8月4日は母の命日だった。
お盆も近い今朝、気になっていた仏壇の掃除をしながら、実家の母のことを思い出している。
昭和52年の8月やーやの実母は56歳で亡くなった。
くも膜下出血で倒れて、数日間意識の戻らないままだった。前年秋に、北九州から我が家に遊びにきてくれた時に会ったのが最後になった。
元気がとりえと自分でも言っていたが、私たちもそう思っていたので、倒れた知らせをもらっても実感がなかった。すぐに回復してくれるものと思い込んでいた。
二週間ほど前には電話で話している。その時は頭痛がするので病院に行ったことを話していた。そして眼鏡を変えたら、少し良くなった・・・・というのを聞いた覚えがある。
離れて住んでいる娘のやーやは、実家に行くことも稀で、母の思いを汲み取ってやることなどできずに、たまに電話で話すことくらいしかなかった。
一人しかいない娘は遠くにいて、随分寂しい思いもしたことだろうと、この年になって母の心を推し量っている。
今にして知りて悲しむ父母(ちちはは)が
われにしまししその片おもひ
窪田空穂(『冬木原』より)
↑ の窪田空穂氏の歌を読む度に、母のことが偲ばれる。見返りなど求めない親の愛はまさに片思いです。受けた愛を感じずにはおれない。
なめらかな調べのこの歌を口ずさむと、やーやは追憶の空間にいざなわれ、今でも目頭が熱くなります。
不肖の娘、やーやは母を亡くしてから、母の大きさに気付いた。母がいる・・・そのことを心のよりどころとしていた自分に気付くのだが、
遅すぎるよね~
それから30年余を生きてきて、どうしよう!という苦しいことに合った時に、知らず知らずに
母なら、こんな時どうしただろう・・・ と、考えることで、自分を落ち着かせている。
母の亡くなった年をはるかに越えた今も、そうやって生きているのです。
母親の 偉大さ なくなってから気付いたとおっしゃるyumemiruさん
そうですよねきっと私もそういう思いをするんだろうなって思います
幾つになっても、母の年をはるかに超えてもきっと母親に対する思いは
変わらないのでしょね
私の母の一周忌も近づいて来ました。8月19日です長生きしましたので悔やむ事は無いと思うのですが・・・。いろいろと悔やまれる事等も思いだして辛い時もあります。
「窪田空穂氏の歌」との事ですが、良い詠ですね。
私も記録しておきます。ありがとうございます。
離れていても母は居る、ということが自分のよりどころになっていたようです。
母という存在は誰にとっても特別の思いがありますね。
母が逝った年を越えた今では、よけい母への思慕が募ります。
おかしなものです。
何時まで経っても母にたいしては子なのですよね。
お読みくださって、ありがとうございました。
お母様の一周忌、もうすぐなのですね。
長生きされて、sazae3も本当によくお世話されたこと、ブログで覗えました。
それでも、悔やまれることもおありですか。
空穂氏の短歌、平坦な調べのなかに自分の思いと重なる部分があり
私にとって、大事な一首になっています。
お読みくださり、ありがとうございました。
yumemiruさんが仏壇の掃除をされたとか、仏壇の掃除とお墓の掃除
忘れないうちに済ませなければ・・・・・・・思い出させて
頂き有難うございました。
お盆が近づくと、いつもより丁寧な掃除をします。
そうそう、お墓参りも済ませたいですね。
我が家でも年中行事の一つになっています。
仏壇の掃除をしながら、いろんなことが思い出されるので
不思議な気がしています。
お読みいただき、ありがとうございました。