その数はウラン鉱山で300人としたので、核基地もそれくらいとします。
しかし600人もの捕虜を養うのは大変で、「核の恫喝」によって空爆を封じてからは、もう捕虜を盾にする必要性は無くなるので全員解放します。
それは「兵糧入れ」が封じられて、食糧を切り詰める必要性が生じたからでもあり、捕虜への食事は良心的に与えられました。
これはターシャが決めた方針で、捕虜を安心させ「再教育」を受け入れ易くする為です。
ここで「捕虜の再教育」を物語る前に、党(ドン)による教育がどんなモノかを知っておく必要があり、それには「中国の歴史認識はどう作られたか」という本がお勧めです。
この本のアマゾン-レビューでは「認識が生ぬるい」との批評もありますが、それでもこの本はドンに支配された教育の実態を明らかにしており、参考にする価値があります。
1989年の天安門事件を受けてドンはイデオロギー教育の必要性を認識し、子供達を洗脳するコトに心血を注ぐ様になりました。
それは映画「太陽の下で」で映し出されている北朝鮮の洗脳教育と同じなので、どうしても「再教育」する必要性があります。
その「教材」はアメリカの衛星が兵糧カプセルに入れて投下するとし、ドンの数々の「悪しき行い」とその被害を伝えます。
子供の頃からドンは「善き行い」しかして来なかったと教え込まれた捕虜達に、こうした自由世界のリテラシーは大いに衝撃を与えます。
'50年代には中国人民もある程度は自由なリテラシーを知っており、特に若者は危険を犯してもそれを知ろうとします。
しかし中には頑なに「再教育」を拒む者もおり、ドンの「再教育中心」ではそうした者に食事を与えないのに対して、ターシャは誰にでも平等に自分で料理した食事を与えます。
それはこの食事に「再教育」のカギがあるからで、それについて次回思い切って書いてみます。