眞子さまと小室圭氏に関する一連の報道を受けて宮内庁が
「皇后陛下のお気持ち」を発表しました。
異例のことです。天皇陛下のお気持ちの最たるものは公共放送NHKを私物化なさっての声明文(=必ず味方につくであろう大半の国民を見越しての、政府への要求文)です。
次にご学友や、お使いの理髪店主を通じてのご意見発表。
皇后陛下は、女性誌を通じて行われる美智子さま、雅子さま上げ記事をも読まれて
いらっしゃるかと思いますが(でなければ、宮内庁を通じての抗議などありえないので)これらアンチ安倍政権であり、皇后陛下と雅子妃ヨイショの記事も読まれているのか、(書かせていらっしゃるのか。それは不可能ではありません)それに対してはお言葉の一つとてなく(賛美記事にも、どうかと思われるものが、たくさんあります!)、秋篠宮家に関する記事に対してはお気持ち表明の抗議、というのがなんだか素直に受け取れないのです。
週刊女性、女性自身、女性セブンの3誌はまぎれもなくその基礎論調が左翼誌です。
安倍政権貶めに余念なく、昭恵夫人批判も安倍政権によかれの視点(拙ブログがそうです)からの観点ではなく、たとえばこれ。
安倍昭恵さん、あと3年、首相夫人で♥ 国民恐怖の夫婦ノーテンキ愛。
揶揄の形を取りながら、安倍総理への悪意がみなぎるキャッチコピーです。あたかも
総理がアホな昭恵夫人に支えられて、あと3年の総理の座にしがみついているかのような。
昭恵夫人のお電波ぶりを、安倍総理におっかぶせての印象操作は、眞子さまと
小室圭氏を持ち出して、秋篠宮家貶めの印象操作を企むのと同じ仕組みです。
宮内庁が発表した眞子さま、小室圭氏騒動に対する皇后陛下の「お気持ち」ですが、
一読、これは眞子さまと秋篠宮家を思われてのお言葉ではなく、我が身可愛さの
ご自身庇い立てのお言葉だと、ブログ主は読みました。
皆さんは、どう読まれるでしょうか。
・・・・・・・・・・・ここまで
「生前退位」が憲法違反に抵触しかねない、という識者の見解が出始めた時、
皇后陛下が「指図したのは、わたくしではありません」というごとき
不思議な論調をマスコミに流し始めた・・・・・? ようななんだか
不可解な印象を持ったあの時を思い出します。
両陛下としてあれ程までにお守りになろうとされた眞子さまや秋篠宮両殿下の・・・・
という箇所に言い訳を感じてしまうのですが?
だって、それほど大事な秋篠宮家と眞子さまなら、裁可を求められた時点で
相手の男を探りません?
民間でもそうしますよ?
わずかの調査で、即座に「結婚なんてとんでもない男と家」という解かるのだから。
それをしなかったご自分たち、わたくしと陛下は関係ございませんの、
ただ胸を痛めているだけですの、と読めてしまうのですが?
眞子さまのお相手への憂慮する国民の声が、皇后陛下にとっては「雑音」なのでしょうか?
国民の批判と心配の声を「雑音」と切り捨てる皇后陛下のご発言は、以前にも。
美智子様 雅子様に「雑音を気にしていては先に進めません」
2011年12月18日 16時0分
<東宮職医師団としては、最近、週刊誌を中心として、ご病気に苦しまれながらもさまざまなご活動に懸命に取り組んでいらっしゃる妃殿下のご努力を否定するかのような、悪意ともとれる誤った情報に基づく報道が、関係者とされる人物の発言の引用を含めてなされていること、そしてそのことに対して妃殿下が心を痛めていらっしゃることへの強い懸念を表明いたします>
12月9日、48才の誕生日を迎えられた雅子さまのご病状について、東宮職医師団が、毎年、恒例となっている見解を文書で発表した。だが今回は、どのような治療を施してきたか、今後、どういう治療をしていくかといった医学的な見地からの言及は一切なく、雅子さまの病気が治らないのは“週刊誌報道のせいだ”と一方的に責め立てる異例ともいえる内容だった。
そんななか雅子さまは、12月9日、天皇皇后両陛下に誕生日のご挨拶をされるため、おひとりで皇居・吹上御所を訪ねられた。
「雅子さまは挨拶された後、時間の許す限り、両陛下と話をされたそうです。美智子さまは、いまだ快復に至らない雅子さまのお体をとても心配されていたそうです」(宮内庁関係者)
そして美智子さまは、東宮職医師団の見解の内容をご存じだったのか、雅子さまに直々にこんなことを話されたという。
「美智子さまは、雅子さまに近寄られ、“心ない雑音を気にしていては、先に進めませんよ。落ちこんだり、くよくよしないように”といった旨の助言をされ、雅子さまに手を添えられたそうです。きっと報道を気にするのではなく、前を向いていきなさいという思いから、そんなことを述べられたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
振り返れば、美智子さまも1993年10月20日、59才の誕生日を迎えられた日、御所の応接室でお倒れになった。幸いに意識はすぐに戻ったが、失声症になられた。
それほどまでにお心を痛められたのは、美智子さまを皇室の“女帝”に擬した一連の“バッシング報道”に苦悩されたからだった。だが陛下をはじめ、紀宮さま(当時)、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら、ご家族の温かい励ましに支えられ、哀しみをプラスの方向に転化された美智子さまは、それから7か月後にお声を取り戻された。
柔和なその微笑に、いまでは“国母”の思いを重ね合わせる国民も多い美智子さま。つらく厳しい状況も、いつかは必ず日が射すことを雅子さまにお伝えになりたかったのだろう。
※女性セブン2012年1月1日号
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