あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

珠ちゃんの降板

2015年07月29日 11時32分16秒 | Weblog
 テレビ朝日の「反対派はずし」が徐々に進んでいる。
 テレ朝は安倍政権が成立して以来、とくに夜の「報道ステーション」に対する締め付けが激しく、いわゆる「古賀はずし」問題では当の古賀氏が最後の出演時に捨て身の反撃をおこなうまでに追い詰められてきた。朝の「モーニングバード」(旧「スーパーモーニング」)もずっと硬派な政権批判を続けてきたが、この春の改編で安倍政権への強烈な批判者である岩上安身氏が降板し(健康問題もあったが…)、毎日のコメンテーターの人数も3人から2人に削減された。
 それでも旧番組からの「顔」であった赤江珠緒アナと、社員である玉川徹氏は残り、数少ないリベラルの意見をとりあげるニュースショーとして、なんとか最後の一線を残した形になっていた。しかしその赤江アナもついに9月で降板となる。もちろん詳細はわからないが、このままコメンテーターも変わらないとなれば、大きく右傾化すると言っても良いだろう。
 ただひとつだけ希望があるとすれば、ノンポリ風のキャラでやってきたメインキャスターの羽鳥慎一氏が最近はニュース解説をするようになり、時々なかなかするどいコメントを挟んでいる。今後ますますメディア人としての矜持を示していってもらいたいところだ。
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しらけるばかり10増10減案

2015年07月24日 22時56分01秒 | Weblog
 参議院の一票の格差を「是正」するための、いわゆる10増10減案が可決された。是正と言っても実際は3倍の格差が依然として残る中途半端なものだ。与党内では公明党が反対にまわり、自民党内からも反対者が6名出た。
 自民党内の反対論の一番大きな意見は、合区によって一県から一名以上の議員を出すことができなくなると言う点である。憲法は国民の平等な権利を保証しているから一票の格差は憲法違反となる。ただもう一方では一票の平等が必ずしも国民の平等にならないという事実もある。わかりやすく言えば一票の格差が解消されることが地域格差の拡大につながる。
 この問題がこうした歪みを大きくするのは、これが国会議員の定数削減問題とセットで語られるからだ。とりあえず、一票の格差を解消しつつ各都道府県から一名以上の議員を出すためには、議員定数を増やす以外に解決方法がない。それではなぜ国会議員の数を減らさねばならないのか。そこがよくわからない。もしカネの問題なら議員の歳費を含めた必要経費を大幅に減らせばよい。はっきり言って政治家はカネがかかると言われるが、そのカネはようするに選挙運動にかかるのである。選挙にカネをかけてはならないルールを作ればよいのだ。具体的に思うところはあるが、それはまたの機会にしよう。
 カネのために無能な政治屋が増えるというなら、それがいらないと言うなら、まず国会議員にカネを渡さなければよい。議員定数問題よりその方がずっと本質的だ。また議員が減ると言うことは権力が少数の者に集中すると言うことだ。高額の報酬や権力を与えたまま権力だけが強くなるという最悪の事態になるだろう。
 今回の突然の10増10減案の通過は、あきらかに政治情勢に合わせた姑息な戦術である。安保法案の衆院での強行採決によって、実は最も打撃を受けているのは参議院の与党議員である。一番選挙が近いと言われているからだ。そこでのイメージアップ効果を狙って急にこれが浮上したのだ。内閣の新国立競技場建て替え案見直しと同じことだ。しかしもちろんそれは参議院自民党の多数派にとってのみ生き残り策になるが、議席を減らされる自民党議員や、創価学会内部からも批判が強まっている公明党にとっては意味が無い、もしくは逆風になってしまう。だから合区の地元の自民党議員は退席し、公明党は、明らかに格差是正にならないお為ごかしの自民党案に反対することで、自民党の言いなりにならないという独自色を演出しようとしているのだ。
 それにしても対案を出した民主党、どちらの案にも反対した(?)共産党からさえ、議員歳費の削減案が出て来ないことが大変疑問である。結局のところ同じ穴のムジナといわれてもしかたない。情けないというか悲しいことである。

