あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

お腹が痛くて辞めた総理を子供じみていると批判してはいけないのか?

2012年09月30日 15時05分48秒 | Weblog
 自民党の安倍新総裁のことをテレビ番組で揶揄したとして小倉智昭氏がネットで批判されているという。


リンク: 安倍元首相の「腹痛」を揶揄  「とくダネ!」に疑問相次ぐ - 速報:@niftyニュース.


 ぼくはその番組を見ていないし、また確かに品のある発言とも思わないが(小倉氏に品を求める人もいないだろうが)、しかし安倍氏は揶揄されて当然だとも思う。

 そもそも、お腹が痛くなって総理大臣を辞めたのは本人も認める事実であり、それを「子供じみている」と感じることも別に変なことではない。
 これは難病患者を侮辱したり傷つけたりするということとは別の問題である。ある種の病気や障害によってある種の職種や職業につくことができないことは一般的に良くある。最近ではてんかんの人が自動車運転免許を取得できるかどうかという議論がよく聞かれた。それは差別ではない。

 問題なのは総理大臣という職種につくためにどのような適格条項が存在するのかということだ。
 もちろん潰瘍性大腸炎という難病を抱えているからといって、それで直ちに総理大臣として欠格だというわけではない。また政治家である以上、自分の健康状況を隠さねばならない場合もあるだろう。そんなことを言っているのでもない。
 病気を隠そうが公表して自分にはサポートが必要だと主張しようが、そんなことだってどうでもよい。
 重要なことは総理大臣という仕事をちゃんとやれるかどうかなのだ。

 こんなことはすべて結果論でしかないが(しかしまた政治家は結果がすべてであるともよく言われることだ)、安倍氏氏は病気のために総理大臣を続けることができなかった。それはつまり自分の病気が総理大臣をやれるだけの病状なのかどうかの判断が彼にはできなかった(もしくは間違った)ということになる。

(と言うより、これは安倍夫人が実際にテレビのインタビューに答えていたことだけれど、安倍氏の病状悪化は政治情勢が緊迫して総理大臣批判が強まったことによって引き起こされたというのが事実らしい。そしてそれは一般の人々の受け止め方とも一致している)

 このことをもって安倍氏が「子供じみていた」と批判することが無謀なことだろうか。

 彼は肉体的にも精神的にも総理大臣という重責を担うだけの能力を持っておらず、しかもそのことを自覚することさえ出来ないで、日本国の最高権力者に自らなったのであり、そして当然ながら職責を全うできずに政権を放り投げたのである。子供じみているにも程があるではないか!

 ましてや自分の国の最高権力者(で、かつてあった、そしてまたなろうとしている者)を揶揄することは、ぼくは当然の言論の自由の範囲であろうと思う。
 これはキリスト教徒がマホメットを揶揄し侮辱するのとは全く意味が違う。自らが(間接的ではあるが)選んだ最高指導者を批判的に評価する権利は民主主義国家であれば当然守られるべきである。

 「ネット世論」では安倍氏が総裁選直前に食べた3500円のカツカレーを取り上げるマスコミへの批判も大きいらしい。
 確かに別に3000円だろうが1万円だろうが食べたいものを食べればよいし、大金持ちのボンボンが総理大臣になっていけないわけでもない。しかしまさに神は細部に宿るのであって、その政治家の資質的なものをちょっとした振る舞いから見透かせる場合もある。

 我々が求める国家とは何か? それは北朝鮮のような国家なのか、中国のような国家なのか。おそらく大半の人はそうは思わないだろう。
 我々は国家主義ではない。民主主義を求めているのだ。(正直言ってぼく個人は民主主義がベストアンサーだと思っているわけではないが)
 それでは我々が思っている民主主義とは何か。それは観念でも経済でも軍事でもなく国民自身、ひとりひとりの人間が尊重される社会である。我々が求める国家は国家のために国民が存在するのではなく、国民のために存在する国家である。
 それでは国民とはどのような存在か。それはただの庶民であり、ようするに金持ちなどではないのである。

 そうであればそうした国の最高権力者は圧倒的多数を占めるただの庶民、その辺の貧乏人の生活実態を理解していなくては民主主義国家の運営など出来ないと言える。庶民的な生活をあえてする必要もないが、しかしそれを知っていて皮膚感覚で理解できないとしたら、そうした政治家は少なくとも民主主義国家の指導者としては不適格なのである。

