BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

小和田家墓のある新潟・村上市をピンスポットで地震

2019-06-19 | 皇室問題

「震度6強」新潟・村上市 一夜明けた上空の映像 (19/06/19)

 

 

 

 

今もなお村上市の人たちは、雅子さま縁の地であることを祝う気になれるでしょうか。

 

 

小和田家のお墓?

雅子さまがお参りされたお墓は「小和田家之墓」ではなく、小和田匡利。

 その出自を疑われている小和田家、金吉の父親と言われています。「金」の文字に留意。(これはあくまでも考察のための参考に過ぎませんが)


小和田系図 なるものには、「おそらく別流ならん」と注意書きがあります。

* 一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるが年代齟齬して審かならず、仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟。(西日本大鑑による小和田氏系図)

小和田金吉というのは、小和田家本家とは何の関わり合いもない、ということです。

村上市の小和田本家に確認しても、雅子妃父方家系に対しては「解りません」と困惑の回答。

紀子妃入内のときには、「人権問題」として宮内庁に介入してこなかった解放同盟が雅子さまのときには身辺・家系調査するなと、介入。

 

小和田家の墓、わずか三代前の小和田金吉の墓がない不可解。
台座だけ新しく墓石の上部が欠けている継ぎ接ぎ墓は、当時から疑問視されていました。

金吉以前の系図を持ち出して、それが由緒正しいとして悦に入っているブログもありますが

h ttp://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2313.html

肝心の金吉本人がお墓もない人物では、意味がありません。金吉は、武士(村上藩士)の名としてはまず、ない、命名。幼名で「吉」はあるにせよ「金吉」には著しく違和感あり。

>明治十七年の県令許可書『鮭産育規則』に記載されている小和田金吉の名前

そんなご立派な方のお墓すらないのは、なぜ?

>ちなみに有名な鮭の子をあげるとするなら童謡「汽車」を作詞した大和田愛羅が挙げられますね。

大和田が小和田に関係あるの? 大和田愛羅は、こちらこそ正真正銘、村上藩士の家柄で墓こそ村上市にありますが、生まれは東京都牛込区(現新宿区)に、大和田虎太郎の長男として生まれ祖父は熱心なキリスト教信者です。

h ttp://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2312.html

>でヘカテーがこれらの資料を元に作った家系図がこちら

屁カテが「作った」も何も、一庶民が作らねばならない家系図ってなんでしょうか? 作らなきゃ存在していなかった家系図って? そんな立派なご家系が事実なら先祖代々のお墓が存在しないのはなぜ? 勤め人設定なのに、わざわざ村上市まで出かけて、小和田家の家系を作成?

h ttp://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2239.html

 

>小和田道助→新六→匡利→金吉→毅夫→恒→雅子さま

村上市の小和田の本家が「知らない」って言っているのですが? あと母方江頭の系図を遡りすぎるとまずいのではないですか?

 

 『小和田匡利』の墓がある、新潟県新潟市の泉性寺住職さん曰く

『小和田家の墓は明治7年よりうちにあるが、金吉と兵五郎の墓はない。匡利(道蔵)の墓だけがあります。…30年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません』

 

本籍地の村上市にある西真寺住職さん曰く

『小和田家の墓について、毅夫氏が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した』 『なぜ祖父の妻と子、および曽祖父夫妻の墓を残していったのか。ふつう移すときはそっくりもっていくものなんですがねぇ』

 

小和田恒氏、その重大な罪 

2018-07-01 11:37:25 | 

愛子さま天皇擁立論が激しく、メディアがそこへ誘導する動きも日々活発な中、秋篠宮家貶めが盛んで紀子さままであげつらわれていますが、紀子様の家系に胡乱な点はなく、それ以上に入内に相応しい由緒正しいお家柄です。


王室を戴く欧州では、出自に厳密で美智子さまと雅子さまは貴賤結婚扱いですが、紀子さまに関しては蕃塀のお家の出だということで、最初からPRINCESS表記で報道されました。美智子さまと雅子さまに関しては「皇太子の連れ合い」としてわざわざ民間旧姓のまま長いこと紹介されていました。

 

 

皇太子の妻 正田美智子

 

 

皇太子の妻 小和田雅子

川嶋家は江戸時代から広大な田畑を所有、小作人を大勢抱えていた庄屋です。 紀子さまの曾祖父にあたる庄一郎氏は明治時代に高等師範学校(今で言う大学院)を出て、 いくつかの師範学校校長さらに学習院初等学科長、教授も務めていました。

