途中で旅に出たので随分と物語から離れてしまいましたが、前回に地球と惑星「萌」のトゥルクどうしが心を響鳴させて数百光年の空間的隔たりを超え、「本末究竟等」の果報を引き継ぐと物語りましたので、ここでそれを可能にした「心の力」につなげます。
その前にまた前置きをさせて貰いますと、仏教には「唯識」という「唯心論」の考え方があり、これは神も社会も自然すら、わたし達の心によって現されているとする思想で、そこでは出来るだけ「心」を善くしておけば、それだけ神も社会も自然も善くなると教え愉します。
ここで「心」が「神」を作っているとする思想について考察してみますと、それはつまり「心」の数だけ「神」がいると仮定するコトになり、それ故に全ての命はすべて等しく神聖だとする「大平等観」が成り立ちます。
これは仏教の1番根幹的な教えと思え、「心」を発達させた動物を神格化するヒンドゥー教も深い思想に支えられているコトが伺われます。
次に「心」が「社会」を作っているとするのは、わりと楽に納得して頂けるかと思います。
その社会は地球では専ら人間の「心」によって作られていますが、惑星「萌」では動物達の「心」を理解し尊重する気運が高まって、より「動物福祉」の進んだ社会に成っているとします。
この相手の「心」を理解する力、すなわち共感力は女性の方が強いとされ、それは右脳のイマジネーションと左脳の理智とをつなぐ脳幹が太く進化しているからとされますが、こうした物理的な観察だけで「心」をすべて理解できるとする「唯物論」はもう時代遅れのような気もします。
続いて「心」と「自然」について考察しますと、すべての芸術はこの2つが融合して生まれるかと思えます。
「心」は「自然」という対象を得て初めて芸術を遺そうと思い、その「心」に遺った特別な「自然」が芸術となります。
もちろん芸術には架空のフィクションもありますが、それらも元は「自然」の中で育った「心」が生んだモノであり、「唯物論」でも自然と心は一体の物理現象としています。
「自然」にはもちろん宇宙も含まれ、「唯識」に依れば宇宙は純粋な「心」の現れなので、そこでは「心の力」が発揮され易く、その力によって空間を超えた「コンタクト」も可能とされています。