筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

野間焼について20-名残の遺構9-

2013-06-09 23:29:44 | 野間焼
記事を書くと気になるもので、その「奥の1軒」の場所に行ってみました。


新しいコンクリート積みの壁面に時間の経過を感じつつ
恐る恐る近寄ると・・・・


なんと窯そのものは時間の経過も感じさせない雰囲気で
そのままそこに残っていました。
筑前陶器の一大産地であった野間皿山に残された
地名の由来を示す貴重な遺構です。

野間焼について19-名残の遺構8-

2013-06-09 00:37:29 | 野間焼

92年撮影のフィルムにはもう一つの貴重なカットがありました。
小林窯とは丘陵の反対、南西側にある煉瓦積みの空吹窯の跡です。


外壁と竹林の中に埋もれたような状態で撮影されています。

『現在の日本民窯』昭和十七(1932)年記事の「奥の二軒」のうちの
1軒に当たる屋敷の敷地入口にこの窯はありました。
92年当時に小林家にいらした奥様にお話を伺った際に、
奥の家には戦後山水土瓶の絵付け名人の
お婆ちゃんがおられたことを話されていました。
『現在の日本民窯』の記事からも小林家が行平を
奥の家は土瓶を得意として製造していたようです。

野間焼について18-名残の遺構7-

2013-06-07 22:59:19 | 野間焼

同じフィルムには92年時点の小林工房の状況も写っていました。


今回の工事着手直後の同じ個所の風景です。

『現在の日本民窯』昭和十七(1932)年柳宗悦編には
「山の麓の一軒が石炭窯で汽車土瓶を焼くが、
奥の二軒が行平だとか土瓶だとかの雑器を焼く。」
とあります。
小林工房はどちらかといえば丘の上にありますので、
「奥の二軒」のいずれかでしょうか?
行平の取手に「小林製」とあるものが
太宰府市の大町遺跡の報告書に見られますので、
先の記事とは内容が合うようです。

野間焼について16-名残の遺構5-

2013-06-03 23:31:55 | 野間焼

工房内では石膏型を載せた轆轤台がありました。
外型は轆轤で回転し内型はハンドルで下がる
あて具としての板が使われている状況でした。



これによって同じサイズの製品を多量に造ることができます。
この岡本窯ではホウロクや行平などが造られたようで、
小林窯では土瓶、行平、鉄道茶瓶などが多く造られたようです。