まずは寝て見る夢から入りますと、これはまだまだ謎が多いようです。
今朝の夢はわりと良く覚えており、お馴染みの跳躍が得意になる夢で、「よっしゃ、サッカー選手になったる」と練習に励んでおりました。
なぜ夢の中だとやたらジャンプ力がつくのか? それはまるで重力の小さな月での様で、人は月に住む定めなのかも知れません。
冗談はともかく、私はジャンプして飛ぶ夢をよく見ますが、夢占いでこれは「自由と向上を求める表れ」とされ、正にその通りな気がします。
覚めて見る夢もモッパラ「自由と向上」がテーマなので、両者には共通するモノがある様です。
ここでまた「夢見心地」について語りますと、起きていても「高速眼球運動」(レム睡眠中に起こる)を無意識に行うコトは可能で、それには深いリラックスが必要なので「幸せ草」が役に立ちます。
キマッて本を読むとよく意識が飛んで物語の世界にトリップし、その景色を夢の様に見れます。
ここでは明らかに「高速眼球運動」が起きており、僧侶が瞑想でトリップするのと似通っております。
ヒンドゥー教の僧侶は「草」と瞑想を組み合わせる専門家で、私は二十歳でそんなサドューに弟子入りをしました。
そこでインド哲学に興味を持ち、日本に帰ってから大学でそれを専攻しましたが、残念ながら日本では法を犯してまで「夢」を追究する専門家とは出会えませんでした。
ヒンドゥー哲学では世界を「神の夢」と捉えており、その夢と一体化するコトを理想としています。
これは「反進歩的」な教えかも知れませんが、物質的な進歩には限界があるので、こうした精神的アプローチも必要かと思います。
実際に、宗教を求める人は先進国で増えて来ており、人は物質的な豊かさダケでは幸せに成れない動物の様です。
他の動物も、脳が大きいクジラなどは夢を見るとされ、「ゼルダの伝説 - 夢を見る島」ではそんなクジラの夢の中で冒険が繰り広げられます。
このゲームボーイ作品はアメリカでも人気を博しており、向こうで英語版をプレーした思い出があります。
ファイルファンタジー7も向こうのパソコン版でプレーし、英語だと「ゲームの世界」に入り込み易い気がしました。
こうしたファンタジーの世界を作り出す仕事も、小さな「神の夢」の実現と言える気がし、私も文学でそんな仕事をして行きたいと思っております。