 なお、この問題については一昨年にも触れたことがある。内容的には現在も全く同じことが言える。こちらもぜひ再読願いたい。

40議席削減は身を切る政策か
http://blog.goo.ne.jp/zetsubo/e/e28ac30842e2599052143b2ed82f573c


あえて野田さんを評価する
http://blog.goo.ne.jp/zetsubo/e/e60aad5d14caa1b2a0b3f1853ce5e7b8

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安倍総理の異例なテレビ出演を見て

2015年07月20日 23時59分38秒 | Weblog
 今日のフジテレビの夕方の視聴率はおそらく相当高かったろう。なにしろ安倍首相が異例中の異例で1時間半も生で現在進行中の政治課題について語ったのである。もし視聴率が低かったとしたら、それはそれで嘆かわしいというか、危ない感じがするだろうが。

 ただこのテレビ出演は安部氏にとって失敗だったのではないか。何を言っているのかちっともわからなかった。もちろんぼくもテレビにかじりついて懸命に聞いていたわけではなく、仕事の合間のながら視聴だったのが悪かったかもしれない。しかしこれはテレビである。本当にわかりやすい話をしない限り、なかなか一般視聴者にはわからないのではないだろうか。結局、出演者のやくみつる氏が描いた三枚のマンガの方がずっとよくわかった。支持率という鎖かたびらを着た安部氏が世論の風に吹かれて、裸の王様ならぬ、裸の総理になってしまうというのと、「戦争にならない」というコシマキを、「安保法案」の本が「憲法」の本から奪い取るという風刺マンガだった。

 安部氏の言っていることがわからなかったのは、国会で答弁していることとほとんど同じ言葉だったからだ。安部氏自らが国会では憲法論議ばかりで国民にわかりやすい政策論議ができないと嘆き、もっと国民にわかりやすく説明したいと言っていたにも関わらず、テレビ向けのわかりやすい言い方というものが全然無かった。答え方も国会答弁と同じで、質問されたことに直接答えるのではなく、話をそらし続けて本質的な問題を明確に語らなかった。国会論戦が分からなかった人に、これで分かれという方が無理だろう。

 安部氏の一番悪いところは、たとえ話にするべきでないところでたとえ話をし、法律用語や政治用語で語るべきでないところで法律的、政治的な言い方をしたところだろう。
 今日、安部氏が最も力を入れたのは「火事」のたとえ話だった。かなり力の入った模型を用意して、熱を込めて説明していた。そこには、日本の敷地に建つ日本の家と、道路を挟んだアメリカの敷地に建つアメリカの本宅と別宅がある。そこで、もし日本の家で火事が起こると、日本の消防士と駆けつけたアメリカの消防士が消火活動をする。アメリカの本宅に火事が起きた時は、ヨーロッパ各国の消防車がやってきて、アメリカの消防士と一緒に消火する。ここには日本の消防士は行くことができない。やがて火が別宅に飛び火する。そしてその火がいよいよ日本の家に延焼しそうだという段になって、やっと日本の消防士が道にまで出て(アメリカの敷地に入らず)別宅にむけて水をかける、というものだ。
 正直言って、このたとえ話で今回の安保法案について理解できたという人は、そうとうに頭がよい。申し訳ないが、与党の国会議員でもこのたとえ話を正確に説明できる人はどのくらいいるのだろう。この話はむしろ世界地図の前で、実際の戦争の話としてやった方が、ずっとわかりやすいはずだ。なぜそうしないだろう。
 「火事」のたとえ話については前のブログ記事でも書いたが、安部氏の模型では勝手に出火している火事は、実際には別のどこかの家とのケンカによって、誰かが火をつけに来る、もしくはつけられてしまったという話のはずである。集団的自衛権は一緒に火を消すのではなく、相手とのケンカに加勢するということだ。その点でこのたとえ話は抽象度があまりにも高くなってしまっている。

