BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

官邸の反対を押し切った岩屋毅の“非公式”日韓防衛相会談

2019-06-07 | 売国奴

【宇都隆史】岩屋防衛大臣の暴走、“非公式”日韓防衛相会談の素人仕事[桜R1/6/6]

相手がレーダー照射問題を、いっさい認めていないにもかかわらず、韓国の国防相と会ってヘラヘラした岩屋毅防衛相。

糾弾を浴びていますが、「しょせん官邸も承知のこと」と言う意見が一部ありました。しかし官邸サイドは再三止めたとのこと。その挙げ句の「非公式」会談です。

自衛隊出身の宇都隆史議員の言い分要約は、以下。

 

「会っても結果が伴わないなら意味がない」

「(外務省が徴用工問題で外交努力を重ねている最中にもかかわらず)パフォーマンス的に頑張っているように見せたい。どこの大臣だ」

防衛相経験者の小野寺五典議員は、

レーダー照射で自衛隊員が危険にさらされた訳で、その思いからすればなかなか笑顔は出せない

 

笑顔は普通の振る舞いからかもしれないが、相手は韓国。レーダー照射事案の時に、自衛隊は正確に情報を出したのに、韓国はそれを恣意的に使って反論してくるというのが今の日韓関係。そういう意味では、悪意がなくても(笑顔が)どう使われるかよく考えて対応する必要があった

 

これらの身内からの糾弾に対して岩屋毅防衛相は次の、言い訳にもならない言い訳。

やりとりとあいさつは全く別だ。会うときも別れるときも、気持ちよくというのが私のモットー。全く問題なかった

レーダー照射問題を事実無根と言い捨てられながら「別れる時も気持ちよく」。バカです。「私のモットー」? バカです。国益のかかることに何が「私の」だ。「北朝鮮の背取り取締に連携?」文在虎が軍部も情報部も幹部を親北派にすげ替えてる中で。バカです。

 

 

国辱ものの防衛相です。

非公式とはいえ、笑顔の握手が世界に出回ったのだから実質公式です。

岩屋毅に国益を損ねたことに対する謝罪と共に、安倍総理には速やかなる更迭を要求します。麻生派なのだから麻生さんも一言あるべきです。頭の悪い余計な失言は多いのに、肝心な時はダンマリ。

この岩屋毅と、密入国不法滞在朝鮮人家族出自の孫正義とが親友であることは過去記事に記しました。

 

岩屋毅は、孫正義のお仲間だった! 朝鮮へのヘタレも、それか?【拡散希望】

2019-01-26 09:30:14 | 売国奴
 
「つい先日、大学生の息子にせがまれてついに家族全員で携帯をSoftBankに乗り換えることになった。実を言うと、小生も『いつかは』と考えていたのだ。なぜなら、同社総帥の孫正義君は高校時代からの長き友人 ・・・」
 
日本毀損言動を繰り返す孫正義と親友であると自慢げに公言する時点で、岩屋毅は日本人として終わっています。まして防衛相とは何の冗談でしょうか!!
 
孫正義の妄言を日本人はいつまで許すのか!!
 

日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」(岩屋毅)

実際に核武装するしないにかかわらず可能性を含んだ検討は続けるべきです。その事自体が国防となることもわからない、朝鮮傾倒のパチンコ男。

辞任、辞任と騒ぎ立てる反日野党とマスコミがいっせいにスルーという解りやすい反日男。選んだ大分三区の人たちは目を見開いてこの男の正体を直視すること。古くは村山富市を排出(文字通り)した大分。

 

 

我が国の防人である自衛隊員の士気をわざわざ削ぐ男。

◆防衛省・自衛隊へのご意見箱https://sec.mod.go.jp/mod/goikenshinsei/goikenbako/index.html

◆官邸への意見 https://www.kantei.go.jp/jp/iken.html

◆岩屋毅 後援会別府事務所 
〒874-0933 別府市野口元町1-3 フジヨシビル2F. TEL:0977-21-1781

 

          どのツラ下げて。

 

 2018年8月29日 - 【大分】民団大分本部(呉成秀団長)は11日、同韓国会館で創団70周年を祝った。駐福岡総領事館の孫鍾植総領事、日本側からも県日韓親善協会の橋本均会長と岩屋毅 、横光克彦の両衆議院議員がお祝いの言葉を述べた

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祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え


皇室のカトリック的左傾を招いた構図について 《要保存》転載自由

2019-06-07 | 皇室問題

過去記事で、断片的に述べてきたことを読者さんが簡潔にまとめてくださったので、アップしておきます。かなり学術的なアプローチの記事で読みづらいかもしれませんが、日本国民にはぜひとも心得ておいて欲しい知識です。

なお読者さんご案内のブログは、転載ということではなくその記事を読まれての所感と要約です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ◆テストの「答え合わせ」をしたような読後感のブログ記事が! (らむ子)2019-05-27 01:53:23

