木曜時代劇『ちかえもん』最終話のネタバレ感想まとめである。
万吉とは何なのか。作家とは、物語とは何なのか。
※ネタバレします。ご注意ください。
関連リンク
・『ちかえもん』7話、親不孝子不孝、あほぼん逃避行。
・『ちかえもん』6話、義太夫わりと活躍、狸大活躍なのである。
・『ちかえもん』5話、業深き人形浄瑠璃書き・近松門左衛門。
『あさが来た』『あまちゃん』他、朝ドラ関係の記事はこちら。
・朝ドラ感想記事のまとめ。
他大河ドラマ『真田丸』、民放ドラマ、NHKスペシャルはこちら。
・少々真面目で結構ゲスいテレビっ子の備忘録まとめ。
■死出の旅へ
アバンで復習、万吉の「今生があかなんだらあの世で一緒にならんかい」。
ひたすらゾッとする言葉だったけれど結末まで観たらものすごく納得がいく、とても万吉らしい言葉だ。
「お初。…私は自害する。それより他に身の潔白を証し立てる手があれへん」
「あの世で待っとるさかい…何十年でも待っとるさかい…」
「きっといずれ…あの世で一緒になろう」
「いずれと言わず今すぐに。徳様と離れて何で片ときも生きておられましょう。初も死出の旅にお供さしておくなはれ」
背景の桜の美しさ、徳兵衛の傷の痛々しさ、お初におちる花びらの美しさ、二人の運命の切なさがしみる。
お初も共に死ぬことを申し出たとき、徳兵衛が泣きながら笑うのが綺麗だった
■痛快娯楽時代劇だから
「これは痛快娯楽時代劇や。ほんまに死ぬ訳があらへん」
近松先生……
メタ発言だけどおっしゃるとおりです。
■曽根崎の天神の森にて
「曽根崎の…天神の森や」
曽根崎の天神の森。
『曽根崎心中』のキーワードが出てきて、ドキッとした。
万吉にふたりを止めに行かせたのはちかえもんだろうけど、天神の森という情報を渡したのは万吉か。
もしかすると心中なら天神の森、と勧めたのも万吉か。
「何でや…?徳兵衛!」
「若旦さん!お初さーん!」
平野屋と喜助の泣き声を聞きながら、意味深な表情の万吉。
「これで書けるか?」と言っているようで。
ちかえもんもどこか物書きスイッチが入ったようで。
■人の不幸は蜜の味
「心中やで~!」で街中の人たちが集まる人たち。
『死んであの世で添い遂げましょう』ってワンフレーズが人の心のどこかに響くからなんだろうな。
「はぁーなんでまたこないなことになったんでっしゃろ」
「どうもあの黒田屋がそこまで追い詰めたらしいわ」
「わしらが気ぃ付いてやれなんだばっかりに…」
「はあ…かわいそうな事した…」
ここのやりとり、「こないなこと」「かわいそうなこと」って言ってるだけ。
何も嘘は言ってないんだからすごい。
■浄瑠璃作家・近松門左衛門
「ありえへん…何かの間違いや。誰かうそやと言うてくれ」
「うそや…あれへんのんか…?これはほんまの事なんか…?」
嘘だと信じたいちかえもん。
でも真実味を帯びてくる。
「何でそこまで思いつめたんや…他に道はあれへんかったんか…」
「それが恋いうもんなんか…?何でや…何でや…何でや…」
受け入れようとしながらも信じたくない、と問い詰めるちかえもんが切なくて。
だからちかえもんは、お初と徳兵衛をせめて物語の中でもう一度生かそうとしたのかな。
「ああ…わしはあかん人間や。こないなときに涙も出ん」
「涙の代わりに言葉があふれてくる。言葉があふれて止まらん…言葉が溢れて…止まらん…」
涙は出ない、でも言葉が溢れてくる。
それが物書き。
ナレーションながらも真に迫ってくる浄瑠璃作家・近松門左衛門。
■5月7日、幕が上がる
そして完成した人形浄瑠璃『曽根崎心中』。
「5月7日に…幕開けるで」
書き上げた『曽根崎心中』、初演予定日を告げる義太夫。
やつれたちかえもん。
やっぱりちかえもんは笑顔がいいな、と思ってたら義太夫に女子力発揮してて笑ったww
久しぶりにお袖に会ったちかえもん。
前金をもらってお袖を天満屋の外へ連れ出して、まだ見たことがないと言っていた浄瑠璃を見せてあげる。
「見に来てくれるか?お袖」