 ただ今回の安部氏の説明でひとつだけ、やっとよくわかったところがあった。「戸締まり」のたとえ話である。安部氏はなぜ法案成立をこんなに急がなくてはならないのかと問われたのに対し、「これはどこか特定の国と戦争をするための法律ではなく、世界の安全保障環境が厳しくなったから、家に戸締まりをするというものだ。戸締まりなのだから、早くするに越したことはない」という論法で答えていた。
 なぜ集団的自衛権の話が戸締まりの話になってしまうのか最初はだいぶ混乱して聞いていたのだが、つまり安部氏の論によれば、アメリカが攻撃された時に日本が助けに行けばアメリカとの信頼が深まり、それを見た他国が日本とアメリカの強い結びつきに恐れをなして、日本への攻撃を思いとどまるということらしい。つまりこの話はこれまでのアメリカの核の傘とか、アメリカの威を借る日本という話なのだ。これはむしろ戸締まりと言うより、玄関先に「SECOM」とか「ALSOK」とか「警察官立ち寄り所」とか「猛犬注意」などという看板を掲げるのに似ている。
 そしてその意味を指摘しておけば、ようするに戦後の日本の外交路線をさらに伸ばしていくということでしかない。安部氏の強調する戦後レジームの脱却どころか、戦後レジームの純化であろう。
 それはそれとして、やっぱりよく分からないのは、実際の法案には重要影響事態とか存立危機事態とか、本当に分かりづらい言葉が並んでいる。それが今回の安部氏の説明で何かわかったかというと、何一つ分からない。安部氏は国会では民主党が憲法論議に終始するからわかりやすい説明ができないというようなことを言っていたが、それ以前にこの法律の中に出てくる概念がそもそも分からないことだらけなのである。たとえば一部の改憲力の中に日本国憲法は文語調なのでわかりづらいから改憲した方がよいなどというバカらしい意見があるが、まず安保法案をわかりやすい言葉で書くことが先決ではなかろうか。

 今日の安部氏の話の中で、もうひとつよく分かった点がある。それは前記の話に関連するのだが、安部氏の主張は、この問題は憲法論議ではなく、政策論議としてやるべきだというのである。他の国は安全保障論議はみな政策論議としてやっているという。
 まず言っておくと、そもそもほとんどの国は軍隊も交戦権も放棄していない。戦争参加は必ずしも憲法違反にはならない。だから憲法論議にならないのである。そして多くの国に憲法裁判所か、それに類するものが存在している。違憲か合憲かはそこが判断するのであって、国会が判断するものではない。ところが日本には憲法裁判所がない。その役目を担うのは最高裁と言うことになるのだが、砂川判決に見られるように最高裁は安保問題について違憲判断を留保してしまう。そうである以上、国会が憲法論議の場になるのは当然なのだ。
 さてその上で、安部氏が憲法論より政策論をと主張するのは、つまり憲法よりも現実の政策の方が優先されるという論理である。政権の政策は憲法よりも上位にあると言っているのである。これほど危険な思想はあるだろうか。別の言い方をすれば、政府は憲法に一々縛られる必要がないと言っているのと同じだ。なによりもまず第一に前提として憲法論議を徹底的にやって、その上での政策論だろう。こういう政治家や政党が「改憲」を言うことの滑稽さと不気味さを感じざるを得ない。

 安部氏は今日、1時間半もの時間を割いて「国民に説明」した。安部氏にはこれが「丁寧な説明」なのだろう。しかしこれを見ていた人は気づいたに違いない。丁寧な説明というのは別に時間ではないのだと。
 ここまで意味不明のことを何時間聞かされても人は理解などできない。丁寧というのは本当のことをありのままに説明することである。模型と人形を使って身近な話題に置き換え煙に巻くのが丁寧な説明であるはずがない。
 安部氏は支持率のために政治を行っているわけではないとも言った。支持率が下がってもやるべきことはやると言う。つまりそれが昨年末の選挙の意味だ。支持率が下がることが分かっているから、あらかじめ選挙をやって与党勢力を最大にしておき(それは同時に傘下の議員の身分を保障して反乱させない方策でもある)、世論を押し切って強硬な独裁政治を貫徹する、まさにナチスの手法を採ったのである。いったい安部氏にとって支持率とか民主主義とは何なのだろう。

