行動分析学は、心理学の一つでありながら「こころ」という領域を一切扱いません。
人間の行動に徹底的にフォーカスして「その行動の前後でどのような変化があるのか」を観察し分析することによって、その人の行動変容を導く学問です。
前回は、問題行動の原因を考える上で、私たちはつい”心の問題”と結び付ける癖をもっているという話でした。
それは、ある若手社員の問題行動を見て、「やる気がない」「意識が低い」「能力がない」「向上心がない」など言いながら、その原因は本人の心(意識)の問題だと説明しようとすることでした。
しかし、そういう表現は全てラベリングであり、問題解決のための原因究明にはならない。だからこそ具体性テストをして、解決したい標的行動を明らかにする必要があるというお話でした。
今回は、「ではなぜ、ついそういう考え方になるのでしょうか?」というお話です。
医学モデルとは
例えば、風邪を引いた時のことを思い出してください。ほとんどの人は、風邪を引くと行動に異変が起きますよね。
発熱で動きが鈍くなったり、ひどい咳や、喉が痛くて話せないなど、症状は様々ですが、いつものパフォーマンスが発揮できないというのは、誰しも経験があると思います。
このように、体の調子が悪い時、私たちは「体内に何らかの異変が起きている」と考えます。
それは、医学でいうところの「原因」⇒「症状」という考え方に習ったものです。
例えば「風邪ウィルス」⇒「発熱・咳」「内出血」⇒「青あざ」「大腸菌」⇒「腹痛」という具合に、ある症状の原因は体の中の変調にあるとする考え方です。
その考え方を、問題行動にも当てはめることを「医学モデル」と言います。
つまり、身体の中の変調が原因で病気の症状が現れるのと同じように、ある行動に問題が起きた時にも、「やる気・意識・意欲・根性」など、その原因が心の中にあるとする考え方のことです。
医学モデルの危険性。
私は、医学モデルそのものが危険だと訴えている訳ではありません。
例えば、とても元気のよい明るい挨拶をする新入社員や、先輩の仕事を積極的に手伝う後輩、さらには訪問客に丁寧に応対する社員などの好ましい行動に対しては、誰も問題とは思わないし、あの人は「やさしいから」とか「よく気が利くから」などと賞賛したりする場面は多いと思います。
この様な場合には、医学モデルであるか否かは然程問題ではないと思うからです。
しかし、問題行動を起こした社員に対して、その原因や改善策を医学モデルで考えようとするのは危険だということを分かってほしいのです。
その理由は二つあります。
①「循環論」に陥ってしまうという問題
これは初回(前々回)にも触れましたが、循環論をもう少し詳しく説明すると、『やる気が出せない⇒なぜ出せない?⇒仕事が出来ないから⇒なぜ仕事が出来ない?⇒よく失敗するから⇒なぜ失敗する?⇒改善しないから⇒なぜ改善しない?⇒向上心がないから⇒なぜ向上心がない?⇒やる気が出せないから⇒なぜ出せない・・・』といった具合に、改善策が見出せないまま、ただぐるぐると原因を探るだけになってしまい、最後には「あいつは分からない奴だ!」などという方向になってしまうというケースです。
このように説明すると、ほとんどの人は「なるほどね~」と分かったように受け止めますが、実は循環論の厄介なところは、それに陥っていることに気づかないという点です。
実は、循環論が習慣化さえしている職場も少なくありません。(その対策は後で触れます)
②「個人攻撃」になってしまうという問題
医学モデルは、問題行動の原因を”心の在りよう”で考えるように導くので、どうしても最後には”本人の心掛け次第”という、いかにも曖昧で都合のいい落としどころにしか進まないという方向性を持っています。
それだけに、「良い行い」⇒「賞賛」VS「悪い行い」⇒「批判」という、主観的な対立構図が生まれやすく、最終的には「問題行動を起こすのは、心が乱れているからだ!」などという根拠なない理屈を立て、誹謗中傷の対象を作り、個人攻撃となる危険性をはらんでいます。
確かに、問題行動を起こす社員は周囲に迷惑をかけるので、どうしても攻撃の対象となりやすいのは事実です。しかし、結局は本人は何も改善されないまま組織から離れ、組織は一人の人材を失ったという結果だけが残ってしまいます。
この様に、医学モデルで問題行動を扱うと、当事者だけでなく周囲の人も出口が見つからない迷宮に入り込んでしまうという危険性を分かってほしいのです。
”痛い目”には効き目はない
それでも、誹謗中傷や個人攻撃はどこの職場でも起きる問題です。
それは、私たちの中に「痛い目に遭わないと分からない」という、迷信にも似た思い込みがあるからです。
さらに、「あなたのためを思って…」という、いかにも正しく聞こえる大義があるからです。
そんな考え方が、結果的に誹謗中傷や個人攻撃という結果を招くのではないでしょうか。
しかし一方で、そういう考え方では何も解決しないという事実も、私たちは知っています。
いくら痛い目にあっても、人はそれほど変わらないということは、人生経験を重ねるほど誰しも痛感することだと思います。
だからこそ、問題行動には医学モデルではなく、行動の真の原因を知る必要があるという訳です。
次回は、その「行動の真の原因」についてのお話しです。
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