このお陰で子ども達は偏見を無くせてイジメが減り、土と繋がる事で生きる事のリアルな自信を得られます。
そして生ゴミを汚いものと決め付けず、大切な生命物質としてキチンと循環利用する事は、命に対する優しさも育てられるかと思います。
さて、こうした活動を浦上の教会に付属する農園で行うのは主にトゥルクで、そろそろ彼女にも代名詞(転生活仏)でなく名前を付けなくてはなりません。
もしかしたら考えてくれた方も居るかも知れませんが、私の独断でセラと決めさせて頂きます。
これはチベット語で色という意味で、仏教では空色色空(E=mc2に近い)の物質界
といった意味を持ちます。
因みに中国語でも色はセーと発音して繋がりがあるようですが、セラゴンパ(ラサ三大寺の一つ)は中国に反旗をひるがえして大変な歴史を刻んでおります。
話しを教会の農園に戻し、そこはコミュニティーに解放されていて収穫はみんなの物とします。 ここには中国人やロシア人も多く手伝いに来て、彼等の生活の大きな助けとなります。
お清はここで障害者を受け入れて福祉農園も始め、そこにセラの共生微生物群(EM)の力が加わり、広く名が知れ渡るほどに発展します。
その教会農園はどんな障害を持った人でも受け入れ、目の見えない人もボカシ作りは手の感触と匂いの判断で成否が決まるので、むしろ重宝されます(実際かなり難しい)。
戦争が長引いてくると負傷兵もこの農園に留まるようになり、多くの子ども達と一緒に働いて心の傷を癒やします。
この「芯」の章では、もうすぐ亡くなってしまうセラの主観から子ども達を描こうと思っております (彼女も主人公であるから)。
彼女にはシタールを持って歌を教える女神、サラスワティーの名がインドで冠された事もあり、その資質が認められトゥルクに選ばれた経緯も紀します。
子ども達を導く歌はチベット語と日本語の両方が同じメロディーで歌われ、それはこの2つの言語が語準や発音において兄弟的に似通っている事で可能となります(実際そうで人種的にも兄弟)。
サラスワティーの徳により教会農園は多くの人々を集め、生物界の芯である微生物達との共生を果たして、人間界の共生レベルも引き上げて行く。
これが私の描こうとする真の教育のモチーフです。 他にも浦上での教育についてアイデアが有りましたら、是非ともコメントで書いて頂きたく願います。