 いみじくも本日、分野を横断して組織された「安全保障関連法案に反対する学者の会」が、「強行採決は国民の意思を踏みにじる立憲主義と民主主義の破壊だ」などとする1万1279人の共同声明を発表した。ここで呼びかけ人でもあるノーベル物理学賞の益川敏英京氏は安倍政権の打倒を訴えた。前の記事でも触れたように、事態はもう法案単独の問題を越えて安倍政権を倒す流れへと加速している。一見するとあまりにも強い安倍政権だが、実際にはもはや末期の様相なのではないだろうか。
 今日の安部氏の異例のテレビ出演と、そこでの長々した自説の開陳は、かつて佐藤栄作総理の退陣会見を思い起こさせた。あのとき佐藤は新聞は嘘を書くと言って会見場から新聞記者を追い出し、たったひとりテレビカメラに向かって何かを訴えた。しかしそのとき彼が何を言ったのか全く記憶にない。ただ佐藤があまりに寂しい裸の王様に見えただけだった。
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溺れる安部を棒で叩く?

2015年07月19日 23時49分35秒 | Weblog
 日曜である今日のテレビのニュースショーはこぞって、新国立競技場見直し発言や戦争法案強行採決問題をトップに持ってきているのに、フジテレビの「Mr.サンデー」はトップが芥川賞、続いて女子高生が自衛官の痴漢をつかえまた話やマンションの隣の男に電気を盗まれた話などを、かなりの時間を割いてとりあげ、なかなか政治問題に入らなかった。
 さすがフジテレビだなあと思っていたら、その後に新国立問題が取り上げられ、これはちょっと意外にも安倍総理や閣僚、関係者などが皆無責任であるという批判だった。
 ここで、明日(休日)の「みんなのニュース」には安倍総理が緊急生出演するという突然の「番宣」があって、ついにコメンテーターの竹田圭吾氏が「新国立で国際協約を破ったのだから、辺野古移転や安保法案だって撤回できるのでは」、「支持率が下がったからテレビに出たいと言う人を持ち上げる必要はないのだから、厳しい質問をするべきだ」というようなことまで言った。
 昨日(7/18)には作家の澤地久枝氏らの呼びかけによる「アベ政治を許さない!」全国一斉ポスター掲示行動が行われ、いよいよ無党派市民系の本格的な安倍政権打倒運動が始まっている。
 これらのことには、ぼくなりの批判も無いわけではないが、自民党や公明党の地方議員からも不満が噴出しているという話もあるし、ここで潮目が変わってきた感じもする。なによりも支持率が30パーセント台に落ち込んだことにより、これまで寄らば大樹の下という輩が、泥舟から逃げる機会をうかがい始め、中には手のひらを返して溺れる犬を棒で叩こうとしている者も現れてきたようにみうけられる。
 ともかくも、岩盤のように見えた状況でも、一瞬でドラスティックに展開することがある。声をさらに大きく上げていくことが必要だと思う。
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断固として徴兵制を求める

2015年07月17日 11時25分29秒 | Weblog
 おそらく一般的な左翼やリベラルは「徴兵制反対」と言うだろう。しかしそれは絶対に間違っている。
 マスコミでは今回の戦争法案がらみで、徴兵制導入(復活)の危険性があることをかなり強調している。そしてそれをもって政府・与党に「徴兵制はあり得ません」という言葉を引き出している。おそらく徴兵制にあるていど前向きなのは自民党の石破地方再生大臣くらいだろう。

 まず果たして自民党は本当に徴兵制を考えているのか。その危険はあるのか。
 ぼくはおそらくそんなことはないと思う。第一に現代の先進国の軍隊はハイテク化していて、兵員養成に専門的で長期の教育が必要になる。それだけカネもかかる。だがもちろんそれは同時に合理化が進んで少人数で済むという特徴も伴う。
 欧米において徴兵制を敷いているのは北欧(除スウェーデン)とスイス、オーストリー、それにギリシアだけだ。

