姫路城の平成の修理工事が5年を経て完了3月27日から一般公開が再開されています
「桜と白亜の優美な大天守を観賞」を楽しみにしていましたが 公開を待ちに待った大勢の来城者で
大混雑とのこと 桜のシーズンをさけ 6月5日お天気は曇り午後3時ごろからのの予報でしたが
友達6人マイカーで安芸を6時に出発 葉桜の姫路城を観に行きました
平日の しかもお天気危ういにもかかわらず まだまだ大勢の観光客でにぎわっていました
平成5年12月に奈良の法隆寺とともに日本で初めての世界文化遺産になった姫路城
姫路城は1333年頃 赤松則村(のりむら)が姫山に砦を築いたことから始まりまり
羽柴秀吉が毛利攻めの拠点として1581年三層の天守を築き 関ヶ原合戦後
池田輝政が1609年五層七階の天守閣を完成 1618年本多忠政が鷺山に
西の丸を築き 初代から十三氏 四十八代 戦火に遭わず明治に至っているそうです
5層7階(地下1階地上6階)の大天守と 左に西の小天守 乾小天守
白鷺城とよばれる壮麗優美な お姿です
大手門( 入城口)を入ると三の丸跡の広場になっています
二の丸への入り口 菱の門
いの門 水一門
築城当時は 「いろは・・・」順の門が15 その他の門が69 合計84の門があったそうですが
現在はいろは順が13その他の門が8合計21の門が残っているそうです
天守閣に近づくと 台所櫓へ水を運んだとされる門に「水」が付けられ「水六門」まであります
次々と門があり敵の侵入を阻むための関門が多いのに驚きです
姥(うば)が石
1580年 羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として 姫路城主の黒田孝高(官兵衛)から姫路城を譲り受け
1年で三層の城に改築したそうです このとき城の石垣の石がなかなか集まらず 困っていると話を聞いた
城下で焼き餅を売っていた貧しい老婆が「せめてこれでもお役に立てれば」と古くなった石臼を差し出したところ
秀吉は大変喜び 乾小天守北側の石垣に使い この話が評判となり 人々が競って石を寄進して
工事が順調に進んだといわれています
「水五門」ここの辺りから 天守へ入ったと思います
ここの辺りに来ると おしくらまんじゅう式に長蛇の列で前に前に進むだけ
天守内は お天気の関係か うす暗くて 下手もあって写真がうまく撮れませんでした
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天守を支えている東西2本の大柱(心柱)があり
地階から6階の床下まで全長24.6m延びているそうです
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大天守の3階の四隅に武者隠し(むしゃがくし)」と呼ばれる空間があり
内部に攻め入った敵を 隠れた兵士が応戦できるようになっているそうです
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大天守の各階に説明版が設けられています4階 最上階6階
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最上階に姫路城の守り神 長壁神社(おさかべじんじゃ)が祀られています
夏には 長壁神社の ゆかたを着てお祭りを楽しむ「ゆかた祭り」があり多くの人で賑わうそうです
最上階西側から 長局(百廊下)と化粧櫓が見えます
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a5/a0bfc2bb99158d98ed790024353da51f.jpg)
二の丸の広場に「お菊井戸」と呼ばれる「播州皿屋敷」で知られている古い井戸があります
1500年頃 姫路城主小寺則職(のりもと)の執権青山鉄山(てつざん)は城を乗っ取ろうと
同士の町坪弾四朗(ちょうのつぼだんしろう)と 企てます それを察した忠臣衣笠元信(きぬがさもとのぶ)は
愛人のお菊を鉄山の家に 奉公させて企みを探らせ 花見の宴で城主を毒殺しようとする鉄山の陰謀を知り元信は
城主を助けることができました お菊の動きを知った弾四朗はお菊に「自分のものになれ」と言い寄ります 元信を慕う
お菊がそれを拒むと 弾四朗はそんなお菊を憎らしいと思い 青山家の家宝の10枚揃いの皿の1枚を隠し その罪を
お菊に負わせ ついにお菊を切り殺し井戸に投げ込みます その後毎夜 井戸の底から
「1枚2枚3枚・・・・・9枚」と9枚までを何度も数える悲しげなお菊の声が聞えたと言います
やがて 元信らが鉄山一味を滅ぼし お菊は「於菊(おきく)明神」として十二所神社内に祀られているそうです
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西の丸 百廊下の入り口
菱の門から左に曲がると西の丸にでます
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西の丸には 長局(百間廊下)」と「千姫化粧櫓」があります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/88/26f1478f337cfac280caeee229edffce.jpg)
300mもの廊下が延々と続き廊下の右手には千姫に仕えた
侍女たちが住んでいたという部屋が幾つも並んでいます
その部屋に 姫路城築城の伝統の技術や防御の仕組みなどが展示され
千姫ゆかりのことなどが紹介されています
千姫は(徳川秀忠の長女 家康の孫)7歳で豊臣秀吉 淀君の息子秀頼(従兄)に嫁ぎますが
大坂夏の陣で夫秀頼は自害 豊臣家は滅亡 千姫は燃えさかる 炎の中から助け出され
江戸城に帰る道中の警護にあたっていた 姫路城主本田忠正の息子忠刻(ただとき)と再婚します
千姫20歳 忠刻21歳 持参金は10万石 姫路城三の丸に千姫のために武蔵野御殿が
建てられ 勝姫 幸千代の一男一女に恵まれて 忠刻と姫路城で暮らした10年間が千姫にとって
一番の幸せなときだったそうです が幸千代を3歳で病で亡くし 5年後夫忠刻も31歳で病で亡くし
江戸に帰った千姫は髪をおろして天樹院と号し竹橋御殿で余生を送り70歳の生涯を閉じたそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/49/1ce71414f080ed1e9f0ae55544ea8bd6.jpg)
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の姫路城の模型です
1546年 御着城の家老で姫路城の城主黒田職高の長男として
黒田孝高(官兵衛)は姫路城で誕生しています
手前 化粧櫓と 長局(百廊下) (西の丸御殿 天守閣6階から)
西の丸御殿内で百人一首を楽しんでいるところ
西の丸庭園から大天守を観る
見事に積み上げられた石垣に白亜の壮麗優美圧倒的な姿は
まさに 世界文化遺産の雄姿です
マイカーご一行のみなさん
おしまい
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