「行くに決まってるやろ。くそじじい」
いつになく真剣なちかえもんと、「行くに決まってるやろ、くそじじい」のお袖がもう素敵で素敵で。
■ノンフィクションをフィクションに
「大丈夫なんやろか…?この大坂でほんまに起きた心中事件を題材にした人形浄瑠璃なんぞかけて、誰ぞに怒られへんやろか?」
いざその日を迎えたとき「大丈夫だろうか?」と。
ノンフィクションの事件や事故、災害をモデルや舞台にしてフィクションを描く人たちはみんな通る場所なんだろうな。
「こない人形浄瑠璃にしてもろてありがたい。わしはそない思てまっせ」
「近松っつぁんが聞いたら安心しますわ」
それでも当事者たちが「ありがたい」「弔い」だと見てくれる。
ちかえもんの物書きとしての人望力があってからなのかもしれない。
文句や愚痴は心の声にして、見た目は温和な初老のおっさん。
7話までずっとそれが描かれたのかもしれないとか思うと…
そして浄瑠璃のもうひとりの作り手、義太夫。
彼もちかえもんに似た不安を抱いていたのかもしれない。
上演前に平野屋や天満屋から言葉をもらうことで、見事な初演を成し遂げたのか。
■黒田屋久平次
「夢だったんですよ。物語の登場人物になるのが…」
「書いてほしかったんですよ。先生に…私の物語を…」
「舞台の上で生きてみたかったんですよ」
この男の存在を忘れていた、黒田屋九平次。
てかこの黒田屋のかっこよさ、天井突き抜けた。
『ちかえもん』という物語の中で、「物語の登場人物になるのが夢だった」と黒田屋。
舞台の上で生きたみたかった男、黒田屋。
そして、竹本座では舞台の幕が上がる。
なんだこの入れ子構造…!
「悪くありませんよ!近松先生!」
「物語を盛り上げるのは…常に適役。先生はよーくご存知だ」
ドスたっぷり効かせて黒田屋。
敵役が物語を、悲恋を盛り立てる。
『ちかえもん』も『曽根崎心中』も。
■もう一つの筋書き
「負け犬では終われないんですよ」
「『曽根崎心中』はね、先生。お初徳兵衛が死んで終わりじゃあないんですよ」
「お初徳兵衛が死んだのを幸いと、金と名声を得ようというあさましい腐れ戯作者を…たたき殺す!!」
しかしあくまで主役はお初と徳兵衛。
黒田屋は『曽根崎心中』の中では徳兵衛に勝った(曽根崎における勝利ってなんだ?)しても、
『曽根崎心中』の外ではあくまで主役を引き立てるための負け犬。
それでは終わらせない黒田屋の語る『曽根崎心中』の筋書き。
黒田屋の『曽根崎心中』は、「あさましい腐れ戯作者」をたたき殺す結末。
あさましい腐れ戯作。
それは赤穂義士も平家の残党も登場しない、商人や遊女がワチャワチャしている新しい人形浄瑠璃。
「いい筋書き」の前に……
ちょ、ちかえもんwwためてるのわかるけどその顔www
この黒田屋さんの「こんな筋書きどうよ、これのほうが絶対面白いから」っての。
名作をダメにしていくPのように見えた。
好きに書かせてもらえない脚本家、展開を改変させられる脚本……
この筋書きを書いててもいい気はしなかったんだろうな。
P受け、視聴者受けだけを押し付けてくる状況なんて、クリエイターはいい気はしないでしょうよ。
できるならこの話はあまり触れたくない。
あまりにもリアリティがありすぎるから。
だから1話で少しにおわせておいて、忘れたころの最終話クライマックスに持ってくる。
そんな中の人の想いがあるのかどうかはわからないけど、なんとなくそう感じた。
リアリティを伴うフィクションだからこそ、黒田屋の言葉とちかえもんの表情がぐっと迫る。
『ちかえもん』も『曽根崎心中』がその運命を辿らなくてよかったと思う(そう思いたい)
■あさましい腐れ戯作者
「わしが書かねんだら誰が書くねん!」
「この元禄ちゅう義理でがんじがらめの世に生まれて、2人のまこと通そう思たら心中するしかなかったんや!」
心中はやはり親不孝。
でも孝行やら義理やらがんじがらめの元禄の世で、2人らしく生きていくには心中するしかなかった。