 また大人数の軍隊を維持するのには大変なコストがかかる。現状の防衛省の職員数は27万人で、人件費関連予算は、防衛予算5兆円中の2兆円、「防衛省職員への給与は国家公務員給与費の4割以上を占める」(ウィキペディア)そうだ。参考までに補足しておくと、日本の国家予算は96兆円で、そのうち税収による歳入はわずか54兆である。
 現実問題として人員を増やすのは非合理的であり、現実的にはかなり難しい。もちろん戦争によってそれに見合うだけの利益があり得るとなれば話は別かもしれないが。もっとも、戦争法案が成立してもし自衛官のなり手が極端に減ってしまったら、また戦争が実際にはじまって戦闘員が大量に死傷した場合には、その補充として考えられる可能性はある。だが、そんな事態になったら、自衛隊の質は相当に低下しますます戦闘員が不足することになりかねない。

 現在徴兵制が導入されている主な国は、ロシア、中国、韓国、台湾、シンガポール、イスラエルなどで、比較的東南アジアと中東に多い。紛争の多いにもかかわらずアフリカでは北部を除いて徴兵制の国は比較的少ないようだ。ようするにカネを持っている発展途上国に多いとも言えそうだ。ハイテク機器より人件費の方が相対的に低いからと見ることができるかもしれない。

 ぼくは日本の権力者は徴兵制を導入しないと思う。理由は単純だ。自分たちも徴兵されてしまうからである。
 現状をよく考えてみよう。今どういう人たちが自衛官になるのか。もちろん「祖国防衛の崇高な志」で自衛隊に入る人もいるだろうが、官僚として入省する幹部候補はともかく、一般隊員はやはり比較的低収入であったり、就職先の無い人たちも多いのではないだろうか。徴兵制が廃止されている米国では、貧困層や米国籍をもらえない人たちが兵士になっている。金持ちは安全なところにいて、貧乏人が前線で殺し合いをさせられるのである。これは不公正だと言わざるを得ない。

 「徴兵制反対」の主張は危険性をはらんでいる。自分たちが安全ならば、自分の身内が徴兵されなければ、自衛隊が戦争をやっても良いのか。「志願」したんだから、その兵士が殺し殺されてもその人の「自己責任」なのか。自分の豊かで安全な生活は「守られる」権利があるから、安保が強化されて誰かが敵と戦ってくれて当然なのか。
 現在の戦争法案は日本が戦争に巻き込まれるリスクを内包した危険な法律である。それを選択するなら(もしくは黙認するなら)その人が真っ先にそのリスクを負うべきである。民主主義である以上、主権者は有権者であり、その責任は有権者にこそある。民主主義の発祥と言われるギリシアのポリスでは、民主主義の基盤に市民への平等な兵役義務があった。同じ義務を負うから同じ権利が与えられると言う論理である。

 ただもうひとつ指摘しておかねばならない。戦争をしないという決断にも当然リスクは伴う。安倍さんが言うとおりだ。石油の輸入ルートが絶たれたら、原発事故の時以上のエネルギー危機が来るかもしれない。戦争法案に反対すると言うことは、それにも耐えるという覚悟が必要だと言うことだ。
 ご都合主義は通らない。良いことずくめなどあり得ない。何かを選択するなら何かを捨てなければならない。戦争法案を通すなら徴兵制を選択せよ。戦争法案に反対するなら豊かであり続けようとする欲望を捨てよ。ぼくたちには厳しい選択が迫られているのだ。
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7月15日とは

