筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

野間焼について3

2013-03-24 22:10:11 | 野間焼
(3)「市窯業研究所」(昭和4(1929〉年3月27日福岡日々新聞の記事
「福岡市史J第4巻昭和前編(下)昭和4工(1966)年福岡市役所に収容)

「堅粕にあって、本市の持産品である高取焼、野間焼および博多人形を始め、各種窯業の改善発達を図る目的を以て、昭和四年三月設立を見た。同所は窯業に関し各種原料の品質試験・輸出向硬質人形の製作試験およびタイル製作試験等を行う外、諸種の講習会又は講話会を催し、これら特産品の品質向上のため、不断の研究を続け、指導奨励に努めた。
 (中略)近時欧米諸国に新販路を求めている博多人形を始め、駅売茶瓶を一手に製造する野間皿山焼並びに封建時代より有名なる高取焼をそれぞれ改善発達せしめて、現在の生産額総計約六十万円を更に大いに増加すべく、福岡市は市立窯業研究所を市内中の島に建設し、咋二十六日午後一時前記三種の生産団体肝入りで、火入式を兼ね研究所落成式を挙行し、市長、産業課長、市参事会貝等列席した。
 因に同研究所昭和四年度経費予算は九千八百八十八円である。」

※堅粕は福岡市博多区堅粕で、窯業研究所は現在の博多青松高校付近にあったものか。
※中の島は博多区中洲中島町

(野間焼による初期の駅売り茶瓶(ロクロ引きの徳利形) 
内面に鉛ないしホウシャ釉を掛けた軟質陶器で、駅で回収して
再焼成して使用したというリユース品だったとか・・・
(その後、水ガラス入りの溶き粘土を用いた流し型によるものに変更された)
http://www.city.fukuoka.lg.jp/minamiku/t-shien/charm-event/nisihanahata/nishihanahata-nomayaki.html より)

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