 だからぼくの願いはひとつだけだ。
 安倍さんが総理大臣に返り咲くことなど絶対ありませんように。

ご都合主義的人殺し政府

2012年09月27日 11時20分48秒 | Weblog
 民主党政権は今年三度目になる死刑執行を強行した。
 領土問題では国際司法制度を活用すべしとか、まるで日本が国際社会でルールを守り、韓国はそうではないようなイメージ戦略をとろうとしているが、国際社会が禁じている死刑をこうも堂々と行っている国が、そんなことを言えた義理かと思ってしまう。
 しかも次々人殺しを命じている法務大臣はすでに大臣就任時から引退を表明しており、死刑執行に対して真摯に責任を持つ気はさらさら無さそうだ。
 これもまた官僚支配の一環なのだが、それに関してはマスコミは全く触れることがない。
 信念を持ってそれを貫く政治家はその信念そのものが間違っており、何も考えていない能なしの政治家はただ流されていくだけ。
 しかしそうした状況を生み出しているのはいったい誰か。
 そう、一般の有権者に他ならないのだ。


本当に国家主権を侵しているのは誰か

2012年09月22日 11時59分27秒 | Weblog
 尖閣問題や竹島問題が政局になる中、オスプレイの試験飛行が強行され、原発ゼロ方針の閣議決定が見送られた。
 今日の報道では閣議決定見送りは米政府の「要請」によるものだったことが明らかになった。

 はっきり言う。

 いくら中国船が入り込んだとしても尖閣列島は現実的に日本の実効支配下にある。
 竹島はずっと韓国の実効支配にあり、それは今急に状況が変わったわけではない。
 現時点で日本の国民の意思・意見を踏みにじって人々の生命と財産に危害を及ぼす可能性のある政策を押し付けているのは実にアメリカ合衆国政府なのである!

 このことは絶対に絶対に肝に銘じておかなくてはならない。

戦争か回避か

2012年09月20日 17時00分34秒 | Weblog
 はっきり言って日本の右翼は全くの平和ボケだ。
 尖閣列島の事態はすでに戦争直前の危機的状態になっていると言ってよい。
 それは中国国内が一触即発の状態だからだ。何かあった場合に中国共産党指導部は国内の動きを抑えきれない。その場合には中国政府は戦争を決断せざるを得ない。

 いま中国政府は自国民をギリギリのところでコントロールし、内政と外交のバランスを取ろうとしているので、表面的には事態を収拾する方向にあるように見えるが、それがいつ崩れてもおかしくはない。
 このまま日本の右翼勢力が挑発を続けるということは、まさに中国をして戦争に突入させる状況に追い込んでいることに他ならない。

 右翼は戦争に突入する覚悟を持ってやっているのか?
 もし本気で戦争しようとしているのだとすれば、そうした人の決意を変えることは難しい。戦争をする覚悟はすなわち死ぬ覚悟だからだ。もはや右翼諸君に最前線に出て行ってもらって死んでもらうより仕方ない。

 しかし、ぼくにはどうにも日本の右翼がそんな覚悟を持っているようには到底思えないのだ。

 そもそも今回の事態の発端である石原慎太郎の「尖閣購入」は、民主党の混乱と総選挙が近づいた状況の中で、領土問題とナショナリズムを政局にして、自分(たち)に有利な状況を作ろうとしたものでしかない。別に九州や沖縄の漁民のことを思ってやったことではない。結果は皆さんがよくご存知のとおり、自民党総裁選では極右ばかりが台頭し、まさに維新の会の人気とあいまって次の政権は極右政権になる危険性が強まっている。

 そうした権力者たちのヘゲモニー争いのいわば道具になってその辺のチンピラ右翼が騒いでいるわけだが、それでは彼らが何をやっているかといえば、日本人が経営する中華料理店に投石するなどという、もはや腰抜けと言うのを通り越して情けなさすぎる事件を起こすことしかできないのだ。

 こんなやつらに本気で死ぬ覚悟などない。
 こんなやつらの為に戦争に巻き込まれるなど全く持って御免こうむる。

 戦争か、戦争回避か。答えははっきりしている。
 そして戦争を回避する方法はひとつしかない。
 挑発を止めさせることだ。




まったくね

2012年09月19日 17時34分14秒 | Weblog
中国のナショナリストは毛沢東の写真を掲げ武装警官隊と肉弾戦をやっているというのに、日本の右翼は未だに「自国の管理下にある自国領土」である島にこそこそ上陸したり、外国人の子供を狙って学校に放火するという弱いものいじめしかできない。
それこそ愛国者どころか日本の恥さらしでしかない。日本人ならもう少し恥を知れ。(と、言ってみる)