まずは前回ふれた「クリムゾン タイド」(紅の潮)からとし、これはアメリカの原子力潜水艦があわやロシアの核基地に向けて核ミサイルを発射しかけ、それを副艦長のデンゼル-ワシントンが踏み留まらせるストーリーです。
幸いウクライナに核は配備されておらず、こうした最悪のシナリオは避けられそうですが、ロシアは余り刺激し過ぎると「過去に経験したコトの無い惨劇」(プーチンの言葉)を引き起こす危険性があると認識すべきでしょう。
次にマシュー-マコノヒーに遡って、彼がまだ主役を張れずに悪役で登場していた「カジュアルティーズ」(犠牲者)を紹介します。
これはベトナム戦争を最大限のネガティビティーで描いた作品の1つで、マコノヒーは彼の指揮する小隊が捕虜にしたベトナム女性を虐待してしまいます。
それに反対し女性を庇った主役のマイケル-J-フォックスは、マコノヒーの命令で暗殺までされかかるので、相当な悪役で最終的には処罰されます。
しかしこれは誰かが演じなければならない汚れ役で、それを見事に果たしたコトでマコノヒーは脚光を浴びました。
続けてベトナム戦争から、「地獄の黙示録」を挙げます。
これはベトナム側に寝返った将校を暗殺する任務を与えられたベテラン兵士の物語で、戦争の一番暗い面を描き出しております。
その「血とドラッグと狂気」にまみれた世界は正に「地獄」であり、これは反戦映画の域を越えた宗教映画とも言えます。
次に同じく「特別な兵士」を探し出す物語として、トム-ハンクスの「プライベート ライアン」を紹介します。
これはテレビでもよく放送されているので解説は必要ないかと思いますが、5人兄弟の内4人が戦死して、残った1人は生きて帰さないと世間体が悪いと考えた政府が、その捜索をベテラン兵士のトム-ハンクスに託すストーリーです。
これは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が舞台で、その熾烈な戦闘シーンは映画史上に残るモノです。
兵士に「プライベート」という冠詞を付けるのはアメリカ民主主義の欺瞞に思えますが、ライアンは自らの意志で戦場に臨み続け、最後まで勇敢に戦い抜きます。
次にディカプリオ作品の戦争モノを挙げますが、これは「ブラッド ダイヤモンド」と「ボディー オブ ライズ」(嘘の体質)のどちらを挙げるか迷う所です。
ここではあえてマニアックな文芸作品を元にした後者を紹介し、これは今で言う所の「イスラム国」に潜入したCIA(中央情報局)捜査官の物語です。
日本にも昔は敵国に潜入して情報を流す「忍者」が居りましたが、現代の忍者は常に衛星から見守られ、命がけの任務を行う特別なヒーローです。
ディカプリオはそれを見事に演じ、敵国でロマンスの花も咲かせます。
ここで、敵に捕えられそこでロマンスの花を咲かす物語として、トム-クルーズの「ラストサムライ」に移ります。
これはネイティブ アメリカンの間で特に人気が高く、渡辺謙や真田広之は彼等にとって同種族のヒーローです。
「アバター」も同じくネイティブ アメリカンの戦史をモチーフとしており、白人の機械兵器が「悪の象徴」である点も共通しています。
ロシアは未だに機械兵器の主要産出国で、それは世界中で多くの命を奪い続けているので、まずはその「生産」を辞めさせる必要性があると思います。
次は明るいノリの反戦映画「ヘアー」を挙げます。 これも前に紹介したので簡単に済ませますが、徴兵拒否したヒッピー達の「ラブ&ピース」な物語です。
結局主人公は狩り出されてベトナムに行き死ぬのですが、その前に誰よりも力強く人生を謳歌しました。
9本目に、「戦車モノ」に特化したブラッド-ピットの「フューリー」(怒り)を挙げます。
ハッキリ言って戦車は既に時代遅れの兵器なのですが、ロシアはその小型高性能化を追求し、今回の侵攻でも多く導入されています。
ロシア兵達はその中に押し込まれて、極寒の荒野で何日も夜を越して来たと想像され、彼等がどんな気持ちでプーチンの命令に従っているのか、とても気になる所です。
最後にリチャード-ギアの「ハンティング パーティー」で締めます。
ギアはベテラン戦争記者の役を演じ、舞台は終戦直後のボスニアです。
ボスニア内戦は多くの禍根を残し、裁かれていない戦争犯罪者は依然のさばっておりました。
そうした極悪人の頭領を「ハンティング」するのがギア達パーティーの目的で、それは当然命がけの冒険となります。
これ程緊張感に溢れた作品は滅多になく、「ブラッド ダイヤモンド」をも凌ぐかと思います。
そこではギアの暖かい人間味が特に善く出ており、戦争の罪を暴くジャーナリスト達の「妙なる命」が輝いております。