JDさんのブログ

頑張りたくても自律神経の乱れであまり無理はできず…。日々の発見や不安について書いてます!

もしコロナ禍の今、私が高校生だったら

2022-04-05 23:57:33 | 日記
こんばんは!

お久しぶりです。

本当にお久しぶりです笑

前に書いたのが1月の末の方だったので、丸2ヶ月以上放置していたことになります…

しかもその間、ほとんどこのブログ自体を開いていなかったという。

とにかく学業が忙しく、学業が落ち着いたと思ったらアルバイトと就職活動で本当に忙しい日々を送っていました。

今はもっぱら就活がメインで、ちょうど山場を迎えているところです…。

ただ、そんな中で大学の1番の親友と一緒に出かけました。

そこで久しぶりに高校生の時の話をしたら、色々なことを思い出して。

特に高校生の私と体調の話は切っても切り離せない関係です。

軽い気持ちで「高校生の時ずっと熱あったんだよね〜」という話をしたら友達にすごく驚かれました。

本人は熱がある状態が当たり前で、体調不良だってそんなに自覚はしてこなかったので、友達の反応が新鮮でした。

というわけで今回は、前からうっすらと思っていた「もしコロナ禍に私が高校生だったら大変だったのでは?」という想像を文章にしたいと思います。

若干お酒が入っていて変なテンションかもしれませんが悪しからず。


コロナ禍の今、マスクの着用やソーシャルディスタンスが当たり前のように求められています。

今もオミクロン株の影響か、連日数千人単位での感染者が発生しています。

そんな中、検温をする機会もこれまでと比較すると格段に増えたと思います。

ということは。

私が高校生だったら毎日のように体温を測って、学校でも測られていたのではないかと思うんです。

でも、高校生の時の私は毎日の様に発熱していました。

当時は37.5℃まではセーフという、私にだけ適用される特別ルールがありましたが、今となってはおそらく37度以上は早退の対象になってくると思います。

そうなると、高校にまともに通うことすらできなかったのではないかと思うのです。

自主的に保健室に行くこともあれば、周囲に勧められて致し方なく保健室に行くパターンもありましたが、結構な頻度で熱を測って発熱が発覚していました。

風邪の症状があるわけではない、でも日常的な頭痛と慢性的に続く微熱がある。

感染ではないだろうと思っていても、本当に感染していないかどうかはわからない。

そうなると大事をとってお休みさせられていたような気がします。

しかも。

周囲の先生をはじめ、友人たちだって周りの人間の体調には敏感だと思います。

そうなると本人が意図しないところで検温されて、発熱がわかってしまっていたのではないかなと…

発熱しやすい体質。

そしてそれに気づかれやすい環境。

学校に行きたくても行けない、そんな事態があり得るくらいの体調だったのだと今更ながら実感しています。

きっとこれはコロナ禍に私が高校生だったら大変だったこと。


ただ、1つだけメリットというか…気づかれやすい環境にいた方が良かったんじゃないかと思うことがあります。

それは私が誰にも言えずに悩んでいた体調不良について話す機会ができるかもしれないことです。

毎日のように続く微熱、倦怠感、頭痛。

これらの症状以外にも何かある?と聞かれれば、立ちくらみが、とか頻脈が、とか色々言えた気がするんですよね。

話す機会に恵まれずというか、私の決心がつかずに隠し続けていた辛さに気づいてもらえたと思うんです。

電車の中で意識を何度も飛ばしそうになって、仕方なく駅で休んだこと。

ベンチにすら辿り着けずに階段やホームに座り込んだこと。

毎日起きるだけで息が切れて目の前が真っ暗になること。

体調に敏感な世の中になるということによって、熱以外に私が隠していた?体調不良にも気づいてもらいやすい環境になったのかもしれません。


コロナ禍に高校生だったらまともに学校に通うことすらできなかったのではないか、というのが1つの結論です。

まぁ通わせてもらえないよな〜とは思う。

感染じゃないとしてもそれは見ただけではわからないから。

ただ、もう1つの結論として体調不良に気づいてもらいやすい環境になったのではないかというものもあります。

自分で言えなかった辛さに触れられる機会が必然的に増えると思うからです。

コロナ禍の今、高校生の時のような辛さがほとんど無いことに感謝するしかありません。

そして、ある程度普通の人と同じような生活が送れるようになってきた今、高校生の自分に無理をさせすぎてしまったと反省しています。

もし今後、高校時代の先生と話す機会があれば高校生の時の私がどんな風に見えていたか、聞いてみようと思います。

そしてそれが今だったらどうなっていたと思う?という話も。


それでは、ただの殴り書きになってしまいましたがこれくらいにしようと思います。

今度は就職活動が無事に終了したというご報告のブログになればと思うのですが。

まだ準備が全然終わっていないので、明日からまた頑張ろうと思います。

ではまたどこかで。

おやすみなさい。

私と我慢 4/5追記

2022-04-05 23:01:00 | 日記
こんばんは。

※ふと我慢エピソードを思い出したので、追加します!