 

なんということでしょう😅 系図が書けたところで、このコネクションを正田美智子さん人内時の新聞報道なども押さえて詳述するブログ(2018年8月書かれた記事)を土曜日の早朝見つけてしまいました。ともあれ描けた系図はそのブログと同じでした。

昭和の皇太子妃出現から生前退位まで続く不思議な血脈

① ー田中最高裁長官、竹山パーティー、小泉参与ー

 h ttps://blog.goo.ne.jp/sisakusitu/e/637aac793a9618f64e9fbe3833d00ff1

松本烝治家を介在とした、田中耕太郎、小泉信三、竹山謙三郎の親戚関係系図であります。

拙コメントの系図と合致。コメ欄にはツリー図は描けないので直線で表現したので分かりにくいのですが、こちらのブログのツリー図はバッチリ👌です。 ↓ 昭和の皇太子妃出現から生前退位まで続く不思議な血脈

 

 h ttps://blog.goo.ne.jp/sisakusitu/e/78d956e35a8b03acca1fd275e215dffa
 

戦前から戦後そして今現在、国の中心が意外と狭い血族で動かされてきている。ということが、このブログ記事の主旨です。皇室問題ブログでは全くないことを先ずお伝えします。

そしてこのブログは【無断転載禁止】で文章や図をコピペできません。 ザックリ新たに得られた事だけレポートします。 (BB様が何度も記事に書かれ、しらべ♪様、拙コメントでも指摘を重ねて来た部分は割愛し、但し理解上補足が必要な場合(  )付で加筆しました。)

互いにカトリック信者だった正田貞一郎・きぬ夫妻と田中耕太郎夫妻は大変親しく、共にフロジャック神父の筆頭支援者で、このニ家族で神父の臨終を看取ったほどだった。 「フロジャク神父の生涯 五十嵐茂雄著」より

◉上記よりブログ主様としては、美智子さん推しの主導者は祖父の時代から懇意だった田中耕太郎とフロジャック神父と推察すると。

◉(BB様も以前から指摘されているように、)田中耕太郎最高裁判所所長が砂川事件判決についてGHQと内通し、米国側からの指示を実行していたことが米国公文書の機密解除で明らかになり。沖縄に心寄せる天皇皇后…特に皇后にとって非常にまずいことになった。

◉竹山謙三郎の叔父一木喜徳郎は、宮内大臣も務め、戦前の昭和天皇の側近だった(Wikiによれば二・二六事件の時には、暗殺された斎藤実に代わり1日だけ内大臣代理を務め、宮中においては昭和天皇の相談役となり事件終息に尽力した。)。一木は昭和天皇の信任が篤かった。

◉竹山謙三郎の兄は竹山道雄、姉は船田享二(法学者、国会議員、作新学院院長)夫人。 (船田享二のWiki を見たらこの夫人の文子氏は消費者団体の主婦連副会長とのこと。) 船田享二の兄は船田中で、その孫が船田元。

竹山パーティーは昭和26年(27年の主権独立前のGHQ占領下)に創設され、第一回から美智子さんは会員。以前から母親(富美子さん)は竹山(たぶん夫妻双方と)と知り合いだったが、美智子さんは母親に連れられて初めて夫妻に会った。美智子さんは(昭和9年10月生まれなので)当時16か17歳。竹山夫妻は美智子さん個人のよき心の柱だった…と毎日新聞は昭和33年当時報道。

◉竹山パーティーについては御成婚当時のメディアの記事に多く書かれているとのこと。竹山謙三郎氏もインタビュー受けるなどメディア露出している。音楽会、ハイキング、ダンパなどを開き、この時の写真をメディアにも多く引用された。

◉小泉信三は毎日新聞に、美智子さんの親戚(叔父の正田順四郎氏のこと。父である祖父貞一郎氏と共に小泉信三と交流があった。)が慶応の学生だったので、正田家や美智子さんのことを以前から知っていたと語っている。

◉※美智子さんの不思議※・・と以下小さな字で本文を書いてあるが。 このブログ主様もそう思われたかと。 よっぽどお膳立てした自分達の方が天皇と関係があり大臣も務め、彼等の娘もいたのだが。世間を見回せばざらにいる自分達より格落ちの家の娘さんをどうして推したのか?

