真の動物福祉牧場を目指して

「I shall be free No. 10」

 前回で一先ず「Shu-Shan」の物語と「120の妙なる法」が同時に完結しまして、久々に自由に書ける様になりました。
 しかしずっとシリーズで書いて来たので、いきなり自由になると何を書こうか迷ってしまいます。

 そこで取り敢えずボブディランの歌をタイトルにしてみました。
 これは「アナザーサイド オブ ボブディラン」というアルバムの中の非常にクダけた歌で、アムネスティ向けチャリティーアルバムのタイトルに成った名曲「Chime of freedom (自由の鐘)」の次に来ます。
 これは何となく、大作を発表した後にはクダけた自分の本性を晒すべし、と云ったセオリーに則っている気がし、私もディランに習って今回はクダけた自分の話をしようと思います。

 この曲のタイトルに入っている「N o. 10」というのは「サイテーの」と云った意味で、「I shall be free」の自由にも色んなステージがあり、私も今回はナンバー10な自由を語ろうと思います。

 それは中国で云う所の「飲酒海量(フージューハイリャン)」で、日本で云う所の酔っぱらいです。
 私がこれ迄に飲んで来た酒の量は海に喩えられ(中国人は大袈裟な表現が好き)、それだけ飲んでもアル中に成らなかったのはラッキーと言えます。

 それは日本ではお酒に税金が掛かって高くて、私はけっこう節約タイプなのでもったいなくて滅多に買えないお蔭です。(中国では安過ぎて危なかった)
 その代わり、お墓に供えられたお酒ももったいなくて片っ端から飲み干してしまい、東京はとにかくお墓が多いのでかなりデンジャーな街と言えます。

 これを友達に話すとまず批判され、「人の供養した食物のみによって露命を経ぐべし」と云う仏の教えを引っ張り出してみても、まず理解されません。

 まあそれはいいとして、私は毎週火曜日に八王子(東京の西端)の留学生支援の中国語教室に通っており、今日はそれで多摩地域のお墓を巡っております。
 私の祖父(母方、東京都立大学の学長に成った)の墓も八王子に在り、彼の供養も先月に行いました。

 祖父は岡山の出身で、大学教授だったので出征は免れましたが、彼の教え子の多くが学徒出陣で命を落とし、それに対して何も出来なかったコトを悔いていました。
 岡山には昔親戚も居たのですが、亡くなられて今は空き家になっており、その家には山も付いているので、いつかは牧場にしたいと思っております。

 話を「飲酒海量」に戻しますと、酔っぱらうコトは一時的に心が解放されて自由になれた気がしますが、逆にお酒に依存すると自由を失ってしまいます。
 それは精神的な依存くらいならばまだイイのですが、身体的な依存にまで成ると立派なアル中です。

 私はアメリカの平和行進でよく向こうの教会に泊めて貰い、そこでしばしば「アルコホーリック-アノニマス」(AA、断酒会)にも参加させて貰いました。
 そこでは、お酒の魔力に負けないように精神的な糧を築くコトの重要性を強調していて、お酒に逃れるのは弱さ故だとされていました。

 確かにお酒は精神を弱くし、悦楽の方向に流されてしばしば愚かなコトをしてしまいます。
 これはある意味確かに「サイテーな自由」と言え、しかしその自由を有意義なモノにする挑戦にもある種のロマンを覚えてしまいます。
 次回はこの難点について、更に深掘りしてみようと思います。



 

 

 


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