相変わらず更新が遅くてすみません…

やっと大学が冬休みに入って、少しずつゆとりのある時間を過ごせるようになりました。

大学生活で一番大変な期間が3年生の後期だと言われているのですが、そのうちおよそ半分は一応終わりました。

1つだけ先生に酷評されたので、無事に単位が取れるかわかりませんが…

冬休み明けからまた忙しい日々が始まるので、終わったことは気にしないで前を向いて生きていこうと思います!笑

以上近況報告でした笑


忙しい中でも、最近ハマっていることがあります。

一番の趣味である野球がオフシーズンに入ってしまい、少し時間を持て余していました。

そんなある日、ひょんなことからpixivにハマったんです笑

内容は詳しく言えないのですが笑、周りに迷惑をかけたくないという思いから色々なことを我慢して、我慢しきれなくなって、壊れる寸前というかもはや限界を超えたところで周囲に気付かれてしまう…そんな主人公が出てくる物語を読むことが多いです。

その主人公の気持ちが自分に重なると正直辛いです。が、当時の私が言えなかったことを言えて、言って欲しかったことを言ってもらえる主人公を見ると、過去の自分も慰められるような気がしてやめられないんですよね。笑

そして、それを読みながら「一体私はいつからこんなに生きづらくなったんだ」と思うんですね。

多分誰しも小さい時は隠しきれない体調不良とか辛いことってあったと思うんです。

というか、ちゃんと言えていたというか、ちゃんと気づいてもらえていたというか・・・

そこらへんの言語化は難しいのですが、とりあえずこんなに生きづらくはなかったと思います。

というわけで、今までの我慢してきたエピソードを思い出せる限り羅列していきたいと思います。

多分こういうの書いたことないはずですし笑

既出だったらごめんなさいですが、自分の中で言語化するのって大切だと思っているので...


