反レーニン主義(中の人)より
異端乃猿氏からの返信はどんどんレベルアップしている。今度はとんでもなく難しい質問が来た。
この返信ツイートの前には「私有財産を国有化して生産手段を共有化」なんてフレーズのツイートもあって、正直、哲学も経済学もずっと劣等生だった僕はドキドキするしかない。お手柔らかに願いたい。本当にもうそろそろ対応できなくなりそうだ。
それで、今回の問題は主に2点。ひとつは「日本は民主主義の国家だから半数を超えれば、共産主義国に変革できるだろう。これは暴力革命とは異なる革命の手段だ」という意見、もうひとつは「日本が共産主義国となれば、何を変えるつもりでいるのだ?経済、防衛、分野は多岐にわたる」というものだ。
まずは答えやすい方から。
■民主主義的手段で革命は可能か
前半の意見は、つまり民主主義国では民主主義的手続きの範囲で「共産主義革命」が実現でき、暴力革命は必要無いという主張だ。つまりこれは、綱領で暴力革命を否定した日本共産党の立場である。
しかしそれは本当に可能だろうか。
絶対に不可能とも言い切れないところが難しい。ただこの問題に対して良く引かれるのはチリのアジェンデ政権の成立と崩壊の歴史である。マルクス主義者であったサルバドール・アジェンデは1970年に選挙で大統領に選出される。世界で始めて自由主義選挙によって成立した「社会主義政権」である。
だがそれはわずか3年しか保たなかった。米国ニクソン大統領(当時)による経済封鎖とクーデター策謀によって国内は混乱、最後は後に独裁者として圧政を敷くピノチェット将軍によるクーデターに倒れてしまった。
【参照】ウィキペディア『サルバドール・アジェンデ』
ここでの教訓は、仮に実際に血が流れるような内戦を起こさないとしても、社会主義を目指す政権が誕生し社会主義的政策を行おうとする以上、実質的に軍事力を持っていなければ、軍事を掌握した勢力に簡単に潰されてしまうと言うことである。
いや、日本の自衛隊がそんなことするはずないと言う人がいるかもしれない。しかし本当に楽観できるだろうか。戦後何度も自衛隊内のクーデター計画や極右的指揮官の出現という現実を、僕たちは見てきた。
もし合法的に成立した左翼政権が、軍事的に全く無力であると見たら、反左翼勢力が逆に暴力的な対応をする可能性は高いと思う。
それにもし左翼政権が出来たら、米国はどういう対応をするだろう。日米安保を廃棄し米軍を日本から追い出すと言ったら、それに素直に従うだろうか。チリと同じように経済封鎖などで揺さぶりをかけ、日本国内を混乱させようとするのではないか。封鎖にあえぐ国民の不満を背景に、自衛隊を裏側から支えて政権の転覆を謀らないと言えるだろうか。実際に中東をはじめ各国で米軍は反政府クーデターを主導してきたではないか。
奇しくも左派政権誕生直前のチリではすでに不穏な空気が漂っている。
もちろんこのような反革命軍事クーデターは米国だけがやるのではない。記憶に新しいのはアウンサンスーチーを逮捕して実権を握ったミャンマーだ。
つまり革命は、仮に選挙戦によって実現する戦略を採るにしろ、実質的に暴力革命と同じ内容を持っていなければ、失敗してしまうのである。
※ただし、左翼政権と言っても、それが真に革命的で無いなら別に右派がわざわざ暴力的に潰しにかかる必要は無い。どうせまた選挙で右派が勝てば良いだけだから。この場合、真に革命的であるというのは国家体制の根幹の部分を変更するかしないかということだ。たとえば憲法を丸々違うものにしてしまうとか、実質的に同様のことをするとかである。米国で民主党と共和党が交互に政権を取り合ってもそれは別に革命では無いし、日本で旧民主党が政権を取っても誰も革命とは言わなかった。
■果たして革命勢力は多数派になれるのか
ただ、むしろ本当の問題は、ほとんどの場合、革命派は過半数に達することがないという事実である。
それは国家権力が教育を握っているからだ。国家は基本的に自国を肯定するよう教育をする。それが強まれば愛国教育と言うことになる。人々は当然のようにそれが正しいことだと思うようになる。