2015年07月16日 00時49分48秒 | Weblog
 自民党の委員会強行採決。何を書いたらよいのだろう。怒りしかない。
 安倍総理が昨日の採決にこだわったという説がある。7月15日は岸内閣が倒れた日なのである。岸信介は安部氏の祖父だが、A級戦犯であった。しかし東西冷戦の始まりによってアメリカの政策が転換し、サンフランシスコ講和条約の締結とともに公職追放が解除される。後に総理大臣となり片務的日米安保条約の改定(新条約の締結)を強行したが、国民的大反対運動の前に、当時のアイゼンハワー米大統領の訪日中止、6月15日の国会包囲デモ参加者・樺美智子さんへの虐殺などが起きて退陣に追い込まれた。ついでに7月14日には右翼に襲われ重傷も負っている。
 その岸は、反安保闘争を警察力では押さえ込めないと判断して右翼やヤクザに頼み込む。今では大スキャンダルになるところだが、岸内閣が組織した反安保運動つぶし部隊には稲川会や住吉会などが参加した。当時はデモやストのピケ破りにヤクザが突入することはよくあることだったのである。このときのヤクザとの口聞き役というか、とりまとめをやったのが政財界の黒幕と呼ばれた児玉誉士夫であり、実はこのころに児玉誉士夫の家で住み込みの下働きをしていたのが、今回の強行採決を行った浜田靖一委員長の父親であるハマコーこと浜田幸一だ。ちなみに浜田靖一氏の祖父も公職追放を受けており、その息子であるハマコーはもともとは稲川会系のヤクザの出身である。
 岸信介の来歴を追っていくと、本当に安倍総理のやってきたこととよく似ている。有利なときに解散して絶対安定多数を獲得し、アメリカに行って先行的に約束し、国会では強行採決する。このぶんでは、安部氏も退陣を余儀なくされ、テロリストに襲われるのであろうか。
 安部氏と岸は思想的にもよく似ている。復古主義者であり国粋主義者である。それにも関わらずアメリカにすり寄り、アメリカの言いなりになってしまう。いったいこの虚しい矛盾はなんなのだろう。
 安部氏は岸の安保条約締結を引き合いに出して、その当時は憲法学者は違憲だと言い、国民は反対した。しかし50年後の今日では理解が得られていると述べた。これも実は岸の「安保改定がきちんと評価されるには50年はかかる」という言葉にかかっているのだが、その安保が沖縄への基地の押しつけや、米軍犯罪の跋扈、騒音や事故などの基地被害を生んでいることに、しだいに多くの人々が気づき始めている。いまだに「安保反対」を口にするのはタブー視されているが、皮肉なことに日米安保が強まれば強まるほど、安保の問題点が明らかになっていくのだ。安保が戦後の日本の平和を守ってきたと信じている人も多いが、それこそ結果論でしかない。北朝鮮のミサイルが狙っているのは日本国内の米軍基地なのであり、ロシアが北方領土の返還に応じられないのも米国の太平洋艦隊に対する警戒があるからだ。安保の存在によって日本の平和が逆に脅かされている側面があることも見逃してはならない。
 かつて「安保粉砕」を掲げて闘った者として、力足りず安保を粉砕できなかったことが今日の多く人々の悲しみを作っていることを、痛烈に感じざるを得ない。しかし今回のような安倍政権の独裁政治的暴走は、やがて安倍政権打倒、安保反対、原発廃絶の動きへと発展せざるを得ないだろう。日本の民衆の長い催眠術が解けて、もう一度、人類の理念へ、原点へ立ち戻る日が来ることを強く願う。
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戦争法案委員会採決の日

2015年07月15日 00時21分16秒 | Weblog
 ある人がこんなことを言っていた。

「(安保法制が違憲だ、反対が多いと言うが)日本政府は、安部さんは、あれは民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、安部さんが出てきたんですよ。(中略)安部さんは、選挙で選ばれたんだから。日本国民は安部さんを選んだんですよ」
「日本国憲法という、当時世界で最も進んだ憲法下にあって、安部さんが出てきたんだから。だから常に、憲法はよくても、そういったことはありうるっていうことですよ」
「憲法もある日気づいたら、日本の、さっき話しましたけれども、日本国憲法がいつの間にか変わってて、自民党案の憲法に変わってたんですよ。だれも気づかないで変わったんだ…」

 ひとつ補足しておくと、別に「自民党案憲法」というものが存在しているわけではない。その点はこの人が勘違いしている。事実は「実質的に自民党草案の憲法と同じようなもの」である。