記憶にあるかぎり、初めて我慢をしたのは保育園の頃だったと思います。

年長の夏でした。

昼くらいに外遊びを終えて園内に戻ろうとして入り口付近の網を踏んだら、トゲが刺さってしまったんですね。

痛いし、踵から1センチくらいはみ出ているし。

それなのに、周りの大人に一言も言えなかったんです。

どうしてそんな判断をしたのかはわかりませんが、とりあえず言えなかったことだけは覚えています。

周りにバレないように普通に生活をしていたのですが、どうしても気になるので自分で引っ張って抜こうとしたら友達に声をかけられて。

その時はトゲが刺さったと正直に言いましたが、それでおしまいです。

結局、昼くらいに刺さって気付かれたのはその日の夜でした。

お風呂に入っているときに踵をつきたくなくて不自然な姿勢をとっていたら、一緒に風呂に入っていた父に不審がられて素直に白状しました。

お風呂上がりにちゃんと抜いてもらって、それで終わりました。

でも、よく考えるとその状態でどうやって1日を乗り切ったのか、どうやって靴を履いて母親の漕ぐ自転車の後ろに乗って帰ってきたのかが不思議でなりません。

これが最初に私が「我慢」をした経験です。


そういえば、ちょうど同じころ保育園で竹馬の練習をしていました。

負けず嫌いな私は誰よりも高い竹馬に乗りたくて、来る日も来る日も、飽きずに練習していたことをなんとなく覚えています。

ただ、周囲の人から見ると本当に運動神経が悪かったらしく、練習量でカバーしていたようです。

最終的に運動会ではクラスで2番目に高い竹馬に乗って園庭を1周しました。

この頃から母親を中心に周囲の人から「頑張り屋さんだね」と言われるようになりました。

そうやって褒められるのが嬉しくて、幼いながらに色々頑張っていたと思います。

さらに、私の1歳下の弟が体調を崩すたびに私は良いお姉ちゃんを演じました。

今でこそ丈夫な弟ですが、当時は割と手のかかる子供だったようで、私は強くいなきゃ、とどこかで思う気持ちもあったかもしれません。

こういう経験が重なって、私は「頑張らないといけない」と暗示をかけていたんだと思います。

たった5歳くらいの女の子が考えていたと思うと、自分のことながら心が痛みますね…。


次に覚えているのは小学校2年生の頃の出来事です。

その日は遠足で、朝は本当に張り切って元気でした。

なんですが、遠足先のアトリエについてからちょっとずつだるくなって、頭も痛くなってきたんですね。

でもその時は大きな部屋で大きな粘土を使って遊べるのが楽しくて、そんなことは忘れて友達と楽しんでいました。

お弁当も多分普通に食べました。

ただ、帰り道にはもう本当に辛くて無意識のうちにおでこに手を当てていたんですね。

見かねた担任の先生が「熱測る?」と聞いてくれたのですが、私はそれを断りました。

朧げな記憶ですが、「バレちゃいけない」と思ったんです。

そこからのことはほとんど記憶にありません。

でも、学校に戻ってから放課後クラブみたいなところで限界を迎えて、そこで体温を測ったら38.8℃ありました。

しかもその日は運悪く避難訓練がある日で、先生に背負われて参加しました。

歩けるって言ったんですけどね・・・

帰りは両親が仕事だったので、これまた1人で帰ると言い切ったのですが、高熱のある小学2年生を放って置けなかったらしくクラブの先生に付き添われて帰宅しました。

多分その後39℃を超えました。

これが2回目です。

結構印象に残る出来事で、どうしてあの頃の私は差し出された手を拒んでしまったのだろうか、と今でも思います。

単純に遠足が楽しかったからだとは思いますが、小学生は意外と賢いですからね・・・それだけじゃなかったと思います。

自分のことなのにわかりませんが。


3回目も小学生の頃です。2年生か3年生か忘れましたが、多分2年生の時です。

その日は昼休みに掃除をしていて、頭が痛くなってしまったので廊下を掃除するときに持っていた箒をそのままに保健室に行きました。

先生が何かをしている間に体温だけ測って、37.8℃と表示されたことを覚えています。

でも、先生は私が持っている箒を見て

「掃除中でしょ、早く教室に戻りなさい」

と言ったのです。

そこで説明できればよかったのでしょうが、先生に怒られた!!戻らなきゃ!!としか思えず、そのまま戻りました。

変なところだけ気が利くので、ちゃんと体温計の表示は消しましたよ。

結局その日はそのまま授業を受けて、家に帰ったら39℃近い高熱があったので、リビングに毛布だけかけて倒れ込みました。

親が帰ってくるまでの数時間、じっとそこで耐えたことを覚えています。


次は小学校4年生です。

秋くらいの出来事でした。

その日は午前中の授業をしている時から体調が悪くなってきて、ふらふらする感覚があるし頭痛もありました。

隣の席の子に勘付かれたのですが、「頭痛いから、ちょっと叩いてくれれば治ると思う」と訳のわからない依頼をしてそのまま我慢しました。

給食も食べて、授業も普通に受けて帰宅しました。

39℃の高熱があり、結局インフルエンザでした。

クラスで大流行することはなかったと思いますが、今考えると迷惑だったなと思います。

【追記】
小学校4年生の時、もう一つ我慢しました。

それは宿泊行事でのことです。

宿泊行事の直前に風邪をひいて学校を休んだのですが、当日は熱がないので行くことになりました。

その日、人生ではじめて観光バスに乗ったんです。

初めてだったので「乗り物酔い」という概念を知らなかったんですね。

宿泊先に行く前に博物館のようなところに寄ったのですが、その時からとにかく気持ち悪くて。

吐きそう、気持ち悪い...だけが頭の中でぐるぐるしていたのに、誰にも言えず。

博物館ではいろいろ楽しいことをしていたのですが、体調が悪すぎてそれどころではありませんでした。

結局バスに戻って程なくして吐きました。

我慢できなくなって...

