その為に防衛費増加なんかをしなければならず、南北朝鮮が元通り一つに成る気配は観られません。
台湾と中国も一つに成れず、人々の心の「壁」は不自然な国境線に具現化されています。
この「壁」を打ち砕くのが芸術の究極的な目標かと思い、それには「右か左か」なんて話を超越した「詩」が必要な気がします。
因みに日本にとって、右はアメリカで左は中国と捉えるコトが出来ますが、そのどちらとも仲良くする姿勢が大人には求められます。
また因みに、私は藤原左為(ヒカルの碁)のファンである位に囲碁は知っており、麻雀も店を開こうと考えてる位の「雀バカ」なので、こうした優れた遊びを生んだ中国には特別な親しみを感じます。
その中国は未だに「革命の総括」が出来ておらず、人心は荒んでいて軍国主義に走っていますが、いつの日か右も左も関係なくなり、まっすぐ革命の歴史と向き合える様に成ると信じています。
一方アメリカもまだ「右と左」に揺れており、「子供たちがみんなで仲良く生きられる社会」は作れていません。
その点で日本はアメリカよりも先を行っていると思い、どちらがより「大人の国」かと問うならば、私は日本だと思います。
しかしこれには、アメリカが「人種の坩堝(るつぼ)」であるコトも考慮しなければならず、日本よりも「仲良い社会」を作るのが格段に難しいのは否めません。
その「人種の壁」を超える為にアートが発達し、歌も映画も文学もアメリカが世界のトップを走っています。
最近は漫画もスマホで世界的に広まって来ているので、日本も「壁」を打ち砕く芸術活動でこれから世界に貢献できそうです。
さて、そろそろ話を一万年前のシャンシュン王国に戻そうかと思いますが、こうしたタイムスリップも一種の「詩」であり、「右も左も関係ない」世界を描いて行こうと思います。