万吉と出会わなければ、ちかえもんはこの考えには至らなかったんだろうな。
「死んで物言えん2人の思いを浄瑠璃で伝えて何が悪いんや!」
「名声かて欲しい思てる。あさましい腐れ戯作者や」
「作家に生まれた者の背負うた業や!」
何も伝えることができないお初と徳兵衛の代わりに、ふたりの生き様を伝える。
それはドラマになる。
確かにそれで名声や金は手に入る。
その罪悪感を背負いながら、生きていく。
それが作家だ、と。
「いいセリフでしたねえ、近松先生。おかげでいい幕引きが出来ますよ」
黒田屋の言葉の節々に芝居用語がでてくる。
この人、本当は浄瑠璃や歌舞伎なんかの作品が大好きなんだろうな。
でもそれが歪んでしまったのかな。
■この日のために
「今日あんたのにんじょうぎょうるりの初日でっしゃろ?はよ行きなはれ!」
「人形浄瑠璃や!」
すんでのところで助けに来たのは万吉。
相変わらず「にんじょうぎょうるり」と言い間違えてるのをツッコミつつも。
ちかえもんはちかえもんのお初と徳兵衛、黒田屋たちが待つ竹本座へ。
万吉と黒田屋の対決。
ど迫力のアクションと万吉のセクシーショット。
桜の木、お初が磔にされた桜の木、徳兵衛とお初が心中を誓った桜の木。
そこに万吉がはまったのはまた象徴的。
「何なんだよ?おまえは何なんだ?!」
「わいは不孝糖売り万吉や~!今日のこの日のためにわいは不孝糖売り万吉になったんや~!」
動き出す万吉の筋書き。
万吉が「心中」を明らかにしたあと、黒田屋と「心中」。
そして『曽根崎心中』はクライマックスシーンへ。
■日本一の孝行者
「信盛。そなたは日本一の孝行者じゃ」
初演は大成功。
それぞれの喜ぶ顔がよかった。
何より母上の「日本一の孝行者」と笑ってくれてたのがよかった。
■万吉の正体
天満屋に戻るも、黒田屋が御用になってるのに万吉がいない。
川に落ちたちかえもんが引き上げてきたのは、あの人形。
蔵で出会った浄瑠璃の人形。
生きる意味を教えてくれた人形。
それが万吉だった。
ちかえもんの表情がもう……
思い返せば万吉は母上に甘えて、近松以上になついていたんですね。
憎まれ口をたたく近松がいたもんだから、万吉が可愛く見えて、そのためだと思っていたものの。
でも真実は、子どもの頃の近松と一緒だった人形だったからだったんですね。
幼い頃のちかえもんと万吉は同じことを言っていた。
万吉はずっとちかえもんの近くにいた。そして守ってくれた。
この『思い返せば』や『あのシーン、あのセリフは』で「あーーーっ!」となるのが藤本脚本の真骨頂なんだよなあ。
……そうか、ドラえもんだったのは万吉で、ちかえもんがのび太君だったのか。
川面の光に照らされる人形と、ちかえもんの涙(と鼻水)。
この真に迫る涙。
このときちかえもんは松尾さんで、松尾さんにとっての万吉を思い浮かべていたんだろか。
7話の終わり(8話のアバンでも)無垢で純粋な不孝糖売りの万吉が、心中を煽った言葉。
「えっ」と思ったものの、万吉の到達する場所が「近松に人形浄瑠璃の傑作を書かせる」ことならものすごく納得がいく。
■どんでん返し
「実は生きてまんのや」
「えっ生きてるて誰が…?」
「お初と徳兵衛や」
「えっ…?ほんまに…?」
そして明かされる真相。
お初と徳兵衛は死んでいない。
ほらやっぱり痛快娯楽時代劇、誰も死なない。
天満屋のお玉さんらが心中を止めるために動いていました。
天神の森でお初たちに声をかけるお玉さん。
「お初、いつか教えたったはずやな。生きるちゅうのんはきれいごとやあれへんと」
心中を決意したお初徳兵衛を説得して、とりあえず死体になったふりをしたのがお玉さんと天満屋の主人
「何でや」
だろうなwwww
とりあえず後で説明するから今は合わせてくれ、と頼まれた平野屋と喜助さん。
そしてこうなる。
カメラワークが巧妙すぎる問題。
ふたりはどうしてるか、といえば「越前で鯖をとっている」と。
ここで1話の孝行アイテム・鯖を回収するか!
