筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

基地返還50年_白木原ベース通りの建築3

2022-09-04 22:08:25 | 戦後史

ジェームス・ホングテーラー

現在の白木原陸橋南側のライオンズマンション入り口付近にあった中国系のオーダーメイドの洋服店。
基地は昭和47(1972)年に返還されたが、この店舗の建物は昭和55(1980)年頃まであった。
妻入り式で店舗用に建てられた日本式の家屋。
昭和20年代と思われる画像には、通り側に建物に取り付けた外屋の屋根が掛かっている。
昭和37(1962)年の地図では西隣は共同タクシーの事務所になっている。

参考
https://www.youtube.com/watch?v=nE5BKdJuheg

基地返還50年_白木原ベース通りの建築2

2022-09-03 22:21:08 | 戦後史

AIU保険局

白木原陸橋北側のJR鹿児島本線から最初の角
昭和20年代後半頃の風景。
AIUは後のAIM。
入母屋2階建ての純日本家屋を改装して店舗にしてある。
手前はフォードの代理店か。
基地内のディペンデントハウスゾーンではアメ車が走り、そこはアメリカだった。
米兵は2年ほどで勤務地が変わるため商売は今のディーラー以上に複雑だったのだろう。

参考
https://www.youtube.com/watch?v=nE5BKdJuheg

基地返還50年_白木原ベース通りの建築1

2022-09-01 21:54:06 | 戦後史

アーコン商会

米軍兵士向けの洋服の仕立て屋(アーコン・テーラーショップ)
現在の大野城市白木原通り中央南側にある肉まんの太平閣の位置にあった。
太平閣のオーナーさんが戦後のベース通りで営んでいた店舗。
通りにはインド系と中国系の複数のテーラーがあった。
基地返還後に通りがさびれる中で、最後まで横文字の看板を掲げていた店舗の一つ。
通りに面した1階の壁面は総ガラスのショーウィンドウで、
伝統的な日本家屋を改装した他所の店舗とは違い、一種都会的な高級感があった。