「明日という字は、明るい日と書く」とかを言う人がいる。歌にもなった。
でも、「日が明けてくる日」で、それ以上特に意味もない。
「令和」は天皇の代替わりで、もう日本人だけの「年」を区切る記号でしかない。もちろん、「明治以降」から、前天皇の呼称になることから、「神聖」なものと考える人もいよう。でも、西暦をもっぱらにする人には、何のことでもないことである。つまり「新しい時代」とはならない。
前例にない、元号「令和」発表でわざわざ首相がことさら会見(談話?解釈講話?)することで、「平成」の世で目立ったのが気になった。
ついでに、元号の選定(「選定」との言い様は正しいのかな?)で、誰の提案かは公表しない、と言ってたのにもかかわらず、「万葉集からの引用」と発表。選者で万葉集の専門家はただ一人だった。その御仁、テレビに露出して得意満面。などなど。
5月になっても、安倍政権は、いや、世界のどの国の政権も変化しないまま。なのに「新しい時代」という根拠は何かを問いたい。
非正規のままの雇用が続き、10連休は「無給」になり、お祝いどころでない人もいる。
昔、首相就任を断った政治家の言った「表紙だけ変えても,中身が変わらなければダメだ」が新鮮によみがえる。
でも、「日が明けてくる日」で、それ以上特に意味もない。
「令和」は天皇の代替わりで、もう日本人だけの「年」を区切る記号でしかない。もちろん、「明治以降」から、前天皇の呼称になることから、「神聖」なものと考える人もいよう。でも、西暦をもっぱらにする人には、何のことでもないことである。つまり「新しい時代」とはならない。
前例にない、元号「令和」発表でわざわざ首相がことさら会見(談話?解釈講話?)することで、「平成」の世で目立ったのが気になった。
ついでに、元号の選定(「選定」との言い様は正しいのかな?)で、誰の提案かは公表しない、と言ってたのにもかかわらず、「万葉集からの引用」と発表。選者で万葉集の専門家はただ一人だった。その御仁、テレビに露出して得意満面。などなど。
5月になっても、安倍政権は、いや、世界のどの国の政権も変化しないまま。なのに「新しい時代」という根拠は何かを問いたい。
非正規のままの雇用が続き、10連休は「無給」になり、お祝いどころでない人もいる。
昔、首相就任を断った政治家の言った「表紙だけ変えても,中身が変わらなければダメだ」が新鮮によみがえる。
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