特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

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令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。

災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について


■今後のボランティアバス活動予定
第10回 5月25日(土) ≫ 26日(日)
※現地との兼ね合い、また定員数に満たない場合などで変更になることもあります。

石巻報告

2011年03月21日 11時25分54秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア

久田です。
帰ることができる家があり、
出迎えてくれる家族がいることの幸せを感じています。

私たちは宮城県石巻市で終日行動しました。

まず午前10時ころ、宮城県水産高校に旧知の平居先生を訪ねました。
平居先生のご家族やご自宅は、津波や火災の被害を免れました。
それでも48時間、水がひかず、学校から出られず、家族との連絡がとれなかったとのこと。
まずは近くの別の学校で教員をされている奥さんと会うことができました。
その後、保育園に通う2人のお子さんの安否確認をしていると
なんと平居先生のご自宅にお子さんと保育園の先生、園児10人ほどが避難していたといいます。
6歳のお子さんが、ウチは無事だからウチにいこうと誘ったそうです。
6歳児ながら、たくましいお子さんです。
途中、震度3~4の余震がありました。
平居先生は3くらいかな。このくらいないと寂しい感じがすると、
不安な顔をする私たちの前で笑っていました。

平居先生からは、ボランティアに来られるんなら、寝袋さえもってきてくれれば、
15人くらいなら自宅を宿泊所にしていいですよ、との言葉を頂きました。
宿泊所を確保しました^^

平居先生から「野戦病院」と化していると聞いた、石巻市立湊小学校へ向かいました。
久世君が中越大地震のボランティアでお世話になった方々とお会いし、
運動場の通路確保の作業をしました。
流れついた材木などから、適当なものを見つけ出し、
ぬかるんだ運動場にならべました。
半分くらいが私たちの仕事です。
奥に写る校舎が傾いているのは私が傾いて撮ってしまったせいです。


続いて、湊中学校へ移動し、鶴岡元気村の草島氏と再会。
午後7時から石巻に入っているボランティアの情報交換会が開催されるとのこと。
詳しくはその会議で聞くことにしました。
湊中学の避難者は大人ばかり60~70人とのこと。
そこでキング製菓様から頂いたビスケットを半分ほど渡してきました。
湊中学から海までは、600mほどの距離。
4mほど水に浸かったことは写真の柱から分かるでしょうか?


学校の前にはニチイケアセンターのワゴン車が4~5台ありました。
実はケアセンターの要介護者が22人この車で逃げてきましたが、
車に乗ったまま水に浸かり、ゴミがかぶさり、
中から助け出すことができなかったそうです。
ようやく土曜に車からご遺体を出すことができたそうです。


私たちにこの話を聞かせてくれたのは橋本さん(67歳、男性)。
橋本さんも知り合いの女性を助けることができなかったと涙を流して
その時のたいへんな状況を話してくださいました。
橋本さんから「たばこ、もってない?」と尋ねられましたが、
私は禁煙してすでに30年以上。
「朝ごはん食べて、温かいコーヒー飲んで、たばこ吸えると、いいんだよなぁ」と橋本さん。
次は好きなラークとコーヒーもっていきます。

その後、湊小学校へ移って、チーム神戸の金田真須美さんと会うことにしました。
金田さんは湊小学校にしばらく常駐することになっていました。
しかし、地震による地盤沈下で、大潮のこの日、湊小学校に通じる道は20~30cmの冠水をしてしまいました。
私たちも、所用で仙台に行っていた金田さんも冠水した道路で立ち往生。
水がひくの待つことに。
150mほど先の親戚にストーブと灯油を持ってきた車も立ち往生。
「よろしければ私たちが運びますよ。こういうことをするために来てますから」と申し出て、運搬。
もっていったお宅は名物の笹かまぼこの工場。
泥の残った1階、狭い階段を上り、3階へ。
6~8畳程度と思われる部屋に前日まで10人ほどの見ず知らずの人たちが避難されていたそうです。
津波に追われ、見ず知らずの家に逃げ込み、助け合っていられたのです。

たいしたこともしていませんでしたが、お礼にと笹かまぼこを頂きました。
また、伺えばご主人は7年前まで東京の都立高校で国語の先生をされ、
定年退職後の家業の笹かまぼこ屋さんを継がれたそうです。
実は以前、兵庫県佐用町の水害被災者の家を掃除した際も、国語の先生の家でした。
私も国語科教員です。何かの縁です。

頂いた高重商店さんのチーズ入り笹かまぼこ、絶品でした^^ありがとうございました。
高重商店さんが営業再開の折には、名古屋で応援販売させていただきたいと思います。
 ※ネットで検索してみたら、高重商店さんの笹かまぼこは知る人ぞ知る笹かまぼこの名品です。

水がひき、ようやく湊小学校へ。もう午後7時になっていました。
ボランティアの連絡会は金田さんの知り合いも参加しているので、出席をあきらめました。
名古屋からの物資を運び込んでいると、男性高齢者が肺炎を起こしているので救急車をと、被災者からSOS。
金田さんがすぐにかけつけ、医者や看護師とまちがわれるくらいにてきぱきと指示をだしていたとは
金田さんに同行した宮垣君からの報告。

救急車がかけつけ、男性は病院に搬送されました。

荷物を運びこみ、今後のことなどを金田さんと話しているとすでに午後9時。
私たちに寄せられた支援物資は石巻市立湊小学校へ運ぶことにしました。
また金田さんから必要な物資をリクエストをしてもらうことにしました。
月曜の午後2時にはバイト先へ行かなければならない宮垣君。
午後9時が下限と考えていましたので、急いで帰名。
湊小学校には私たちの宿泊スペースも用意して頂いていたのですが…。

帰途はトイレ休憩と給油のみで、久田、久世が交代で運転。
午前9時に地下鉄本郷駅に無事到着しました。

いろいろ学んできました。
これからが本番です。
みなさん、がんばりましょう。

コメント (6)
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