 戦争法案(「国際平和支援法」と10本の戦争関連法を改悪する「平和安全法制整備法案」)の委員会採決が今日強行される。いわゆる60日ルールを前提にして、確実に法案を成立させるためのスケジュールのためだ。この流れはまさに一昨年、麻生氏が述べた「ナチスの手口」そのものである。
 お気づきとは思うが、冒頭の発言はその麻生発言の、ドイツを日本に、ヒットラーを安部に、ワイマール憲法を日本国憲法に、ナチスを自民党に置き換えただけである。原文は当ブログでも触れているので、そちらを参照願いたい。(「麻生「ナチス発言」の真意を考える」http://blog.goo.ne.jp/zetsubo/e/b1369b04b6fa9afb0f9369476c3aa1cb

 ヒトラーは憲法を実質的に無効化する法律を作ったが、現在の戦争法案(安保法案)も現憲法の条文を完全に無視するものである。少し前までは与党はこれが合憲だということを何とか立証しようとしてきたが、どうも最近の公聴会の与党推薦参考人は、もはや憲法議論をすることさえ止めてしまい、ただ国際情勢上必要だ(つまり裏を返せば違憲であっても必要なんだから仕方がない)という開き直った論調になってしまったような感がある。

 とにかく政府の説明は支離滅裂である。よく引き合いに出されるのは「自衛隊のリスクは大きくならない」という、いったいその議論は何の意味があるのかと思える無意味な抵抗だ。戦争法案に賛成する論者でさえ、さすがにその主張に積極的に賛同する人はいない。
 また、どこが軍事力の発動の境目になるのかという国会での質問には、安部氏は一度も答えていない。そんなことを一々公表する国家のリーダーはいないとか、単純な話ではなく総合的に判断する問題だ、などと言ってごまかすばかりだ。そもそも、ほとんどの国には軍隊があり、交戦権を認めているのだから、どこが軍事力発動の境目かは一般的に問題になるはずがない。日本は憲法において交戦権が否定されているからこそ、そこが問題なのに、そんなことさえわからないふりをする(もしかすると、本当にわかっていないのかも知れないが。そうだとしたら大変危険だ)。

 また、単純な話ではないと言いながら、ネットではアベくんが不良に襲われたらアソウくんが助けてくれる、などという単純にもほどがあるような馬鹿馬鹿しいたとえ話をする。これほど国民を愚弄した発言はない。先日の中央公聴会で自民党今津寛議員は、参考人の木村草太首都大学東京准教授に対して「自分の家内や家族のためならどこへでも行く。国もそうだと思う」「普段お世話になっている隣の家が火事になったら、助けにいきますよね。町内会みんな火消しにいっている時に、家訓だからといって隣の火事を消しにいかないというのは私は解せないと思うのですが…」などと、まさにオツムのよいアベくんが国会では絶対に言わないたとえを出して質問をしていた。的を外しまくっている。まず「自分の家族」を助けるのは国で言えば個別自衛権の問題である。国民は家族だが同盟国は仲間かも知れないが家族ではない。それに火事は災害である。大地震が起きたら現状でも日本は国際救援隊をいち早く派遣している。問題はそんなことではない。これは火事ではなくてケンカの問題だ。しかも見ず知らずの不良が襲ってくるわけではない。同じ町内の昔から顔なじみ同士のケンカなのである。いくら仲間でも、普通の人ならまず口で仲裁しようとするのが日本人の感覚であろう。それでダメなら実際に割ってはいるかも知れないが、それでもむしろ自分の仲間の方をなだめて引き離すのではないのか。最悪、その時に相手が自分を殴ってきたら、それは「個別的自衛権」として実力行使をするかも知れない。隣の火とがケンカを始めたらいきなり一緒になって相手を殴るのは、むしろ不良の方のやり方である。

 安部氏は国会答弁で、自分は総合的に判断すると言う一方で、「能力の無い政府であれば正しい判断が出来ない」とも述べている。永遠に安倍政権が続くわけではない。いつ「能力の無い」、もしくは「能力のありすぎる」政権が出てきてもおかしくない。安部氏が言っていることは、百歩譲って、本当に安部さんが戦争を起こす気がなくても、確率論的にこの法律がいつか取り返しのつかない誤りを引き起こすことを示している。
 ぼくはここだけは政府の言うように、もう十分な議論はされたと思う。まともな判断なら、これは廃案にする以外の選択肢はない。おそらく最後は自民党の各議員がどこまでまともな判断力と勇気を持っているかにかかっている。もちろんそれを選んだのは、われわれ有権者なのだけれど。