たとえば僕等の目から見たら、中国は自由も人権もない専制政治の国に見える。しかし、大多数の中国人は自分の国こそ一番良い国だと思っている。実際、海外旅行をしたり留学したりする中国人は沢山いるが、その人達が日本や欧米に行って民主主義を目の当たりにしても、別段、反中国になるわけではない。
逆に考えればわかる。僕等がいくら中国やロシアに行ったところで、日本より中国やロシアの政治の方が良い、日本もああなれば良いと思うようにはならないだろう。それは僕等が日本や欧米の民主主義的価値観を生まれたときから叩き込まれているからだ。
これは歴史をさかのぼってみても、ほとんど同じである。たとえば倒幕から明治維新において、一般の日本の庶民は別に日本が変わることを望んだわけではない。日本人の中の一部でしかない武士階級の、さらにその一部の政治的意識の高い人々だけによって行われた軍事クーデターだったからだ。
■必ず反体制派を削り取る権力
また仮に反体制派が国内に増えてきそうになったら、権力者は様々な手段を使って、その芽を摘みにかかる。
最近では香港で民主派が大弾圧され、反中国共産党の人々は選挙に立候補することすら出来なかった。これは極端にしても、日本でも自民党はかつて中選挙区制を廃して小選挙区制を導入し、国会における圧倒的有利を作り出し、その力を利用してマスコミや教育への介入を続けてきた。今でも最近話題のDappi問題など、カネの力を使って世論操作をより巧妙に深く広く進めている。
もっと生々しいことを書けば、僕が左翼党派に所属していた頃、しょっちゅう家宅捜索(ガサ入れ)を受けたものだ。その理由は、ゲリラ闘争があったからとか、誰かが捕まったからとかだが、しかしその実、ガサで公安警察が持って行くのは名簿類ばかりだ。
党派のメンバーやその支持者や周辺にいる人の身元を特定し、その人の職場や学校や家族にタレ込むためだ。ぼくもそれで何度も実質的なクビにあった。クビになれば食うにも困る。組織も収入を絶たれる。そうやって組織から人とカネを削ぎ取るのが公安の日常業務であった。
もっと直接的には公安調査庁のスパイの潜入なども何度もあったし、はっきり言って公安は憲法も人権も法律も守らない。それだけ必死に反体制派を潰しにかかるのである。まあ、こっちも非合法活動をするのだからお互い様ではあるが。
そんなことはともかく話を戻せば、おそらくよほど人々が利口になり、かつ高度に倫理的になり、自衛隊や警察を含めた公務員が政治的に絶対中立の立場を堅持するという状況にならなければ、完全非暴力の革命は成功しないだろう。
■共産主義者は何をめざそうというのか
さてそれでは、次の大変な難問に立ち向かわねばならない。
「革命を起こしてどんな国を作ろうとしているのか?」という問題である。
これはおそらくマルクス主義者に向けられる一番の質問だろう。しかし、同時にマルクス主義者にとって一番答えづらい問題でもある。
ここから先は、大きく見解が異なる意見が沢山あるだろうから、あくまで僕個人の現時点での考え方を述べることとする。ここに書いたことを他のマルクス主義者が肯定しない可能性は大きいので念のため。
「革命によって何をしようとしているのか」。この質問をされると本当にきつい。なぜなら結論的に言えば、ノープラン、もしくはあらゆる可能性があると言わざるを得ないからだ。もちろんこれでは答えにならないのは重々承知だが。
■マルクスは共産主義をどう考えたか
まず、マルクスは革命によって作られる共産主義社会をどのようなものと考えていたのか。実はほとんど何も言っていない。ほぼ唯一、それに言及した著作が『ゴータ綱領批判』という文章で、多くのマルクス主義者がこれを元に共産主義や社会主義を語っている。
この中には、共産主義とは「私はしたいと思うままに、今日はこれ、明日はあれをし、朝に狩猟を、昼に魚取りを、夕べに家畜の世話をし、夕食後に批判をすることが可能になり、しかも、けっして狩人、漁師、牧人、あるいは批判家にならなくてよい」社会だと、まあ分かったような分からないようなことが書かれていたりする。
一般的にマルクスが考えていた共産主義社会とは、階級が無い社会、国家が無い社会、貨幣が無い社会、労働が強制されない社会といった社会だと言われている。
