真の動物福祉牧場を目指して

カルマ(業)を解き放つ菩薩行

論文「1971年のパキスタン」では、主に政治的なカルマが述べられており、それに翻弄され逃れようともがく人々に慎語は救いの手を差し伸べます。それは邪気を吸い取る手であり、人々は慎語の祈りと太鼓の波動によっても癒やされます。

ベンガルのカルマは複雑で、宗教的な業と民族的な業(奴隷民族だった)とが混ざり合って混沌としており、それを解き放つにはラクシュミーとメアリーの徳も必要でしょう。
彼女達は宗教の壁を超えた連帯を作り上げており、永年の救援活動の経験からインド人同士が争う事の虚しさを悟らせる力を持ち、それはつまりカルマを浄化して来た経験値の高さがモノを云うといった所です。

政治闘争に敗れた若者たちの心はトゥルクがガッシリと掴み、彼女の歌声はそんな権力争いのカルマを解き放つ力を発揮して、若者の心を自由な境地に変容させます。

ウゲンと山岳農民達は、龍の心を持ってベンガル人に連帯を示し、彼等のカルマを現実的に軽くします。孤児達は気軽に僧院に預けられ、山を登って来た人達に対しては決して差別せずに、仕事と収穫の幸を分け合いました。

こうしたブータンによるベンガル難民(500万人に達した)の支援はニュースとしてアメリカに伝わり、天臣は弟子を引き連れて加勢に来ます。当時は中国とインドの関係はこじれており、彼等はアメリカ人として入国を認められますが、監視は常に付きまといます。
まずはそんな自らのカルマを解放する必要があり、それには巨額の食糧援助という形でインド政府を味方に付けます。
その資金は天臣が命を救ったロスチャイルド家頭首からのモノとし、命を新たに得た彼は慈善事業に没頭します。天臣はその事業の顧問となり、彼の活動には資金が惜しまれず提供されます。

ジョンはカルカッタのスラム育ちなのでベンガル語はなんとか思い出せ、トゥルクの助けも得て人々との対話に努めます。
イギリス人で彼程ベンガル人と対等に話し、その苦悩に共感出来た人間は居なく、彼は民族と人種のカルマを解き放ちます。

そんなジョンの行いは日本人と中国人の青年達にも大きな感銘を与え、彼等もジョンの後に従い人種、言語の壁を越えて対話に挑戦し、カルマを解きほぐします。

こうした菩薩行を行うパーティーの中でも、ここでは慎語の徳がやはり一番際立っており、ベンガル人キリスト教徒の間で彼は、奇跡により救いをもたらす存在として崇拝されます。
そうした中からは慎語に付き従う者達も現れ、彼等はその後のインド平和行進にも参加して救世主の最期までを見届けます。




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