「炭素」をウィキペディアで調べますと、あらゆる分野に派生単語が及んでおり、それらを全て読むには1日はかかりそうです... 科学は「壮麗な智の城」と言った観を呈して来ております。
この中で特に読んで欲しいのは、「分布」の項目の中の「生物」の項です。
ここでは実に重大なコトがサラリと記されてますが、ここには明らかに「妙なる法」が働いているので、それを解説したいと思います。
それには元素の「周期」から語り始める必要があるのですが、出来るだけ「文学的」な表現でこの「炭素の奇跡」を語ってみます。
全ての元素は電子の「手」を持ってます。 「手」は二本と十本で安定し、これを「周期」と呼びます。 理系のタームを用いるなら「最外殻電子の飽和」で、元素はこの「安定」を求めて化学反応を起こします。
「炭素」が特別なのは二本と十本のちょうど間の六本の「手」を持っているからで、四本の「手」を差し出しても、受け取っても「安定」します。
これはつまり「手」を欲している元素と、「手」を貸してあげたい元素の全てと繋がれると云う事で、「炭素」は全ての有機化合物の「要」と成り、それは生体高分子へと進化して行きました。
炭素と生命の神秘についての本では「交響曲第6番 炭素物語」がとても優れており、炭素は全ての生命を繋げる永遠のカギだとしています。
この物語の山場は「生命誕生」で、これについては前に熱水鉱床がその主な舞台だったと語りましたが、「炭素物語」ではその舞台を更に鉱物表面に収斂させています。
鉱物と生物の「共進化」については次回に譲り、今回は生体高分子の収斂について語りますが、序曲としてその生命誕生の舞台をお見せして置きます。 円石藻 - Wikipedia
生体高分子に話を戻しますと、アミノ酸とタンパク質がその主役で、生命は数千も有るアミノ酸の中からたった20種の、しかも「左利き」のモノだけを採用してタンパク質を造っています。
こうした選別は果てしない年月を掛けたトライ&エラーによって確立されたと思え、この収斂は全ての生物に引き継がれております。
糖質(炭水化物)は「右利き」に収斂され、脂質(炭化水素=油)は主にエネルギー源なのでそんなに拘りませんが、細胞膜の原料にも成るので変なトランス脂肪酸なんかが混ざると生命活動は阻害されます。
生命のファンダメンタリズム(基礎主義、純粋主義)はなかなかシビアだと言えます。
「炭素」の他に生体の「核」と成り得る元素は存在せず、その産業に於ける重要性も計り知れないモノがあります。(ナノテクノロジーの主役も炭素です)
石炭や二酸化炭素は途もすれば悪モノにされ勝ちですが、CO2が無ければ光合成は行えず、従って有機体(生命)は繁栄して行けません。
我々も生きているコトを感謝するならば、より「炭素」に感謝してその役割を深く理解すべきだと思います。(未知の部分は既知の部分よりも大きい!)