それには何か別の必要とされる条件があったのでは?それに条件合致する娘を探す為に竹山パーティーがあったのか??? 竹山謙三郎は婚約(内定?)発表後、売り込んだり仕組まれたということは絶対ないと釈明(週刊新潮 昭和33年 12/15)している。

・・・・・・ここまで

正田美智子嬢の入内が、いかにその周辺のある「思想」を共にする狭いしかし濃密な人間関係で細心に仕組まれていったかが解かる流れだと思われます。

文中、《それに合致する娘》というのは、要するにGHQ去った後もなお、機能し続けていた皇室弱体化左傾化の流れを推し進めることの出来る娘、ということでしょうか。


正田美智子嬢の入内を国会より先に、アメリカのメディアが掴んでいたということが傍証になるかもしれません。

美智子嬢より格上の令嬢が複数いたにもかかわらず、わざわざ格下の存在に的を絞ったというのもなまなましい話ではあります。

正田美智子嬢の入内の胡乱さを国会で突いたのが、当時の平井義一議員他でこれは国会議事録が残っていて、過去記事で取り上げました。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

(第5号 昭和34年2月6日)

かつて国会で厳しく追求された上皇と美智子さま入内

 

皇室が絶対不可侵となってしまった現在では考えられないことですが、敗戦からさほど時間が経っていない当時では、皇室への鋭い斬り込みも可能だったのでしょう。驚くほど正確に、現在の皇室のありようが危惧されています。

 

小泉信三の聖公会については過去記事でも述べましたが、

聖公会=ローマ・カトリックとプロテスタントに大別される西方キリスト教会の中で、両者の持つ要素を兼ね備え、その中間に位置する教派である。

日本聖公会に関しては、ざっくり言えばアンチ皇室です。

その声明文は以下です。

《「大嘗祭」を公的な行事と位置付けることにより、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧(きぐ)いたします。かつて、天皇を中心とした国家神道のもとで、植民地支配と侵略戦争をした反省の上に作られた憲法を守ることは、わたしたちの責任だといえます

istianpress.jp/japan-anglican-church-justice-and-peace-commission/

《皇室の私的宗教行事である「大嘗祭」を公的な行事と位置づけ、国が関与して国費を支出することについて、わたしたちは日本国憲法第20条の信教の自由の保障にも、政教分離の原則にも明らかに反するものだと考えます》

 

上皇后陛下の背景に、こうしたアンチ皇室のカトリック/プロテスタント宗派が存在することを、私たち国民は知っておくべきです。

 

田中耕太郎について、便宜的にWikiから箇条書き的に拾っておきます。

■無教会主義キリスト教の内村鑑三の門下生となっている

■レッドパージ訴訟では最高裁大法廷の裁判長としてレッドパージを「GHQの指示による超憲法的な措置で解雇や免職は有効」と判決した。1952年の警察予備隊違憲訴訟では最高裁大法廷の裁判長として付随的違憲審査制を採ることを判決した

■上告裁判所を設置する最高裁機構改革法案に意欲を見せていたが、最高裁機構改革法案は廃案となった[14]。

■1961年から1970年にかけて、国際司法裁判所(ICJ)判事を務めた。5つの事件と1つの勧告的意見に関わり、2つの個別的意見と2つの反対意見を残した。特に、1966年の「南西アフリカ事件」(第二段階)判決に付けた長文の反対意見は、有名であり、非常に権威のあるものとして、今日でもしばしば引用される。ジャーナリストの末浪靖司は、砂川事件差し戻しについて、判決翌年の1960年にアメリカ側にICJ判事選挙立候補を伝え、支持を取り付けている事から、アメリカの論功行賞狙いだったのだろうと見ている

聖公会からカトリックに改宗していた妻・峰子の影響を受けて、無教会主義キリスト教からカトリックに改宗している。

1957年8月19日の、皇太子明仁親王と正田美智子との軽井沢のテニスコートでの出会いは、田中耕太郎が、カトリック人脈である小泉信三、吉田茂らと共に演出したとされており、田中もその出会いの場に立ち会っている。

かなりアカデミックなアプローチでの、上皇后陛下への疑義提示ですが個人攻撃ではなく、GHQ以来の皇室弱体化施策の延長線に現在の左傾皇室があることを直視せねばなりません。

なお、美智子さまが洗礼を受けていらっしゃらないということを、ブログ主は全く信じていません。少なくとも一族郎党が洗礼を受けている中、美智子様お一人が洗礼を受けていないという可能性は著しく低いと言わざるを得ません。

フランクフルト学派⇒O.S.S⇒ハーバード大学⇒小和田恒氏⇒雅子さま 壊国の系譜 《要・保存。転載ご自由に》 2019-05-04 03:10:04 

上記の過去記事と抱合せで、日本国民にゆっくりと広げていくべき事柄ですが、国民が共通知識として認識するには、しばらくの時代の推移を必要とするでしょう。しかしいずれ、歴史それ自体が真実を語り始めます。
その時に「本来の形での」皇室はもうないのかもしれません。

後記 コメ欄に以下のご指摘を受けたので追記しておきます。詳細はコメ欄でチェックなさってください。

>「聖公会=ローマ・カトリック」とあります。恐れながら、バチカン(聖座)は聖公会を同一視していません。

 

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