かつて、鳩山という総理史上でも極めつけのルーピーが、原発反対運動に関して
こう叫びました。
「反原発運動は朝鮮民族解放闘争だ!」
これを敷衍するなら「わが国の左翼運動は朝鮮人の民族解放闘争だ」で、これを視座に据えると
この国の左翼に国を愛する心がないことが、なぜなのか納得します。
日本の左翼運動って、結局「朝鮮人の民族解放運動」なのです。
左翼は、おおむね朝鮮人かせいぜい中国人です。
そして、日本人左翼はそれへの、少数追随者、と日教組の左翼教育に洗脳された、団塊の世代をピークの大人たちです。
ネットが現れてから、若者たちのほうが賢くなりました。
数年前、高山正之さんが週刊新潮の「変見自在」に寄稿された内容が興味深かったのですが、
世界中に左翼はいるのに、愛国心が欠落した左翼は日本だけで、いや欠落以上に国家への憎しみがあり、その不可解さを「朝鮮民族開放闘争」という視野で振り返ってみると、それなりに腑に落ちる点があるように思いました。
まずは、高山正之氏の論調です。論旨をこちらでまとめさせていただいたもの以外、直接文章を引かせていただいたものは末尾に(ママ)と記しました。文章の圧縮の仕方にも、それをやる者の主観がやや入りますから、そこはご承知おきください。極力主観は排除しましたが。
更に色文字、ゴチック強調は弊ブログ主の恣意によることも、予めお断りしておきます。
・・・・・以下、高山正之氏の文章から・・・・・・
・チャーチルとルーズベルト、昭和18年にカイロへ赴く。蒋介石と宋美齢が待っていた。
・蒋介石は白人側へと寝返り日本と戦っていた。
・裏切り者の褒章を決めるのがこのカイロ会議だった。蒋介石への褒美は満州。
・奴隷制をいまだ持ち、引け目に感じる米国が奴隷制のない一流国日本を裁くのは格好がつかなかった。
・そこで、「この際日本も同じ奴隷国家に仕立てちまえと」(ママ)(日本支配下の朝鮮は)「奴隷状態にある」という文言を入れた。
・糞尿にまみれて暮らし、女に名前すらなかった当時の朝鮮に電灯を灯してやったのが日本だったので、それを「奴隷状態」と表現されて蒋介石たちは大笑い。
(こうして日韓併合は日本帝国による朝鮮の奴隷化フィクションが始まる)・・・( )内はBB解釈です。
・彼らは戦後すぐ「在日本朝鮮人連盟」を立ち上げ「我々は日本の搾取と奴隷的差別から解放された。日本に報復する」と宣言。
(BB注;ルーズベルトの捏造が、真実として一人歩きを始めた)
・彼らは殺しも強姦もやりまくった(ママ)
・日本側が諫めると警察署を襲い、首相官邸にも殴り込んだ(ママ)
・賭博開帳の現場に踏み込んだ警官を捕まえ、嬲り殺しを始めた(ママ)
・手を出せない警察に代わって、ヤクザの組が凄まじい市街戦を4日間やって警官を救出した。
(BB注:米軍占領下にあった当時の日本政府と警察の無力さを理解しておく必要があります)
・米国の執念深さを知る世界は、日本は消えて無くなると思っていた、在日以外は。彼らは日本人の凄さを知悉していた。
・日本の再生を知っていた在日は土地の不法占拠を始めた。駅前の土地がやられた。
・彼らは大方が密入国者だったが「強制連行された」ことにして、「外国人の犯罪者は国外追放」の適用を日本政府に外させた。
・生活保護法(昭和25年)ができると、在日は「オレたちにも寄越せ」と騒ぎ立て、門前払いをした長田区役所を襲った。
・以降、あちこちの役場が襲撃され、厚生省は在日にだけ生活保護費の無審査支給を認めた。ママ
(BB注:以前、河本準一を個人攻撃しているというのが、マスコミ他左翼の片山さつきさんバッシングの口実ですが、片山さんが問題にしているのは、河本個人ではなくこの歴史背景ですね。また駅前一等地をパチンコが占めているのは、敗戦時の混乱に乗じた朝鮮人の強奪によります)
(写真は、生活保護と住民税免除を要求して長田区役所を襲撃する在日朝鮮人集団。
昭和25年11月27日)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1250539832
(BB注:戦後史は在日による恫喝の歴史でもありますが、この側面から切り込んだ文章が少なくまた知られていないのは残念です)
・参政権も要求したが政府はそこだけは食い止めた。
・しかしバカはいるもので、それが最高裁判事の園部逸夫。このバカは参政権訴訟の傍論に「日本は朝鮮人を搾取し、差別した過去がある。償いとして与えるべきだ」と書いた。
(日本人の顔に見えないのは、気のせい?)