同じバスにもう1人体調の悪い子がいて、その子と私の2人だけがバス酔いしてしまいました。

バスの中で吐いたのは1回だけですが、荷物をもらって坂を上がる途中でもう1回吐きました。

でもちゃんと排水溝まで我慢しましたよ笑

たぶん2回吐いたのは誰も知らないので、初出しの事実です。

ちなみにもう1人の子は熱があるということで早退でしたが、私は熱を測られることもなく着替えて合流でした。笑

多分ぶり返していたんじゃないかと思うんですが、保健室の先生の目には入っていなかったようです。

この時は乗り物酔いを知らなかったので仕方ないですが、気持ちが悪くなった段階で人に頼っておけばよかったなぁ...と今となっては思います。



中学生になってからは毎日が我慢でした。

本当に人間関係がうまくいかなくて、1人でお弁当を食べているのがバレないように、誰も来ない屋上に続く階段で1人で何回もお弁当を食べました。

1人でご飯を食べるのが嫌でお弁当を食べずに時間を潰して、早めに音楽室に戻って練習したこともあります。

食べなかったお弁当は家に持って帰って、部屋で口に詰め込んでそのまま洗ってもらいました。

絶対にバレるのだけは嫌でした。

そこは死守しようと心に誓っていたことを覚えています。

同じ頃、リストカットも全盛期を迎えていました。

どこに行くにも剃刀と絆創膏を持ち歩いていて、学校のトイレやそれこそ1人で弁当を食べている階段の踊り場で切っていました。

切ってからは持参した絆創膏で処置をして、後はいつも通りです。

ただ、屋上に続く階段って全く日が入らないんです。

夏場でも十分に涼しいし、秋からはむしろ寒いくらいでした。

寒いと痛いんですよね、いつも以上に。

結局大して切れないまま終わりました。

1回だけ入っているはずの絆創膏がなくて、すでに貼っていた絆創膏を剥がして別の場所に貼ったのですが、血が見えていたのか動きが不自然だったのか「大丈夫?」と声をかけられたことがあります。