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今日のネット署名

2015年07月11日 21時33分00秒 | Weblog
 ぼくは度々インターネット署名をしている。
 どれくらい意味があるのかは分からない。しかし別にたいした負担もないのだから、役に立つか立たぬかはともかく、ネット署名をして悪いこともない。そんな感じで参加した署名運動を紹介している。
 今日賛同した署名は次の署名である。

太平洋クロマグロを絶滅から守ろう!

キャンペーン主催者
YOICHI MOGI
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ギリシアの債務危機に思う

2015年07月05日 00時22分36秒 | Weblog
 ギリシアの国民投票が行われる。その結果次第では20世紀のヨーロッパの理念が瓦解する可能性もある。ヨーロッパは二つの大戦によって疲弊し、新興勢力であったアメリカとソ連に経済的、政治的、軍事的にヘゲモニーを奪われてしまった。そこから超大国に対抗するための大同団結の構想が高まり、現在のEUへと発展した。20世紀の終わりにはヨーロッパ統一が既定路線であると思われていた。しかし今回のギリシアの決断如何によっては、それが一気に逆方向に回転することになるかも知れない。
 人類史は現在、反動の時代である。そのメルクマールはソ連の崩壊であった。現実のソ連の実態はともかく、そこで掲げられていたマルクス主義は、近代精神の徹底化の先を目指す思想であった。すなわち「自由・平等・友愛(博愛)」を徹底すれば、競争原理に立つ近代資本主義思想はいずれ内部的に矛盾に突き当たり、その矛盾を解決する方法は脱資本主義にならざるを得ないのである。ソ連の崩壊は世界マルクス主義運動の敗北として結果した。
 これが永続的か、一時的かはわからないが、今のところ世界史の流れの方向に向かって未来を指向する大きな思想潮流は失われている。「大きな物語の喪失」と言われる現象だ。それに取って代わったのが各種の原理主義であり、その根本は実は腐った近代主義ではあるものの、表面的には一見過去の古い思想への回帰として現れている。
 もしギリシアがEUとユーロ圏から離脱すれば、EU各国にその波紋は広がっていくかも知れない。欧際主義は後退していくかも知れない。それはますます世界の反動的状況を深めることになるだろう。
 もちろんギリシア問題はギリシアだけが引き起こしたことではない。そもそも通貨を統合する以上、政治的な統合は絶対に必要であった。連合国家としての強い政治統合がない中で、単純に通貨を統合したら、同じ程度の経済状況の国同士ならまだしも、経済的に弱い国を巻き込めばこうなることははじめから明らかだったのだ。だから今回の問題の第一の原因は、EUが結局のところ国境を取り払うことが出来なかったというナショナリズムの問題である。
 また、日本の報道では一方的にギリシアが悪いという印象付けが行われているが、歴史的に見たら現在のギリシアを作ったのは先進大国であるということも見ておく必要がある。極端には「ギリシアの国民性」が今回の問題の原因であるというような、まるで歴史も経済も吹っ飛ばした珍説まで言われているが、地政学的に重要地点であるギリシアはずっと大国の思惑の中でもてあそばれてきたと言ってもよい。
 まさにアメとムチによってギリシアは経済援助と政治・軍事的圧力を受けながら、国内政治がぐちゃぐちゃにされてきた。極右の軍事独裁政権から、左翼政権まで、ギリシアの政治は激動を繰り返してきたのである。その中で現在の経済危機に至るような破滅的な経済政策がとられることになったのである。それを単に国民性などと簡単に片付けるのは暴論と言うしかない。
 ヨーロッパがギリシア問題を人類の未来につなげるような形で解決できるかどうか、それは人類史上で最も大きなポイントになるのではないかと思う。

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