しかもお初と徳兵衛で!!
うわあ何これすごい。
■虚実皮膜
「わしは…わしはお初徳兵衛が死んだ思て…ほんまに死んで思て『曽根崎心中』書きましたんや」
「それが何や?!みんな嘘やったて…そないな嘘の浄瑠璃かけられるか!」
どこでだって生きていてくれればいい、とはいうものの『曽根崎心中』を書いたちかえもんとしてはおこ。
本当に起きたことをモデルとして書いたのに、実は心中してないだなんて、と。
これも物書きのプライドか。
…そんなとき、周りの人たちが消えてどこからか声が…
「うその何があきまんねん。うそとほんまの境目が一番面白いんやおまへんか」
「それを上手に物語にするのがあんたの仕事でっしゃろ?なっ?ちかえもん」
まさに虚実皮膜。
その境目が一番面白い。
ドラマにしろ小説にしろ、史実やリアリティは確かに大切でしょう。
でもそれだけじゃない。
史実やリアリティの「ほんま」と、そこから生まれる「うそ」の物語。
そのすれすれの合間が一番面白い。
「ほんま」も「うそ」もどちらもあってもいい。
それこそが物語の真骨頂なのかもしれません。
ってか、万吉が人形だったってのも「うそ」かもしれないし。
黒田屋に刀突き付けられたことも「うそ」かもわからない。
越前の若い男女2人は実はお初徳兵衛じゃないのかもしれない、「うそ」かもしれない。
何が「ほんま」で、何が「うそ」かなんて、当時者じゃない限りわからない。
でも面白い。
ひとつだけ言える「ほんと」のことは、史実の近松門左衛門が『曽根崎心中』を書き上げたということ。
そこに「こんな物語があったら面白いよね」と吹き込まれた「うそ」が、「ほんま」と手を取って歩き出して、痛快娯楽時代劇『ちかえもん』を生み出したのかなと。
■最後の替え歌
最終話の『ちかえもんのうた』。
かまやつひろし「我が良き友よ」でした。
(まさかここで『我が良き友よ』を使いたいために1話から替え歌を…まさか…いやありうる…)
ちかえもんの脳裏で踊ってるような万吉に見えた。
直前の「声」にしろ、万吉は近くにいる、ちかえもんの中にいる。
物書きにはみんな「万吉」がいる。
原点に戻させてくれる、大事な大事なものがあるんじゃないかって。
■終わらない物語
「ってな陳腐な結末はわしのプライドが許さんのである!」
終わりはないんだろうね、物書きって。
結末を迎えた瞬間に次の物語が始まってるんだろう。
新感覚痛快娯楽時代劇 『ちかえもん』はこれでおしまい。
ってかまさかNHK時代劇がアニメーション終わりとかwww
■不孝糖の味
親不孝は「不幸」とは限らない。
人の不幸は蜜の味、とはいいますが。
不孝もまた蜜の味だったのかもしれないなあと。
元禄の義理人情にがんじがらめになった人たち。
どこか生きづらい、どこか苦しそうなちかえもん、徳兵衛、平野屋忠久右衛門、お初、結城格之進、お袖、義太夫…
思えば、何の因縁なしに素直に笑っていたのは万吉だけだったかもしれません。
そんな万吉が、「もっと素直に生きたらいいよ」と、ちかえもんを通じて動き出す。
(画面上ではちかえもんの前で万吉が動いていたけれども、あらゆる事件を持ってきたのは万吉でした。)
「人間もっと素直に、もっと甘く生きたっていいんだ」と、かつての主人に伝えたい浄瑠璃人形。
その「甘さ」は蜜にも似たものだったのかもしれません。
親不孝の真骨頂でもある心中事件も、それを題材にした『曽根崎心中』も蜜のようなものだったのかもしれません。
そんな甘い蜜を売り歩く「不孝糖売り・万吉」。
かつての主人に伝えたいのは「素直であれ、書きたいものを書け、生きたいように生きろ」と笑い、踊り、歌い…
……。
…………。
ってな真面目な言い回しはわしのプライドが許さんのである!!
頼む、エネッチケーさん。
一挙放送してくれ……!!でなかったら「ちかえもん2」を……!!
