筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

基地返還50年_白木原ベース通りの建築5

2022-09-07 21:58:45 | 戦後史

白木原バーガーショップ、白木原ビアホール
(白木原バーガー・レストラン)

白木原ベース通りの中央付近にあったとされるが、
正確な位置は忘れ去られた伝説のレストラン。
知られる限り残された写真は2カット。1955年頃には存在した。
切り妻の2階建ての日本家屋の1階がレストランに改装され
隣接するビアホールはいかにもレストランから増設したような
箱なりの構造の平屋。レストランの外壁は緑紺色、窓とドアの枠はアイボリーホワイト。
ビアホールは水色でいかにもアメリカン。
名物のバーガーは地元民にも愛され、記憶の味を復活させる動きがあるらしい。

https://www.kasugabaru.net/%E6%98%A5%E6%97%A5balloon%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF/
春日バルーンフェスタ(2022.9.10 SAT)
春日ベース・ハウスの会 /春日ベースバーガー(キッチンカー販売 於西鉄春日原駅西口)

http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s001/20220715210303.html
大野城市HP 西鉄大牟田線高架事業完成を記念したイベントの概要
「まどかマルシェ (2022.9.10 SAT)
西鉄天神大牟田線の下大利駅前、白木原駅前、春日原駅前通りと大野城市役所まどか広場の4箇所でマルシェを行います。その他にも、廃線ウォーク、いろんな車大集合展、大野城心のふるさと館でのイベントなどを実施します。商品総額50万円分相当の賞品があたるスタンプラリーも実施しますので、ぜひ全ての会場をお楽しみください。」



基地返還50年_白木原ベース通りの建築4

2022-09-06 22:07:37 | 戦後史

ジャック(刺繍店)とプレイメイト(パブ)

白木原ベース通りにはバーバーやテラーをはじめとして
同業の複数の店舗があったのが一つの特徴だろう。
ネーム屋もその一つで、ジャックは昭和55年までは通りに遺って
スポーツ関係や制服のネームを商売としていた。妻入り式2階建ての住居兼店舗。
現在、春日市一ノ谷にある五島ネームなどもこのベース通りでの商売の名残と聞く。

西隣のプレイメイトはパブ。飲み屋の客は店で黒人と白人がはっきり分かれていたという。
妻入り2階建てで箱型の店舗で、通り側の2層目には猫耳形の装飾壁が造り付けられていた。
個の2軒の位置は、通りの南西側でジェイムズ・ホングテイラーの数軒西隣の位置にあった。

基地返還50年_白木原ベース通りの建築3

2022-09-04 22:08:25 | 戦後史

ジェームス・ホングテーラー

現在の白木原陸橋南側のライオンズマンション入り口付近にあった中国系のオーダーメイドの洋服店。
基地は昭和47(1972)年に返還されたが、この店舗の建物は昭和55(1980)年頃まであった。
妻入り式で店舗用に建てられた日本式の家屋。
昭和20年代と思われる画像には、通り側に建物に取り付けた外屋の屋根が掛かっている。
昭和37(1962)年の地図では西隣は共同タクシーの事務所になっている。

参考
https://www.youtube.com/watch?v=nE5BKdJuheg

基地返還50年_白木原ベース通りの建築2

2022-09-03 22:21:08 | 戦後史

AIU保険局

白木原陸橋北側のJR鹿児島本線から最初の角
昭和20年代後半頃の風景。
AIUは後のAIM。
入母屋2階建ての純日本家屋を改装して店舗にしてある。
手前はフォードの代理店か。
基地内のディペンデントハウスゾーンではアメ車が走り、そこはアメリカだった。
米兵は2年ほどで勤務地が変わるため商売は今のディーラー以上に複雑だったのだろう。

参考
https://www.youtube.com/watch?v=nE5BKdJuheg

基地返還50年_白木原ベース通りの建築1

2022-09-01 21:54:06 | 戦後史

アーコン商会

米軍兵士向けの洋服の仕立て屋(アーコン・テーラーショップ)
現在の大野城市白木原通り中央南側にある肉まんの太平閣の位置にあった。
太平閣のオーナーさんが戦後のベース通りで営んでいた店舗。
通りにはインド系と中国系の複数のテーラーがあった。
基地返還後に通りがさびれる中で、最後まで横文字の看板を掲げていた店舗の一つ。
通りに面した1階の壁面は総ガラスのショーウィンドウで、
伝統的な日本家屋を改装した他所の店舗とは違い、一種都会的な高級感があった。