ここではそれらを一つ一つ論じますが、深くは入らず触りだけに留めさせて貰い、なるべく広くその葛藤を捉えたいと思います。
香港とマカオは先進国と変わらない程の自由を謳歌していましたが、「時代革命」の敗北によってそれは打ち砕かれてしまいました。
マカオはポルトガル語も話される国際都市で、一時はラスベガスをも凌ぐアミューズメント都市に成長しましたが、コロナでロックダウンされ見る影も無くなってしまいました。
コロナのロックダウンでは上海がより注目を集め、これはもう2ヶ月に達しようとしており、市民のガマンは限界に達っしている様です。
一方チベットは相変わらず殆どの地方が封鎖されており、外国人はそこで何が行われているのか知り得ないという、「北」と殆ど変わらない状況です。
ウイグルの入境制限はチベットほど厳しくありませんが、若いウイグル人男性は片っ端から「再教育中心」に入れられ、1年経っても帰って来られません。
仏教徒とイスラム教徒への迫害について触れましたので、次にキリスト教徒の弾圧を紹介します。
中国ではクリスチャン人口が世界一に達する勢いで増えていましたが、そうした出る杭は党(ドン)によって打たれる定めでした。
ドンの憲法は「信仰の自由」を認めていますが、そんなモノは建前に過ぎず、法の正義を求める弁護士達は弾圧されました。
彼等を支持していたネット世論も和諧(抹消)され、中国人では正義を求める自由も奪われてしまいました。
コラムの紹介は以上としまして、後は本を挙げさせて貰います。
高校で真実を教えた為に迫害され、日本に亡命された石平さんの「私はなぜ中国を捨てたのか」は、中国社会の病巣をえぐった名著と言えます。
研究者で迫害されて亡命した人の本では「暗黒·中国からの脱出」が臨場感に優れ、彼はミャンマー北部を未だに割拠している華人の反政府武装勢力に依って脱出を果たします。
最後に、中国では70年代まで資本家は迫害の対象だったコトも紹介して置きます。
これについては「中国の悲しい遺産」が見事に総括しており、資本家から没収した富をドンが私物化しているコトに憤った学生達による、抗議運動(天安門事件)を総括した本では「チャイナ オデッセイ」が優れております。
今ではドンは資本家に成り上がり、その言うコトを聞かなければ若者達は仕事にも着けません。
果たしてそんな中国に自由があると言えるのか… 私は大いに疑問を抱きます。