スタッフの皆さん、キャストの皆さん、素敵な作品をどうもありがとうございました。
天満屋がパチンコ屋みたくなってるし、電車も高層ビルもあるしwww
万吉とは何なのか。作家とは、物語とは何なのか。
※ネタバレします。ご注意ください。
関連リンク
・『ちかえもん』7話、親不孝子不孝、あほぼん逃避行。
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・『ちかえもん』5話、業深き人形浄瑠璃書き・近松門左衛門。
『あさが来た』『あまちゃん』他、朝ドラ関係の記事はこちら。
・朝ドラ感想記事のまとめ。
他大河ドラマ『真田丸』、民放ドラマ、NHKスペシャルはこちら。
・少々真面目で結構ゲスいテレビっ子の備忘録まとめ。
■死出の旅へ
アバンで復習、万吉の「今生があかなんだらあの世で一緒にならんかい」。
ひたすらゾッとする言葉だったけれど結末まで観たらものすごく納得がいく、とても万吉らしい言葉だ。
「お初。…私は自害する。それより他に身の潔白を証し立てる手があれへん」
「あの世で待っとるさかい…何十年でも待っとるさかい…」
「きっといずれ…あの世で一緒になろう」
「いずれと言わず今すぐに。徳様と離れて何で片ときも生きておられましょう。初も死出の旅にお供さしておくなはれ」
背景の桜の美しさ、徳兵衛の傷の痛々しさ、お初におちる花びらの美しさ、二人の運命の切なさがしみる。
お初も共に死ぬことを申し出たとき、徳兵衛が泣きながら笑うのが綺麗だった
■痛快娯楽時代劇だから
「これは痛快娯楽時代劇や。ほんまに死ぬ訳があらへん」
近松先生……
メタ発言だけどおっしゃるとおりです。
■曽根崎の天神の森にて
「曽根崎の…天神の森や」
曽根崎の天神の森。
『曽根崎心中』のキーワードが出てきて、ドキッとした。
万吉にふたりを止めに行かせたのはちかえもんだろうけど、天神の森という情報を渡したのは万吉か。
もしかすると心中なら天神の森、と勧めたのも万吉か。
「何でや…?徳兵衛!」
「若旦さん!お初さーん!」
平野屋と喜助の泣き声を聞きながら、意味深な表情の万吉。
「これで書けるか?」と言っているようで。
ちかえもんもどこか物書きスイッチが入ったようで。
■人の不幸は蜜の味
「心中やで~!」で街中の人たちが集まる人たち。
『死んであの世で添い遂げましょう』ってワンフレーズが人の心のどこかに響くからなんだろうな。
「はぁーなんでまたこないなことになったんでっしゃろ」
「どうもあの黒田屋がそこまで追い詰めたらしいわ」
「わしらが気ぃ付いてやれなんだばっかりに…」
「はあ…かわいそうな事した…」
ここのやりとり、「こないなこと」「かわいそうなこと」って言ってるだけ。
何も嘘は言ってないんだからすごい。
■浄瑠璃作家・近松門左衛門
「ありえへん…何かの間違いや。誰かうそやと言うてくれ」
「うそや…あれへんのんか…?これはほんまの事なんか…?」
嘘だと信じたいちかえもん。
でも真実味を帯びてくる。
「何でそこまで思いつめたんや…他に道はあれへんかったんか…」
「それが恋いうもんなんか…?何でや…何でや…何でや…」
受け入れようとしながらも信じたくない、と問い詰めるちかえもんが切なくて。
だからちかえもんは、お初と徳兵衛をせめて物語の中でもう一度生かそうとしたのかな。
「ああ…わしはあかん人間や。こないなときに涙も出ん」
「涙の代わりに言葉があふれてくる。言葉があふれて止まらん…言葉が溢れて…止まらん…」
涙は出ない、でも言葉が溢れてくる。
それが物書き。
ナレーションながらも真に迫ってくる浄瑠璃作家・近松門左衛門。
■5月7日、幕が上がる
そして完成した人形浄瑠璃『曽根崎心中』。
「5月7日に…幕開けるで」
書き上げた『曽根崎心中』、初演予定日を告げる義太夫。
やつれたちかえもん。
やっぱりちかえもんは笑顔がいいな、と思ってたら義太夫に女子力発揮してて笑ったww
久しぶりにお袖に会ったちかえもん。
