他人の不幸は蜜の味。
この言葉、昔から言うけれど、
考えてみると、恐ろしい内容であり、
悲しい言葉である。
まず、誰もが自分もしくは家族に
不幸が振りかかるととても悲しい。
では、なぜアカの他人なら
うれしいのだろう。
オイラが思うに、常に人は、
他人に対して優越感を
もっていたい。という感情がある。
俺はアイツより上だ。みたいな
また、自分の置かれている
状況によっても
感情は変わってきます。
仮に、
来週結婚するという
超幸せな立場の場合と
自分が大変な不幸に
見舞われている場合では、
当然感情の持ち方は違う。
病気、事故、リストラ、ペットの死
いろいろ不幸というものは、
人間生きているなら
必ず降りかかってくるものである。
そんなとき、多くの人は、
周りに慰めてもらいたくなる。
ネット社会の今日
自分と同じ境遇の人の話を
検索してしまうだろう。
そこで、自分と同様に苦しんでいる人の
体験談や克服談を参考にし、
自分を立ち直らせていこうとするものである。
あるいは、自分より不幸な方がいれば、
「自分はまだマシな方だ」とか
「世の中にはもっと不幸な人が多くいる」とか、
自分の心を納得させる為に
他人の不幸を利用してしまう。
自分が不幸な時に、他人の幸せな話
なんて聞きたい人は少ないはずだ。
そんな方は
よっぽど、人間ができているのでしょう。
今、人間関係が希薄な時代になっている。
ましてや、心に余裕の無い人も多い。
この殺伐とした時代では、
正義の割合が高い心を持つ人は
少ないのであろう。
2チャンネルとか見てみればわかるが、
恐ろしいほど、他人をおとしめる
言葉が並べられている。
あなたは、どうだろうか?
次の文章を読んで
どう思いますか?
あるブログから、
「私は先日、会社から突如、
リストラされた。
今まで、会社のために一生懸命
汗水たらして働いてきたのに、
突然部長より言い渡されたのだ。
私も抵抗した。
いくらなんでもそりゃないだろう。
会社の売上が落ちているのも
わかるが、社員の生活は
どうなってもいいのか!
結局、少ないながらも
退職金(100万弱)を出せる
うちということで、
会社の精一杯の対応とのことだ。
私は、会社を辞めた。
私には、妻も子どもと年老いた
両親がいる。
どう伝えれば良いかわからずに、
今だに伝えていない。
ちくしょー
悔しいよ、悲しいよ。
数日後、不幸とは続くもので
妻が交通事故にあっってしまった。
足の骨を折って全治2ヶ月の入院である。
どうして私ばかりに
こんな不幸が続くのだ。
私もこのところ、
だいぶ精神的にまいっているので、
今日から精神科に通うこととなった。
先生の話では、うつ病だと言われた。
正直言って先が見えない・・・。
家のローンが後20年残っている。
今日も私は、仕事をいくフリをして
ハローワークに通うこととなる。
だが!
私は諦めない。
こんなところで負けてたまるか
前向きに頑張ろう。
頑張って、病気を治して見せるぞ。
仕事も探してみせる。
どうか、皆さん
応援してやって下さい。」
(終わり)
・
・
・
・
・
追伸、
先日買ったロト6が2億円当たりました。報告まで。
さて、どうですか?
適当に作った作文ですが、
おそらく、最初の方はがんばれ!って
応援したくなりませんでしたか?
それは、きっと
この人が自分より下の境遇に
あるからです。
でも、追伸で
一瞬で感情変わりませんでしたか?
境遇が逆転されたので
良い感情を持てなかったと思いません?
自分の境遇が相対的に下がれば
良い感情が消失し、悪い感情が出てきます。
悲しいかな、人の心とは
そういうものです。
人生80年。
心の中のこととはいえ
人の不幸を何らかの糧にして
生きるなんて、
考えてみれば、
非常に悲しいことではありますね。
日々成長です。
【ヒゲ親父】