大丈夫です、と笑って誤魔化しました。


体調も同じような感じで、2学期中間試験の直前に39℃を越す高熱を出したのですが、テストなので休めずに学校に行ったんですね。

朝から微熱だったので体温が高まっているのはもちろん、咳が辛かったです。

でもテスト中なので我慢するしかなくて、不自然な息をしながら涙を流して耐えました。

途中で息を吐くとゼーゼー音がして、息を吐きづらくなってしまいました。

ちょっと吸ってたくさん吐く、を繰り返しました。

その頃には息をするのに必死で、テストの出来はひどいものでした。

机間巡視でそばを通る先生に気づいて!と思ったことも、テスト用紙の端っこに体調が悪いと書いて助けを求めようかと必死に考えたことも覚えています。

でも、結局は気付かれませんでした。

理科のテストが終わったあたりで急に息がしやすくなって、そのまま忘れて帰りました。

その後も似たような出来事が立て続けに起こりました。

部活中に起こったのが一番辛くて、十分に息ができない中で楽器を吹いていました。

部活の休憩時間になった瞬間咳が止まらなくなって、ひとしきり咳を出し切ったら落ち着きました。

中3の卒業式を控えたある日、突然朝の5時半に目が覚めて、息をすると「キューキュー」聞いたことのない音がしたこともあります。

仰向けになれなくて、横を向いて必死に耐えました。

2時間その状態で我慢して落ち着いた頃に学校に行ったのですが、学校に続く階段がまた辛くて。

いつもより早く切れる息を無視して学校に行き、練習中もゼーゼー息をしながら耐えました。

ただ熱があるだけならまだしも、今考えると本当に危ないことをしたと思います。

風邪をきっかけに引き起こされた心因性の喘息だったんじゃないかな、と思うからです。

高校以降は同じようなことはほぼなかったのでよかったようなものの、これは黙っていていいことではなかったなと反省しています。


結局、小学生の頃から今に至るまで我慢し続けています。

なんとなく体が変だと思っても、体調不良だということに気づけないんです。

それに気づくために体温計を買ったようなものです。

単純に熱に強いというのもあるでしょうが、無視しすぎて多分わからなくなっちゃったんでしょうね。

とにかく小さい頃から「辛い」、「しんどい」、「体調が悪いから休みたい」、「帰りたい」

そして何より

「助けて」

が言えない子供だったんです。

一言言えればいいんです。

普段はたくさんおしゃべりするのに、この一言だけはずっと言えなかった。

喉元まで出かかっても、絶対口にできないんです。

どうしても我慢できないところまで来て、隠すのが上手な私が隠し切れなくなってやっと判明する。を繰り返してきました。

毎日漠然と「死にたい」「消えたい」「でも誰かに迷惑をかけたくない」と思うほどに追い詰められていても、助けてとは言えませんでした。

側から見たら誰かに気付かれるまで言わないので「かまってちゃん」に見えるでしょうが、私からすればどう言っていいかわからなかっただけなんですよね。

毎日どうやったら迷惑をかけずに死ねるか考えていました。

リスカじゃ死ねないと母親に言われ続けてきたし、首吊りは見つけた人が可哀想。

自宅で死のうと思ってもなにぶん古い家で死ねそうな場所がありませんでした。

だから人目につかない近所の公園で死のうと考えました。

でも私になんの関係もない人にトラウマを植え付けるのは嫌でやめました。

一番よく考えていたのは飛び降りです。

学校の屋上近くにいることが多かったので、職員室の裏手側に飛び降りようかと思っていました。

けれど、それだと職員室から見えてしまうかもしれない・・・

誰にも迷惑をかけず、こっそり死ぬ方法ってないんだなと思いました。

結局のところ、死に損なったんです。

何か「これだ!」という方法があればすぐに実行するくらいの状態だったと思います。

たまたま見つけられなかっただけで。

誰かに迷惑をかけたくない、という大義名分に縋って生きる理由を探していたという見方もできると思いますが、迷惑をかけたくなくて抱え込んでいるのに誰かに大迷惑をかけたら本末転倒だなって思った・・・こちらの方が正確だと思います。

高熱が出てフラフラでも、息ができなくても、死にたいと思うほどに追い詰められても、誰にも頼れませんでした。

我慢が癖になっていたので。


でも、最近気がつきました。

人に言ってしまえばいいことを言わずに、自分で問題を複雑にしてしまっていたということに。

抱え込むとどんどん問題が難しくなっていくんです。

体調が悪いって一言いえば、死にたいくらい辛いって言えば。

きっとリストカットに依存することもなかったと思うんです。

私にとって誰かに言えないことは強さであると同時に弱さでした。

抱え込むことで生きにくくしていたんですね。

ただ、気づいたところで人に頼れるようになるわけではありません。

きっとこれからも一人で耐えようとするし、我慢もやめられないと思います。

これでもマシになった方です。

中学・高校と拒絶しない保健室に育ててもらったおかげで、少しずつですが「しんどい」くらいは言えるようになったんです。

ちゃんと心配してもらえるという経験もしました。

本当にありがたい、の一言に尽きます。


つい先日、とてもショッキングなニュースが流れてきました。

まさか、としか言いようのない出来事でした。

素敵な歌声、印象に残る大きな目、明るい人柄・・・本当になんで、と思ってしまいますが、きっと人に言えない辛さがあったのだと思います。

衝動的な出来事であったのは確かですが、そこに至るまでは計り知れない葛藤があったことは間違いないと思っています。

それを隠すのが本当に上手だったが故の出来事だと、私は考えています。

そこまで頑張らなくてもよかったのに、と私の母は言っていました。

確かにそう思う気持ちもわかります。

でも私は、それよりも「十分に頑張った結果だから、もうゆっくり休んで欲しい」という気持ちでいっぱいです。

こんなに頑張った人を責められないと私は思うのです。

コロナ禍になってから、不思議と悲しいニュースが相次いでいます。

私にできることは少ないでしょうが、これから出会う人に対しては頑張りすぎないでほしいと伝えられるような人間になりたいと思っています。

そう言うからには私もそうなりたいなと思います。

ぼちぼち頑張ろ、位で生きていきたいですね。


最後に、私が大好きな傘村トータさんの『贖罪』の一節をご紹介して終わろうと思います。

ご存知の方も多いでしょうが、友人に勧められて傘村さんを知るきっかけになった、思い出深い曲です。

心にグサグサ刺さりまくる歌詞がお気に入りです。

転調した後の歌詞が今日のブログの内容とリンクしています。


傘村トータ 『贖罪』より一部抜粋 

贖罪 / feat. VOCALOIDs

「贖罪」


作詞・作曲・調教・動画:傘村トータ
歌:IA & 結月ゆかり & 初音ミク & Fukase & Ken (vocaloid)...

youtube#video

 


愛されているのを自覚しなかったこと

特別を当たり前と思ったこと

生まれてきたことを後悔したこと

抱えきれないものを背負おうとしたこと

ああ今日も少しずつ生きていこう