前金をもらってお袖を天満屋の外へ連れ出して、まだ見たことがないと言っていた浄瑠璃を見せてあげる。
「見に来てくれるか?お袖」
「行くに決まってるやろ。くそじじい」
いつになく真剣なちかえもんと、「行くに決まってるやろ、くそじじい」のお袖がもう素敵で素敵で。
■ノンフィクションをフィクションに
「大丈夫なんやろか…?この大坂でほんまに起きた心中事件を題材にした人形浄瑠璃なんぞかけて、誰ぞに怒られへんやろか?」
いざその日を迎えたとき「大丈夫だろうか?」と。
ノンフィクションの事件や事故、災害をモデルや舞台にしてフィクションを描く人たちはみんな通る場所なんだろうな。
「こない人形浄瑠璃にしてもろてありがたい。わしはそない思てまっせ」
「近松っつぁんが聞いたら安心しますわ」
それでも当事者たちが「ありがたい」「弔い」だと見てくれる。
ちかえもんの物書きとしての人望力があってからなのかもしれない。
文句や愚痴は心の声にして、見た目は温和な初老のおっさん。
7話までずっとそれが描かれたのかもしれないとか思うと…
そして浄瑠璃のもうひとりの作り手、義太夫。
彼もちかえもんに似た不安を抱いていたのかもしれない。
上演前に平野屋や天満屋から言葉をもらうことで、見事な初演を成し遂げたのか。
■黒田屋久平次
「夢だったんですよ。物語の登場人物になるのが…」
「書いてほしかったんですよ。先生に…私の物語を…」
「舞台の上で生きてみたかったんですよ」
この男の存在を忘れていた、黒田屋九平次。
てかこの黒田屋のかっこよさ、天井突き抜けた。
『ちかえもん』という物語の中で、「物語の登場人物になるのが夢だった」と黒田屋。
舞台の上で生きたみたかった男、黒田屋。
そして、竹本座では舞台の幕が上がる。
なんだこの入れ子構造…!
「悪くありませんよ!近松先生!」
「物語を盛り上げるのは…常に適役。先生はよーくご存知だ」
ドスたっぷり効かせて黒田屋。
敵役が物語を、悲恋を盛り立てる。
『ちかえもん』も『曽根崎心中』も。
■もう一つの筋書き
「負け犬では終われないんですよ」
「『曽根崎心中』はね、先生。お初徳兵衛が死んで終わりじゃあないんですよ」
「お初徳兵衛が死んだのを幸いと、金と名声を得ようというあさましい腐れ戯作者を…たたき殺す!!」
しかしあくまで主役はお初と徳兵衛。
黒田屋は『曽根崎心中』の中では徳兵衛に勝った(曽根崎における勝利ってなんだ?)しても、
『曽根崎心中』の外ではあくまで主役を引き立てるための負け犬。
それでは終わらせない黒田屋の語る『曽根崎心中』の筋書き。
黒田屋の『曽根崎心中』は、「あさましい腐れ戯作者」をたたき殺す結末。
あさましい腐れ戯作。
それは赤穂義士も平家の残党も登場しない、商人や遊女がワチャワチャしている新しい人形浄瑠璃。
「いい筋書き」の前に……
ちょ、ちかえもんwwためてるのわかるけどその顔www
この黒田屋さんの「こんな筋書きどうよ、これのほうが絶対面白いから」っての。
名作をダメにしていくPのように見えた。
好きに書かせてもらえない脚本家、展開を改変させられる脚本……
この筋書きを書いててもいい気はしなかったんだろうな。
P受け、視聴者受けだけを押し付けてくる状況なんて、クリエイターはいい気はしないでしょうよ。
できるならこの話はあまり触れたくない。
あまりにもリアリティがありすぎるから。
だから1話で少しにおわせておいて、忘れたころの最終話クライマックスに持ってくる。
そんな中の人の想いがあるのかどうかはわからないけど、なんとなくそう感じた。
リアリティを伴うフィクションだからこそ、黒田屋の言葉とちかえもんの表情がぐっと迫る。
『ちかえもん』も『曽根崎心中』がその運命を辿らなくてよかったと思う(そう思いたい)
■あさましい腐れ戯作者
「わしが書かねんだら誰が書くねん!」
「この元禄ちゅう義理でがんじがらめの世に生まれて、2人のまこと通そう思たら心中するしかなかったんや!」
心中はやはり親不孝。
でも孝行やら義理やらがんじがらめの元禄の世で、2人らしく生きていくには心中するしかなかった。
