チャルチャン、チャルクリクの街は新しい。
どこか見覚えのあるニュータウン。
西安で、ウルムチで、カシュガルで、乾いた村で感じたノスタルジーを求めて私は砂漠の見える道を歩いた。
一歩一歩進むたびに砂が舞い上がる。
埃っぽさにも慣れた。
目が少し痛くて閉じていると、いつのまにか日が暮れかけている。
地平線近くは雲があるせいか霞んでいた。
赤い夕陽が世界を染めていく。
ゆっくり、ゆっくりと。
地平線に沈むわけではない夕陽がフェードアウトしていく。
夢で見る幻想そのもの。
タクラマカン砂漠を縦断、北のコルラを目指す。
荒涼とした景色はいよいよ本格化し、風は強まる。
ねえ1人で置いてかれたらどうする。
多分発狂して死んじゃうな。
3日はもつかな。
1日もきついかも──うねる砂丘が冒険の厳しさを物語る。
何度かラクダの骨を見つけた。
隊商は動けなくなったラクダをそこに放置していったのだろう。
ラクダの骨が道を作る。そうやってシルクロードは完成した。
今の砂漠公路や南疆鉄路もシルクロードなのだが、私はラクダや人の『生きた跡』こそがシルクロードであると思う。
かすかな希望をもって砂漠を突き進んだ跡。
胸躍る躍動を抑えながら一歩一歩を踏みしめた跡。
その道を今行っているかと思うと、私の胸も何だか弾んできた。
砂漠の果てに何が見えるんだろう。
私の未来には何が待っているのだろう。
不安を感じるが、それは些細なこと。
気にしていたら、早すぎる時間の流れに置いてかれてしまう。
楼蘭美女やラクダになっている場合ではない。
一歩一歩進まなければならない──。
楼蘭人の末裔が住んでいるという村に着いた。
村人の姿は見えないが、古代の生活を復元した模型がある。
土に伸びる影の先には砂漠が広がっていた。
沈み始めた夕陽に目が霞む。
頂上に2,3の影が見えたので登ってみることにしたが──鳴砂山再び。
登った先にはやはりまた砂山が続く。
その向こうそのまた向こうにも。
きっとどこまでも続いていくのだろう。
心が体に晒されている。
寒くて冷たくて不安になってきた。
夜のタクラマカン、生きては帰れない死の砂漠を実感する。
北京時間20時過ぎ。太陽が少しずつ地平線に沈み始めた。
砂が赤く染まる。
私たちは声を失って魅入っていた。
見たこともないこの景色。
普段は忙しくて空を見上げることさえ忘れていた。
それなのに──今見ている太陽と空は遠く日本まで繋がっている。
同じ太陽をいつか見るだろう。
そのときに私はどんな気持ちを抱いているのか、
どんな生き方をしているのか。
石油の街コルラ。
石油の採掘が始まったことにより、コルラの街は激変した。
ウルムチばりの大都会。
孔雀河にはイルミネーションが点り、旅人の心を癒す。
砂漠縦断を終え、ここからまた鉄道の旅。
そんな折に近代都市を訪れると、日本への郷愁をかきたてられた。
懐かしい。
皆どうしてるかな。
元気してるかな。
花粉そろそろ飛び始めてるだろう。
それでもまだ帰りたくない。
語り足りないものがある。
伝え切れてないことがある。
もどかしさを抱えながら、笑って大貧民をする。
デジカメをのぞきこむ。
酒を飲み交わす。
外で一服する。
行きの船でやっていたことと同じだが、今は何かが違う。
確かな絆がある。共有した思い出がある。
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→〈05冬、シルクロード・タクラマカン周遊〉トルファン~西安
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