(2)「福岡市史」第1巻明治編第四編産業第二章工業
(「福岡市史」明治編昭和34(1959)年福岡市役所)
「物名陶器(土瓶、茶碗、ユキヒラ、丼鉢、瓶、揺盆、井樋、植木鉢、素焼類は七輪、火
鉢、火掻、炮ろく等なり。)
産地名那珂郡博多上新川端町、瓦町、社家町、下祇園町、同郡野間村の内柳河内、早原郡
鹿原村の内西皿山、粕屋郡須恵村等にて焼出す。
産額数量明治十一年の産額は博多素焼七輪、火鉢、火掻、土瓶、炮漉の類七万八千七百十
個、その価二千八百三十三円五十六銭とす。野間焼は土瓶、ユキヒラ、茶碗の類四1万四千個に
してその価一千二百十円なり。須恵焼は土瓶、茶碗、丼鉢の類十八万個、その価二千四百円な
り。西血山は瓶、播盆、井樋、植木鉢の類二万五千個にして、その価二千円なり。総数三十二
万七千七百十個にして、総価額金八千四百四十三円五十六銭なり。
性質功用博多の素焼七輪・火鉢・土瓶・西皿山の瓶・擂鉢等は粗品なりと錐も・人家日用
のものにてその需要頗る多し。野間焼は京焼に擬せしものなり。
産地面積広陶器製那珂郡博多十七戸、窯所一所に付凡そ十坪、同郡柳河内三戸、窯所二所
共に横三間縦八十五間、粕屋郡須恵村窯所三百九十坪、早良郡西皿山窯所三所、内一所は九畝
五歩、一所は一反二十七歩、一所は六畝歩なり。
自国消費野間焼、須恵焼は悉く自国消費とす。博多の陶器生産額の二部、西皿山焼産額の
八分は自国消費と見倣す可きなり。
内国輸出博多の陶器は大阪、馬関、越前、越中、越後、阿波、安芸、長門、豊前、豊後、
筑後、肥前、長崎、唐津、肥後、壱岐、対馬等の諸国へ輸出す。その数は産額の八分と見倣す
可きなり。早良郡西皿山の陶器は馬関、肥前長崎等へ輸出す。その数は産額の二分とす。概し
て八分と見做すときはその価額六千七百五十円余なり。
外国輸出なし。
費用賃金標準費用賃金区々なるを以て詳かにサず。
事業人当標準事業人当同右
沿革景況早良郡西皿山は享保三年旧藩主の命にて設置す。明治の頃梢や衰微に及びしをま
た、藩命を以て興起し、爾後格別盛大到らざれども、連続して現今も猶焼出す。粕屋郡須恵焼
は宝暦年中設置逐年繁盛せしが、その後梢や衰微すれども現今の景況尚依然たり一。又博多瓦町、祇園町は近世陶器製数戸となり、即今の景況最も隆盛なりとす。那珂郡野間焼は安政三年是又旧藩主の命にて興起するなり。現今の景況資金に乏しくして盛なるに至らず。野間焼の如き京焼に類して需要広し。蓋し資金を入れて拡張せば、将来盛大に至るべきと想像するなり。
(旧西花畑公民館収蔵資料 野間焼のユキヒラ
http://www.city.fukuoka.lg.jp/minamiku/t-shien/charm-event/nisihanahata/nishihanahata-nomayaki.html より)