万吉と出会わなければ、ちかえもんはこの考えには至らなかったんだろうな。
「死んで物言えん2人の思いを浄瑠璃で伝えて何が悪いんや!」
「名声かて欲しい思てる。あさましい腐れ戯作者や」
「作家に生まれた者の背負うた業や!」
何も伝えることができないお初と徳兵衛の代わりに、ふたりの生き様を伝える。
それはドラマになる。
確かにそれで名声や金は手に入る。
その罪悪感を背負いながら、生きていく。
それが作家だ、と。
「いいセリフでしたねえ、近松先生。おかげでいい幕引きが出来ますよ」
黒田屋の言葉の節々に芝居用語がでてくる。
この人、本当は浄瑠璃や歌舞伎なんかの作品が大好きなんだろうな。
でもそれが歪んでしまったのかな。
■この日のために
「今日あんたのにんじょうぎょうるりの初日でっしゃろ?はよ行きなはれ!」
「人形浄瑠璃や!」
すんでのところで助けに来たのは万吉。
相変わらず「にんじょうぎょうるり」と言い間違えてるのをツッコミつつも。
ちかえもんはちかえもんのお初と徳兵衛、黒田屋たちが待つ竹本座へ。
万吉と黒田屋の対決。
ど迫力のアクションと万吉のセクシーショット。
桜の木、お初が磔にされた桜の木、徳兵衛とお初が心中を誓った桜の木。
そこに万吉がはまったのはまた象徴的。
「何なんだよ?おまえは何なんだ?!」
「わいは不孝糖売り万吉や~!今日のこの日のためにわいは不孝糖売り万吉になったんや~!」
動き出す万吉の筋書き。
万吉が「心中」を明らかにしたあと、黒田屋と「心中」。
そして『曽根崎心中』はクライマックスシーンへ。
■日本一の孝行者
「信盛。そなたは日本一の孝行者じゃ」
初演は大成功。
それぞれの喜ぶ顔がよかった。
何より母上の「日本一の孝行者」と笑ってくれてたのがよかった。
■万吉の正体
天満屋に戻るも、黒田屋が御用になってるのに万吉がいない。
川に落ちたちかえもんが引き上げてきたのは、あの人形。
蔵で出会った浄瑠璃の人形。
生きる意味を教えてくれた人形。
それが万吉だった。
ちかえもんの表情がもう……
思い返せば万吉は母上に甘えて、近松以上になついていたんですね。
憎まれ口をたたく近松がいたもんだから、万吉が可愛く見えて、そのためだと思っていたものの。
でも真実は、子どもの頃の近松と一緒だった人形だったからだったんですね。
幼い頃のちかえもんと万吉は同じことを言っていた。
万吉はずっとちかえもんの近くにいた。そして守ってくれた。
この『思い返せば』や『あのシーン、あのセリフは』で「あーーーっ!」となるのが藤本脚本の真骨頂なんだよなあ。
……そうか、ドラえもんだったのは万吉で、ちかえもんがのび太君だったのか。
川面の光に照らされる人形と、ちかえもんの涙(と鼻水)。
この真に迫る涙。
このときちかえもんは松尾さんで、松尾さんにとっての万吉を思い浮かべていたんだろか。
7話の終わり(8話のアバンでも)無垢で純粋な不孝糖売りの万吉が、心中を煽った言葉。
「えっ」と思ったものの、万吉の到達する場所が「近松に人形浄瑠璃の傑作を書かせる」ことならものすごく納得がいく。
■どんでん返し
「実は生きてまんのや」
「えっ生きてるて誰が…?」
「お初と徳兵衛や」
「えっ…?ほんまに…?」
そして明かされる真相。
お初と徳兵衛は死んでいない。
ほらやっぱり痛快娯楽時代劇、誰も死なない。
天満屋のお玉さんらが心中を止めるために動いていました。
天神の森でお初たちに声をかけるお玉さん。
「お初、いつか教えたったはずやな。生きるちゅうのんはきれいごとやあれへんと」
心中を決意したお初徳兵衛を説得して、とりあえず死体になったふりをしたのがお玉さんと天満屋の主人
「何でや」
だろうなwwww
とりあえず後で説明するから今は合わせてくれ、と頼まれた平野屋と喜助さん。
そしてこうなる。
カメラワークが巧妙すぎる問題。
ふたりはどうしてるか、といえば「越前で鯖をとっている」と。
ここで1話の孝行アイテム・鯖を回収するか!
しかもお初と徳兵衛で!!
