秦の直道とは・・・
秦の直道とは、北方の匈奴対策のために始皇帝が蒙恬に命じて築造
させた軍用道で、子午嶺という標高1,600~1,800m程の尾根線上を
通過する。首都咸陽北西の雲陽林光宮[漢甘泉宮](陝西省咸陽市
淳化県梁武帝村)から九原郡(内蒙古自治区包頭市九原区)まで延
びており、いわば国家プロジェクトとでもいうべきもので、司馬遷
は「三十五年、除道、道九原抵雲陽、塹山堙谷、直通之。」
(『史記』秦始皇本紀)、「始皇欲游天下、道九原、直抵甘泉、迺
使蒙恬通道、自九原抵甘泉、塹山堙谷、千八百里。道未就」(『史
記』蒙恬列伝)と記しており全長750 ㎞に及ぶともいわれる秦の直
道が完成したとされる。いわば日本の古代官道の源流ともいうべき
ものである。(西海道古代官衙研究会 平成21(2009)年10 月25 日小鹿野氏資
料より)
日本では道路文化研究所を主宰する武部健一が1995年の『道路』4、5号に「道
を訪ねて一中国歴史紀行一馳道と直道 」と題した研究論文を発表するなどの活動
があり、2001年の『地学雑誌』に木下良が「古代日本の計画道路―世界の古代道路
とも比較して―」の中で取り上げている。
(http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf110-1/115-120.pdf)
この度、陜西省富県坡根底区間で行われた発掘調査でこの秦の直
道が見つかったとされている。そこでは直道の路面が50mにわたっ
て確認されいるらしい。
表面には三つの時代の9~10本のわだちが残され、わだちの間の
梁の部分は繰り返し版築されていた。土は黒く、固く締まっていた
。路面の多くの地点に秦漢時代の縄文が入った筒瓦や板瓦が埋め込
まれていたことで、路面からは前漢末年の「大泉五十」も銅銭が見
つかり、道路の絶対年代に信頼できる根拠を提供した。また道の北
側は5mの高さの版築で築いた保護用の擁壁も発掘されている。路面
は秦代に建設され、漢代まで維持されていた可能性が高いという。
(http://www.china-news.co.jp/culture/2009/04/cul09050203.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/daikanyama3461/54151652.htmlより)
平成21年度の西海道古代官衙研究会において筑紫野市古代道研究
会より公表されるDVD番組はその陝西省考古研究院がおこなった直
動の発掘現場を視察し、調査担当者と意見交換会をおこなった様子
が納られている。裏話として、先日のNHK BS2の「古代日本のハイ
ウエー~1300年前の“列島改造”~」では、この中国での取材
がおこなわれながら、残念なことに放映されなかったらしい。古代
道路ファンには必見のDVDとなろう。
平成21年度の西海道古代官衙研究会
日時;平成21年10月25日 日曜日 13:00~
場所;福岡市埋蔵文化財センター
(福岡県福岡市博多区井相田2丁目1−94)
1「中国古代道紀行 秦直道をたずねて-陝西省編-」筑紫野市古代
道研究会(DVD上映)
2「筑紫条坊と前期大宰府の検討」福岡市教育委員会 吉留秀敏氏