それは市民を見捨てて我先にと逃げたドン(党)に対する不満の噴出で、北京市民は「一体何があったのか?」を知ろうと中南海に押しかけます。
この秘密のベールに包まれた北京の中枢地区は、そこを掌握した者達が代々「天命」を担って来た場所で、現在はドンが居座っています。
そこが核ミサイル攻撃の標的となったため空っぽに成ったという情報が拡散し、市民はそれを確かめようと中南海に殺到します。
そこで市民はドンが本当に我先にと逃げ出したコトを知り、自分達が何も知らされなかったコトに憤りを覚えてそのまま中南海を占拠します。
それは曾て天安門広場を市民が占拠した時よりも大規模な反政府運動へと発展し、戻って来たドンの幹部に説明責任を突き付けます。
ドンは「パニックを起こさせない為に知らせなかった」と正当化しますが、自分達だけが専用機や特別列車で逃げたコトを正当化するのは難しく、その説明は2000万人超の北京市民の怒りに油を注ぎます。
およそ1割もの怒れる市民によって、中南海と連なる天安門広場と紫禁城も占拠され、そこに建っていた毛沢東記念堂が弾道ミサイルの直撃によって壊滅したコトも手伝って、「ドンは天命を喪った」との声がネット上に溢れ返ります。
それに影響を受けた者達は、中国全土から続々と中南海に集まって来ます。
近未来の中国は今よりもっと経済が悪化しているので、ドンの「天命」に疑問を持つ者達は益々増えており、その不満の噴出をドンは一番恐れていました。
その恐れは現実のモノとなり、「中南海占拠運動」はいよいよ革命の様相を呈して行きます。
ドンはこれを武力で鎮圧するコトは可能でしたが、1989年の天安門事件の時と違い市民はみんなスマホを持っているので、虐殺などしたらその映像は瞬く間に世界に拡散してしまいます。
ドンが取った対策はお決まりの、「海外勢力に操られている叛逆者ども」と市民を断罪するコトでしたが、そんな稚拙な世論操作はドンが「天命を喪った」コトを益々ハッキリとさせるばかりでした...
こうした状況を冷静に観察していた「海外勢力」は、いよいよ中国で市民革命の時が訪れたと判断し、その支援に乗り出して行きます。
次回はそうした「海外勢力」の動向について物語ろうと思います。