした。
これはオリッサ道場で行った修行と同じですが、お堂の規模とインド人スタッフのレベルは幾分か高かったです。
しかしそれでも、インド人だけでは本物の唱題行には成っておらず、全体的にインド人の宗教レベルは低下しているように見受けられました。
これは物質的な発展に伴う世界共通のコトと見受けられますが、これまで清貧に甘んじて来たインドは俄に富を得て、人々の精神は変化によって動揺している様に見受けられます。
社会評論はほどほどにして自分の体験を語りますと、霊鷲山の参道には昔のブッタガヤを彷彿とさせる程にお土産屋と物乞いが集まっており、物乞いの人々はそのまま山で寝泊まりしている様に見受けられます。
その参道を平和行進した時には多くの物乞いの子供たちが付いて来て、彼等はブッタガヤの偽子供僧よりも真剣に唱題行を学んでくれました。
それは物乞いに役立てるタメでしょうが、いつか彼等がてっぺんのお寺で立派に唱題行するコトを祈れました。