(BB注:どんな搾取なのか述べるべきであるし、密入国者たちの暴動やレイプ殺人に優しくある義理はない。それが差別だろうか?)
・もっとも彼は司法試験を通っていない。裏口から判事になった一人だ。親の七光りとも言われる。(ママ)
(BB注:裏口から判事って、それ朝鮮人のやり口では?・・・・最高裁判事・園部逸夫は、あろうことか「皇室制度に関するヒアリング」に呼ばれ愚論を垂れる)
さて、最高裁判事・園部逸夫にまで筆が及んでいますが、大事な骨子は左翼としての朝鮮人たちの発祥から過去、現在に至るまでのミニ歴史ですので、それを頭に入れておいてくださいね。
この国の左翼運動がいかに在日と左翼がコインの裏表として密着しているか、日本の繁栄と安全を願ってのことなのか、あるいはその逆なのか・・・解ると思います。大津市の事件もね。左翼日教組と在日、部●が引き起こした日本人虐めの構造です。
日本共産党、つまりソ連コミンテルンの日本支部が非合法であった時代、党員3万人のうち、実に三分の一が朝鮮人でした。関東大震災では、日本人の妄動ばかりに焦点が当てられますが、東京や横浜で市内の家屋に火をつけてまわり撹乱工作を行ったのは、彼らです。
当時の朝鮮人たちはロシア革命を、この日本でも夢見ていたのです。
戦後、共産党を再建したのは在日朝鮮人連盟だということを忘れないようにしましょう。
在日社会から潤沢な資金を提供されつつ共産党は、武装闘争と称して日本国家の乗っ取りを着々と行い、これが50年代半ばまで続いたのです。
しかし、内部分裂が起きます。
「行動派」による暴力路線が過激になるにつれ、宮本顕治ら日本人グループと、一方の朝鮮人グループに対立が生じます。
権力闘争により、敗れた朝鮮人グループは大挙して社会党に移籍しました。
穏健左派の社会党が、朝鮮人政党に変わったのが、この時です。
暴力革命を志向する連中がは民主主義の政治体制そのものを拒絶、その結果出来上がったのが新左翼と称する全学連です。
新左翼・全学連は、ヘルメットとゲバ棒で武装、安保闘争へと拡大していくわけです。
60年代から70年代、朝鮮総連を通じて北朝鮮と連携、運動はより激化します。よど号乗っ取り事件で里帰りしたのは、赤軍派という名の朝鮮人グループでした。中核派も革マル派も同様に朝鮮系なのです!
しかし、朝鮮民族解放闘争を進める活動家たちは、90年代初頭のソ連東欧崩壊後、勢いが失せていました。社会主義革命を唱えても、世の中が聞く耳を持っていなかったからです。
ところが大津波で福島第一原発の事故が起こると同時に、朝鮮左翼たちは蘇りました。
菅直人を先頭に、朝鮮系活動家たちは反原発運動で息を吹き返したごとくで、虚偽の放射能危険説を広め、電力事業を叩きまくりました。原発停止すれば、日本経済は疲弊してくれるからです。
・・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、拙論の趣旨からいささか逸れて恐縮だけど、この園部逸夫。
傍論の意味を、「在日をなだめる政治的配慮があった」と。
嘘つきと、ゆすりたかりどもに何の「配慮」だろう?
判事が何を根拠に「政治」的配慮をするのだろう?
それにしても、日本人なの・・・・? このお顔?
