国会では自民党の一党独裁的状況の下で世論無視の強硬な運営が続いている。残念なことに議会での討論ではなく、人の目に見えない密室での裏取引で物事が進んでいき、本当に意味のある議論は議場には全くない。政府側は議員にはただ決められた時間だけしゃべらせておいて、その内容を真摯に受け止めて一緒に考えようという姿勢は全くない。日本の国権の最高議決機関であるにもかかわらず、小学校の学級会だったら先生に叱られるレベルの最低の会議である。
しかし議会の劣化は国会だけの問題ではない。地方議会もかなりひどいようだ。少し前なら「前時代的」とか「非民主主義的」とか「時代逆行」などと当然批判されていたようなことが、今やほとんど何の摩擦もなく平然と決められていく。
今回のブログはちょっと禁じ手っぽいが、ある地方議員のブログを紹介して、読者の方にご自分で考えていただこうと思う。このブログを特に紹介する理由はあまりないのだが、自分が住んでいる地域に近いところの話なので、たまたま目についたのである。
ともちゃんのブログ
よそ者の線引きはどこべに?意味不明だに~
筆者の永野氏は共産党の地方議員のようだ。残念ながらぼくはこの市に住んでいるわけではないので、細かいニュアンスは分からない。ただ近隣のことなので多少の噂は聞いたことがある。あまり正確ではないが以下に用語解説のかわりに多少そうしたことを書いておこう。まあ、あくまで参考と言うことで。
小野市長は地元出身の「有力者」だ。市議会議員から県議会議員に転身し、一番新しい市長選挙では自民党系勢力の対立構造の中で前市長から急遽後継指名を受けて当選した。
冒頭で高野議員という名前が出てくるが、この人はこの市の共産党議員団のリーダーである。
「上南の違法状態」というのはわかりづらいが、上日出谷南という地区の区画整理に関わる問題らしい。ここの区画整理組合では会計をあいまいにしたまま、多額の財源不足が発生しているとして組合員からおカネを徴収することになった。それを県が認可したのは違法だと地権者が裁判に訴えているようだ。
たびたび登場する佐藤議員というのは、元市役所幹部で民主党系の有力議員である。彼が市の幹部だった当時は彼の妻が市会議員をやっていた。これはただのイメージで事実とは異なるかもしれないが、よく小説やドラマに出てくる陰の実力者という印象がある。
「社協の会長」というのは、現市長を後継指名した前市長が、市の社会福祉協議会の会長に有償で就任していることを指している。この市長を巡っては次のような判決が出ている。
毎日jp『桶川市庁舎問題:精算金訴訟 市側の敗訴確定 上告受理されず』
ちなみに、現在この社協でもあいまいな会計が問題になっているらしい。
多くの人が疲弊している。そうした中でついつい人の目は目先のことだけしか見えなくなってくる。実は国会はまだ人目につきやすい。そういう中で案外自分が住んでいる地元の議会がおかしくなっているかもしれない。
民主主義と漠然と言っても、一見、抽象的で自分の生活とは関係ないように思えるかもしれない。しかし民主主義は常に気をつけ、常に前進させていこうとしない限り、どんどん劣化していくのだ。
民主主義はシステムではない。目的でもない。一回民主主義的なシステムが出来たらそれで万事OKというわけではないのである。それはまるで流れる川のようなものだ。川を作ったから大丈夫なのではない。川の底をさらいゴミを拾ってきれいな水を流し続ける努力をしなかったら、川はあっという間に腐った水たまりに化してしまう。
もちろん民主主義は手段である。民主主義は持つことに意味があるのではない。使うことにこそ意味があるのだ。誰かに預けておいて安心していたら、きっといつの間にか消えてしまうだろうと思う。
しかし議会の劣化は国会だけの問題ではない。地方議会もかなりひどいようだ。少し前なら「前時代的」とか「非民主主義的」とか「時代逆行」などと当然批判されていたようなことが、今やほとんど何の摩擦もなく平然と決められていく。
今回のブログはちょっと禁じ手っぽいが、ある地方議員のブログを紹介して、読者の方にご自分で考えていただこうと思う。このブログを特に紹介する理由はあまりないのだが、自分が住んでいる地域に近いところの話なので、たまたま目についたのである。
ともちゃんのブログ
よそ者の線引きはどこべに?意味不明だに~
筆者の永野氏は共産党の地方議員のようだ。残念ながらぼくはこの市に住んでいるわけではないので、細かいニュアンスは分からない。ただ近隣のことなので多少の噂は聞いたことがある。あまり正確ではないが以下に用語解説のかわりに多少そうしたことを書いておこう。まあ、あくまで参考と言うことで。
小野市長は地元出身の「有力者」だ。市議会議員から県議会議員に転身し、一番新しい市長選挙では自民党系勢力の対立構造の中で前市長から急遽後継指名を受けて当選した。
冒頭で高野議員という名前が出てくるが、この人はこの市の共産党議員団のリーダーである。
「上南の違法状態」というのはわかりづらいが、上日出谷南という地区の区画整理に関わる問題らしい。ここの区画整理組合では会計をあいまいにしたまま、多額の財源不足が発生しているとして組合員からおカネを徴収することになった。それを県が認可したのは違法だと地権者が裁判に訴えているようだ。
たびたび登場する佐藤議員というのは、元市役所幹部で民主党系の有力議員である。彼が市の幹部だった当時は彼の妻が市会議員をやっていた。これはただのイメージで事実とは異なるかもしれないが、よく小説やドラマに出てくる陰の実力者という印象がある。
「社協の会長」というのは、現市長を後継指名した前市長が、市の社会福祉協議会の会長に有償で就任していることを指している。この市長を巡っては次のような判決が出ている。
毎日jp『桶川市庁舎問題:精算金訴訟 市側の敗訴確定 上告受理されず』
ちなみに、現在この社協でもあいまいな会計が問題になっているらしい。
多くの人が疲弊している。そうした中でついつい人の目は目先のことだけしか見えなくなってくる。実は国会はまだ人目につきやすい。そういう中で案外自分が住んでいる地元の議会がおかしくなっているかもしれない。
民主主義と漠然と言っても、一見、抽象的で自分の生活とは関係ないように思えるかもしれない。しかし民主主義は常に気をつけ、常に前進させていこうとしない限り、どんどん劣化していくのだ。
民主主義はシステムではない。目的でもない。一回民主主義的なシステムが出来たらそれで万事OKというわけではないのである。それはまるで流れる川のようなものだ。川を作ったから大丈夫なのではない。川の底をさらいゴミを拾ってきれいな水を流し続ける努力をしなかったら、川はあっという間に腐った水たまりに化してしまう。
もちろん民主主義は手段である。民主主義は持つことに意味があるのではない。使うことにこそ意味があるのだ。誰かに預けておいて安心していたら、きっといつの間にか消えてしまうだろうと思う。