うわあ何これすごい。
■虚実皮膜
「わしは…わしはお初徳兵衛が死んだ思て…ほんまに死んで思て『曽根崎心中』書きましたんや」
「それが何や?!みんな嘘やったて…そないな嘘の浄瑠璃かけられるか!」
どこでだって生きていてくれればいい、とはいうものの『曽根崎心中』を書いたちかえもんとしてはおこ。
本当に起きたことをモデルとして書いたのに、実は心中してないだなんて、と。
これも物書きのプライドか。
…そんなとき、周りの人たちが消えてどこからか声が…
「うその何があきまんねん。うそとほんまの境目が一番面白いんやおまへんか」
「それを上手に物語にするのがあんたの仕事でっしゃろ?なっ?ちかえもん」
まさに虚実皮膜。
その境目が一番面白い。
ドラマにしろ小説にしろ、史実やリアリティは確かに大切でしょう。
でもそれだけじゃない。
史実やリアリティの「ほんま」と、そこから生まれる「うそ」の物語。
そのすれすれの合間が一番面白い。
「ほんま」も「うそ」もどちらもあってもいい。
それこそが物語の真骨頂なのかもしれません。
ってか、万吉が人形だったってのも「うそ」かもしれないし。
黒田屋に刀突き付けられたことも「うそ」かもわからない。
越前の若い男女2人は実はお初徳兵衛じゃないのかもしれない、「うそ」かもしれない。
何が「ほんま」で、何が「うそ」かなんて、当時者じゃない限りわからない。
でも面白い。
ひとつだけ言える「ほんと」のことは、史実の近松門左衛門が『曽根崎心中』を書き上げたということ。
そこに「こんな物語があったら面白いよね」と吹き込まれた「うそ」が、「ほんま」と手を取って歩き出して、痛快娯楽時代劇『ちかえもん』を生み出したのかなと。
■最後の替え歌
最終話の『ちかえもんのうた』。
かまやつひろし「我が良き友よ」でした。
(まさかここで『我が良き友よ』を使いたいために1話から替え歌を…まさか…いやありうる…)
ちかえもんの脳裏で踊ってるような万吉に見えた。
直前の「声」にしろ、万吉は近くにいる、ちかえもんの中にいる。
物書きにはみんな「万吉」がいる。
原点に戻させてくれる、大事な大事なものがあるんじゃないかって。
■終わらない物語
「ってな陳腐な結末はわしのプライドが許さんのである!」
終わりはないんだろうね、物書きって。
結末を迎えた瞬間に次の物語が始まってるんだろう。
新感覚痛快娯楽時代劇 『ちかえもん』はこれでおしまい。
ってかまさかNHK時代劇がアニメーション終わりとかwww
■不孝糖の味
親不孝は「不幸」とは限らない。
人の不幸は蜜の味、とはいいますが。
不孝もまた蜜の味だったのかもしれないなあと。
元禄の義理人情にがんじがらめになった人たち。
どこか生きづらい、どこか苦しそうなちかえもん、徳兵衛、平野屋忠久右衛門、お初、結城格之進、お袖、義太夫…
思えば、何の因縁なしに素直に笑っていたのは万吉だけだったかもしれません。
そんな万吉が、「もっと素直に生きたらいいよ」と、ちかえもんを通じて動き出す。
(画面上ではちかえもんの前で万吉が動いていたけれども、あらゆる事件を持ってきたのは万吉でした。)
「人間もっと素直に、もっと甘く生きたっていいんだ」と、かつての主人に伝えたい浄瑠璃人形。
その「甘さ」は蜜にも似たものだったのかもしれません。
親不孝の真骨頂でもある心中事件も、それを題材にした『曽根崎心中』も蜜のようなものだったのかもしれません。
そんな甘い蜜を売り歩く「不孝糖売り・万吉」。
かつての主人に伝えたいのは「素直であれ、書きたいものを書け、生きたいように生きろ」と笑い、踊り、歌い…
……。
…………。
ってな真面目な言い回しはわしのプライドが許さんのである!!
頼む、エネッチケーさん。
一挙放送してくれ……!!でなかったら「ちかえもん2」を……!!
スタッフの皆さん、キャストの皆さん、素敵な作品をどうもありがとうございました。
天満屋がパチンコ屋みたくなってるし、電車も高層ビルもあるしwww
感想も読んでいてすごくうれしくなっちゃって(笑)。思わず友よ~と思ってしまいました(笑)。
良いドラマでした。そう思います。