いろいろ疑問が湧くでしょう? わかりづらい。それでどうやって人は生きて行くだろうかと。
はっきり言って具体的なことは誰も分からないのだ。当のマルクスでさえ。
誤解を怖れずに言えば、マルクスは共産主義を考えたのではない。過去から現在(マルクスが生きていた当時の)を分析し研究しただけである。一番有名な『資本論』という本は共産主義の本では無い。資本主義とは何かを研究した本なのだ。
マルクスは資本主義社会を経済学的に、また哲学的に研究し、何故人々は資本主義社会の中で苦しまなくてはならないのかという問題に取り組んだ。
ここではそれを細かく述べることが出来ない。僕の能力が追いつかないのが一番の理由だが。
ただものすごく簡単にいくつか触れると、たとえば資本主義社会では人間がおカネに置き換わられてしまって人間的な生き方を奪われているんだとか、資本家階級は労働者階級を使って商品を作らせて儲けを出しているが、その過程で労働者は知らないうちに自分の労働力を奪われているんだとか(まあ、かなりいい加減なまとめだけど)と言うようなことが指摘されている。
このような資本主義の中の人間を苦しめる要素を取り除いた社会が、つまり共産主義だと言うことだ。それが先に示したような抽象的な社会像である。
■共産主義の実現とは何か
それじゃあ、その共産主義はいつ出来るんだよ!と言われても、たぶんお分かりのように、本当に実現するのか、実現するにしたって何百年も、ひょっとしたら何千年もかかるんじゃ無いのかとも思えてくる。
だから共産主義革命は中々終わらないのだ。仮に暴力革命で現政権を転覆したからと言って、それで社会主義とか共産主義が出来るというものでは無い。そもそも全人類が平等である社会を作ろうとしたら、ジョン・レノンが『イマジン』で歌うように、全ての国境を無くさなくてはならい。
いわゆる二段階戦略とか三段階戦略とか言うけれど、旧ソ連や中国や日本共産党が楽観的に考えるような簡単なものでは無い。そんな簡単にパラダイスみたいな世界になるはずが無い。
前にノープラン、もしくはあらゆる可能性と言ったのは、結局ここに書いたような理想に向けて、一歩ずつ進んでいくしか無く、そこではその時代、その社会にどんな技術が存在し、どのようなリソースがあるのかによって、いろいろな選択肢を検討し、試行錯誤も繰り返しつつ、少しずつ社会を作っていくしかないからだ。
ただ、はっきりしているのはその方向性だ。
我々がどこから来てどこに向かうのか。それを理解していれば、時には間違うかもしれないが、概ね正しい方向に向かうことが出来るだろう。
では、僕等はどっちから来たのか。それは古代的社会から、封建主義を経て、近代へと歩んできた道程である。マルクス主義は近代と資本主義を否定するが、それは決して近代を捨て去ることを意味しない。そうでは無く、近代を土台にして、近代社会が得た成果を基にしてより高い次元に登っていこうとしているのである。だからマルクス主義者は復古主義に反対し、民主主義を擁護する(と言うか、しなくてはらない。中国や北朝鮮は全く間違っている!)。
そして向かっていく先はどこか。ここで書いてきたように、貨幣経済に支配される資本主義を脱していく方向であり、労働者からの搾取を終わらせ、階級を廃絶していく方向だ。
■僕の限界性(もしくは自己批判)
具体的には何をどうするのか。
それはまだ分からない。
分からないのは、今の時点で日本における革命の展望が無いからだ。革命が実現する時点において社会が何を持っていて、何を持っていないかによって、具体的な政策は変わってしまう。
答えになっていないかもしれないが、残念ながら今は革命の時期では無く、その準備期間なのである。
もちろん準備期間だからと言って何もしなくて良いとも思わないが、申し訳ないが僕自身はまだ逡巡し迷走している。革命運動の最前線から離れてもう何十年も考えているが、情けないことに、どうしたら革命を実現できるか、その方法が分からないままだ。
今できることは、上に述べたように時代を逆行させないように、言論を通じて闘うことであり、本当はどうしたら良かったのか、どうしたら良いのかを考え続けることだけなのである。