2004年の参院憲法調査会で参考人として「女性天皇を認めることが最もふさわしく、必要だ」と述べた。小泉内閣が設けた首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の座長代理を務め、05年に女性・女系天皇を認める報告書を作成した。
ものすごく、そしてあられもないほど率直・素朴にこの園田さんにうかがいたいのだけれど「玉串奉奠という単純な動作すら出来なかった愛子さまの知力で天皇やれます?」「雅子さまがその母親にふさわしいと?」「朝鮮男がどこかそれなりのお家の養子になって、そこを経由して愛子さまの夫になるというシナリオは無し?その夫が実質的に宮中の支配権を握り、その背後で更に雅子さまとご実家が采配を振るう構図は荒唐無稽な妄想? 人権を持ちだして、雅子さまのルーツ調べを中断させた一派があるやに聞き及んでいますが?」と・・・・・。
日本人は、韓国側やこの国の左翼(朝鮮人が多い)が言うほど、朝鮮人に冷たくはありませんでした!!
石炭採掘の軍艦島もそう、給与は高く、朝鮮人鉱夫専用の遊郭まであったのです。
園部逸夫
天皇陛下による「お気持ち表明」の違憲の可能性を認めつつも、「生前退位」を「人道主義」の観点から賛成と表明。
・・・・・・・・・
園部逸夫について、コメ欄に補足情報を頂きました。
◆「典範改正」「生前退位」の会議には、漏れ無く「園部逸夫」が付いて来る。 (らむ子)2018-06-08 09:57:27
『天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議』にも…
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai5/gijisidai.html
『陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会』にも…
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/taii_junbi/dai2/siryou1.pdf
園部逸夫が有識者として名を連ね、発言しています。
そもそも、小泉政権下で園部氏が座長代理を務めた「皇室典範改正」についての有識者会議が発足する前の極秘検討会メンバーで、典範改正に於ける法律上の課題や法改正の方向をまとめていた中心人物との事。
↓
【皇室】皇室典範、97年から内閣・宮内庁OBらによる極秘検討会…紀宮さま即位も? 毎日新聞 (リンク切れ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051125k0000m010172000c.html
内閣や宮内庁のOBらによって皇室典範の改正を念頭にした極秘の
検討会が、97年から開かれていたことが、政府関係者の証言などで
24日明らかになった。メンバーは、内閣法制局や宮内庁、総理府(当時)
の元幹部らで、天皇家の長女、紀宮さま(黒田清子さん)の即位の
シミュレーションも行われた。政府関係者が皇位継承の危機的状態を
背景に少なくとも8年も前から検討を始めていた実態が浮かんだ。
会合は特別研究会や懇話会などの名前で、OBを集めて行われ、当時、
宮内庁の鎌倉節長官や古川貞二郎官房副長官、大森政輔内閣法制局
長官ら現役の政府関係者も参加したこともあったという。97年4月から
始まり、皇位継承制度を重要な課題と位置づけ、法律・政治・歴史などの
研究者を集めて月1回程度の割合で開いていた。
大学教授らが資料を作成して持ち寄っての勉強会形式で、結果は、
今回の有識者会議の資料としても活用された。有識者会議で座長代理
を務めた元最高裁判事の『園部逸夫』氏も当時の研究者のメンバーの一人で、
主に法律上の課題や法改正の方向をまとめる中心になっていたという。
皇太子妃雅子さまの懐妊などがあり、研究会は3年近く開かれなかった
時期もあったが、03年春から内閣の官房・法制局、宮内庁が公式検討に
向けて準備を始め、女性天皇の配偶者に関する項目など具体的検討に
入った。関係者の一人は「皇室制度の改正は、天皇家に直接かかわる
話で、性質上、細心の注意を払って対応した」と極秘検討の理由を説明
している。
『 』はらむ子記入
現在の式典準備委員会の有識者は、他に、石原信雄、所功、本郷恵子…って、何の冗談か⁉️
女系派、祭祀骨抜き派に、上皇后作者とか…
菅さん、なんでこんな人選したの😱 外すと煩いからなんでしょうけれど。それにしても…
皇室終わっちゃうどころか、中韓に日本が征服されちゃいますよ😭
・・・・・・・・・・・ここまで
>菅さん、なんでこんな人選したの
上皇后の差金人選を想像するのは、穿ち過ぎでしょうか?
祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
無記名Unknown は読まぬままハネます。
内容要約のタイトルを入れ他とかぶる可能性のないHNを記名の上、ご参加ください。
文章の一部をHNに代用すること禁止。「匿名」「通りすがり」など
極力受け付けません。
異論反論歓迎、しかし一定の知的レベルに満たないコメントは、最初は極力公開しますが、それ以降は読まぬままハネます。