筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

野間焼について5

2013-03-25 22:53:50 | 野間焼
(4)「野間焼」(「日本近世窯業史」1921年(「日本窯業史総説」1991年柏書房第5巻収容))
「那珂郡野間村の陶器は、安政三年、藩庁より京都の陶工佐々木與三を招きて、陶業を起こすに創まる。明治十二年、與三の帰京に際し、同村澤田舜山が其工場を購ひ、日用雑器を製して、今に継続す。原土を同村柳河内に取り、釉薬は天草深江、其他五島のもの、及び本村近傍多尾村(長尾ないし中尾の誤りか?)の地より買収すといふ。(明治十八年の調査による、)。

 (イ)なほ参照するに、野間焼は安政三年六月、当藩主の命により、佐々木與三、横田與七の両人が那珂郡野間村の字柳河内に於て創製せり。京焼の類にして、土瓶、急須、茶碗等を製出す。近年来、其需要頗る多しという。

 (ロ)当窯は、安政四年、黒田家の御用にて開きしが、廃藩の際に止めり。かくて其時、従事せる京工佐々木與七の両人にて、之を継続したり。澤田舜山も栗田陶工にて、先に当国須恵村の製磁業のため、当藩主に招かれしが、廃藩後は須恵焼を自営せり。然るに明治十年、佐々木與三兵衛の帰京に際し、其跡を引受て之に入れたり。(年代及び人名に小差を見るも、姑く略す。)」


澤田舜山作とされる染付磁器徳利(科学呉須による絵付け。
http://www.city.fukuoka.lg.jp/minamiku/t-shien/charm-event/nisihanahata/nishihanahata-nomayaki.html より)


(旧西花畑公民館収蔵資料 野間焼の土瓶(京焼風)
http://www.city.fukuoka.lg.jp/minamiku/t-shien/charm-event/nisihanahata/nishihanahata-nomayaki.html より)

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