これまでのストーリーの流れから、新しいバイブル「秀祥(しゅうしゃん)」の最終章を「地の塩ターシャ」にするとしましたが、このバイブルの構想には少しイレギュラーがあったので訂正させて貰います。
それはキリストの弟子をブッタの「十大弟子」と混同し、後から新約聖書を編纂したのは「十二使徒」だったと知ったタメ、第十章「使徒ジャック・ブラウン」で完結させたのに、新たに二章を付け足すコトになりました。
この新しいバイブルは物語の進行に欠かせず、早く完成させる必要があるので、ここで改めて十二使徒の章題とモチーフをまとめます。
第一・二章「ラブ&ピースの聖者アダムとイブ」:アメリカで秀祥の弟子になったヒッピーの兄妹。アメリカ黒人文学を代表する「ネイティブ・サン」のバディとヴェラのその後の人生を描く。
第三・四章「パレスチナの王子タハと光の子カレン」:二人のエクソダスを果たしたカップル。イスラエル独立を悲劇的に描いた映画「EXSODUS(栄光への脱出)」のハッピーエンドを目指す。
第五章「旅聖ウィリー」:秀祥とジャックのカップルを特別に歓待したイロコイ・ネーション(女系社会)の男性。ネイティブの血を引くカントリー歌手ウィリー・ネルソンがモデル。
第六章「聖戦士ミト」:秀祥の2人の護衛の巨漢の方。ジミ・ヘンドリックスの「Bold as Love (愛の如く赤裸々)」で謳われる「かつて幸せだったターコイズ(宝石)の軍隊」の末裔。
第七章「学聖アゼル」:フランス貴族で「炎の紋章」を引き継ぐ男。「学聖」は儒教で最も貴ばれる存在で、彼には「銀河鉄道の旅」で人類の智を代表して貰います。
第八章「踊り子シルヴィア」:十六歳の時に十五歳の秀祥とカトマンドゥで出会い、生涯ずっと親友になるフランス人女性。アゼルとはカップルだったけれど結婚はせず自由に生きる。
第九章「賢者ユパ」:秀祥の護衛の小柄な方。智謀に長けて秀祥と共にチベット亡命政府の舵取りをする。彼女の死後も生きて「新しいバイブル」の編纂を担う。
第十章「使徒ジャック・ブラウン」:秀祥の生涯の恋人で、歌手ジャクソン・ブラウンがモデル。「銀河鉄道の旅」でも秀祥とドゥオで人類の歌と音楽を広めて貰う。
第十一章「戦いの女神カーリー」:インド-ボンベイの世界最大のスラムから、秀祥に見い出されてSFF(スペシャル‐フロンティア-フォース)に加わる。彼女から特別に目をかけられて成長した。
ここまでの章ではみんな自らの過去を語って来たので、一貫性を持たせるタメに「ターシャの過去」も物語る必要があります。 そこで彼女自らに語って貰うコトにし、今回は導入までとして次回にどっぷりと「ターシャの過去」にひたります。
ーー 私はチベット人を主体とする諜報機関SFFのリーダーとして、自らの過去を語るコトにはどうしても制限がありますが、この本では皆がそれぞれの人生を語った上で秀祥様との関わり合いを述べているので、私もそれに習いたいと思います。
まず私の生い立ちについてですが、1989年に青海省の優樹(ユーシュー)という地区で生まれました。 これはちゃんと記録が残っているのですが、私が今年(2060年)で70歳になると言うと誰も信じてくれません。 誰もが私を35歳くらいに見ますが、これは何も若さを誇って言うのではなく、それだけ私が変装に長けているというコトです。
それと言うのも、私が「地の塩(スパイ)」として仕事をする時にはしばしば70歳の老婆になるからで、中国でもチベット人の老婆を警戒する人はまず居りません。 こうした変装は私がチベットに潜入するようになった50年ほど前から続けているので、今ではもう自分が若いのか年寄なのか分からなくなっております。
こんな冗談みたいにしか自分の過去を語れない私ですが、20歳でスパイになるまでの過去ならばキチンと語れます。 私の両親は非常に珍しく遊牧民生活を捨てなかったチベット人で、もちろん強制的に町に移住させられたコトはありますが、どうしても中国流の暮らしには馴染めずに草原へ逃げ帰りました。
チベットでは1976年に毛沢東が亡くなってからも「文化大革命」の混乱が治まらず、それはチベットを統治していた軍隊が派閥に分裂して武闘を行ったタメで、多くのチベット人がそれに巻き込まれて命を失いました。 1980年代の後半になってようやくチベットにも改革開放時代の波がやって来て、両親もようやく落ち着いて遊牧生活が送れるように成ったので私を産みました。
しかし優樹では中国化政策が特に急激に行われ、チベット文化は遅れたモノとして破壊され続けました。 これはかつて優樹が中国共産党の侵攻から逃れた人々の「最後の砦」として頑強に抵抗した歴史があるからです。 そのタメに、戦いが終わった後も優樹の男達は殆どが強制収容所に入れられて餓死させられ、これは悪名高い「断種政策」として広く海外にも伝わりました。
私の父は当時まだ子供だったので「断種」を免れましたが、その後に中国兵達がチベット女性達を欲しいままにしたのを見ており、そんな中国人とはどうしても一緒に暮らしたくないと言っていました。 父は私にチベット人としての誇りを持って生きて欲しいと望み、そのタメにはヒマラヤを越えてインドの亡命政府の元へ行くしか道はありませんでした。
私は子供の頃から遊牧を手伝って来たので山には慣れており、両親もかなり上の方まで一緒に来てくれたので、私は僅か11歳にしてヒマラヤを越えられました。 これには亡命政府も驚いたようで、私は素質を買われてSFFの養成機関に最年少で迎え入れられ、そこで年上の同志と一緒に厳しい修行を積みました。
そこではチベット仏教カギュ派に伝わる断食修行も行われ、それは「一日三粒の麻の種しか食べない」といった修行でしたが、不思議と私にはさして苦ではありませんでした。 これは師匠曰く、私が前世でも同じ修行を積んでマスターしたからで、私はそうした前世での記憶を、今回ウラン鉱山の地底で30日間を過ごした間に、俄かに取り戻したような感じを得ました。 これは夢うつつの幻かも知れませんが、私にはとてもリアルに感じられたので、それについてお話させて貰います。 --