筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

博多祇園山笠ことしも洒落で櫛田入り

2021-07-15 05:56:47 | 山笠

コロナ禍自粛で舁きヤマが昨年に続き自粛された中、
今年も7月15日早暁の4:59に西流有志が騎馬戦スタイルで櫛田入りしました。
直前に能舞台が開けられ、阿部宮司が洒落で登場し清道に自然参集した約200名の山笠関係者は大盛り上がり。
太鼓は恵比須流の有志の方が叩かれたようです。
明日への活力を頂きました。

関連ニュース映像(FBS福岡放送さん)
https://www.youtube.com/watch?v=_WDxmuuN6EM

博多の山笠の装飾_岩

2021-07-12 21:10:09 | 山笠

ヤマの人形の背景には「波」「波花(華)」「岩瘤」「道」「雑木」「牡丹」などが用いられます。
形状や表現は人形師によって様々ですが、元は日本画の岩の立体表現です。


「岩こぶ」などは竹ひごを曲げて組み合わせた骨に紙を幾重か重ねて貼り、彩色されています。
表面が紙で芯が竹のため、飾るときにヤマ大工が人形師の指示を受け
収まりの良い位置で針金を裏から通して固定できるものです。
重ねて隙間なく飾る必要があるため、根元が団扇のような形になっています。


人形師;小嶋慎二氏

人形師;置鮎正弘氏

尖頭に金紙を用いるのが伝統的な手法で、沈んだ背景の中に煌びやかさを演出します。

人形師;白水英章氏


人形師;田中勇氏


人形師;中村信喬氏

彩色や表現は人形師それぞれで異なり、ヤマの味や風格の要素となっています。
「ヤマほめ」(様々な山笠の見学)の際に改めてご覧になってはいかがでしょう。



びっくりしてがっかりした信喬さんの山笠

2021-07-11 08:06:32 | 山笠

山笠の飾りに変化が見えています。
今年びっくりしたのは中村信喬さんの天神一丁目の山笠です。


飾り山の装飾である「岩こぶ」がデジタルで作画され、
厚紙に印刷された立体組み立て式のパーツとなり、
これもまた印刷された「川」「波花」「雑木」「雲」「道」
と組み合わせたモジュールとして演示されていました。
2012年頃から天神一丁目や中州、櫛田神社の飾り山で、
砕け散る波頭を表現した「波花」に印刷もののような
同じ意匠のパーツがあり気になていましたが
今年ついに背景がほぼ印刷ものになってしましまいた。
造形の揺らぎがなく手仕事の良さが全否定された感があり、がっかりしました。
ヤマに違和感を感じた方は少なくないと思います。
真摯な手仕事にこそ神が宿るのではないでしょうか?
デジタル出力でよいなら人形師でなくイベント会社でも安価で請け負えると言われそうです。

コロナでなくてもクライアントさん達は売り上げが減る中で山笠に出資をできなくなりつつあり
協賛を取りやめる判断をしたり、出資を減らしたりする中で今年のヤマが成り立っています。
今年、上川端ではデジタル3Dのヤマが演示され注目されています。
新しい流れは必要ですが、手仕事を捨てた先の
人形師(伝統工芸士)の立場が危うくなることを強く心配します。
博多のヤマ好きの間で大いに論議してほしいものです。


2011年の天神一丁目「尊氏多々良浜誉」中村信喬作
まだ迫力と立体感のあった頃の信喬さんのヤマの飾り


十七番ソラリア山笠 筑紫遷都誉

2021-07-08 06:28:19 | 山笠

【見送り】 筑紫遷都誉(つくしせんとのほまれ) / 人形師:小嶋慎二

日本の古代国家はアジアの接点「福岡」の地から始まった!

(解説)西暦 661 年。朝鮮半島での友好国百済(くだら)の滅亡という有事に際して、
時の女帝であった斉明天皇が飛鳥の地を出て都を初めて近畿の外の「筑紫」(現在の福岡)の地に移しました。
この遷都には斉明天皇の皇子である、中大兄皇子(後の天智天皇)や弟の大海人皇子
(後の天武天皇)をも伴った本格的な遷都でした。  
その地は『日本書紀』によれば那の津にほど近い「磐瀬宮(いわせのみや)」と記され 、
そこは間もなく「長津宮(ながつのみや)」と称されます。
その後、宮はさらに「朝倉橘 広庭宮」(あさくらたちばな ひろにわのみや)に移されました。
「磐瀬宮」の推定地の一つは西鉄高宮駅付近とされ、「磐瀬橋」にその名が残されています。
「朝倉橘廣庭宮」は朝倉市や小郡市、太宰府市などの説があります。
この出来事の後、天智天皇や天武天皇の施策が礎となり、東アジアの規範に準拠した律令
制度に基づく古代国家「日本」が誕生しました。
この福岡の地にかつて国都があったことは、この地が地政学的に古代からアジアとの接点であったことを物語っています。

登場人物;斉明天皇、中大兄皇子、大海人皇子、阿倍比羅夫、朝倉山の鬼