 

とりわけ小室圭ssi問題に端を発して、秋篠宮家を過剰に賛美する気持ちはいっさいなくこれも是々非々で見ていきたいと思っていますが、しかしながら余りにも上皇后、なかんずく皇后称賛のこじつけ記事が頻出、その一方でこれもこじつけでしかない秋篠宮家貶めが、不当に行われています。
あたかもご一家を精神的にも追い詰めるのが目的であるごとく。

雅子さまの父上である小和田恒氏の出身地。小和田家のお墓のあるエリアをピンスポットで襲ったかのような昨日の地震と今日の余震ですが、即位後の一般参賀の日には雷雨、そして時ならぬ真夏日でもあったのに、季節外れの雹。そして地震。過度のこじつけは控えるとしても、令和となったとたん高齢者による暴走、親の虐待による子殺しと、唐突に異様に連日報道され、これが即位後まだ一ヶ月ちょっとの間の出来事です。

 

コメント欄への書き込みで助けられ、また学ぶことも多いのですが、伯家神道における「祝(はふり)の儀」も、ぼんやりと聞いたことがある程度で、これもコメ欄で教えて頂きました。皇室への一種の予言の書である側面もあるようで・・・なかんずく、祝の儀が祭祀を行える資質があるかどうかのチェックでもあった、というところが参考になりました。

興味があれば以下のコメ欄で、見てください。

 https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/348129f2a4f0312e3e63b6d56ceefbec

別話題ですが....京都国際学園についての記事がここでは長すぎたので削除、別記事に近日中に転記しておきます。

 

◆追記 記事アップ後にコメ欄にご案内を受けたので・・・

◎超拡散宜しく《予想通り祟りが現実になった大地震》 - 【水間条項ー国益最前線ジャーナリスト水間政憲のブログです。】 http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-3124.html?sp


今回の地震と比較して報道されている熊本大地震は、皇后陛下の母方祖父の江頭豊氏が世界的公害「水俣病」を巻き起こした企業「チッソ」が創業していた地域での災害だった、とも水間氏は指摘しています。
 

コメ欄は承認制です。承認しない場合があります。 以上でよろしければ内容要約のタイトルを入れ、他とかぶる可能性のない固定HNでご投稿ください。無記名Unknownや「文章の一部」を安易なHNとすることは禁じます。

祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え

 


字に現れる知性と教養

2019-06-19 | 皇室問題

 

父上であられる上皇陛下と似た字をお書きかも。あたかも少年のような"無邪気な"文字。

 

 

上皇陛下は御製他、一般に流布されている文字は大人びているのに国事行為への御璽は全然違うのですね。

現在の天皇陛下も同じく。公示されている筆文字と似ても似つかない文字。

 

表に出す文字は能筆家による代筆という決めごとでもあるのでしょうか?

 

 

 

愛子さま小6で「御堂関白記」の作文と同じく、う~ん???

偏差値72の愛子さま、お誕生日

 

 

「御堂関白記」原本はこんなんですけど。

娘を天皇の妻として次々に押し込んで、わが栄達の道具として使った藤原道長は、小和田恒氏の理想の人物でしょう。

*一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后(号は中宮)となす。次の三条天皇には次女の妍子を入れて中宮となす。だが三条天皇とは深刻な対立が生じ天皇の眼病を理由に退位に追い込み、彰子の生んだ後一条天皇の即位を実現して摂政となる。1年ほどで摂政を嫡子の頼通に譲り後継体制を固める。後一条天皇には四女の威子を入れて中宮となし、「一家立三后」(一家三后)と驚嘆された。さらには、六女の嬉子を後の後朱雀天皇となる敦良親王に入侍させた

こんな藤原道長に、まぁなぜにじゃっかん小6の愛子さまが強いご関心をお寄せなのだか?皇室は神秘の帳の奥深く。謎が多い所でございます・・・・。


雅子さまは入内前の文字、書をきちっと学ばれた方の文字ではないにせよ、きれいでしたが、筆文字をいまだ見たことがありません。あるのかな?

 

 

紀子妃はきちんと書をなさった方の筆使い。

秋篠宮殿下は、有栖川流の継承者。

 

有栖川流

霊元天皇の書風を受け継ぎ、江戸時代後期、書道・歌道を家学とした有栖川の第5代・職仁親王(霊元天皇皇子)によって創始され、第8代・幟仁親王によって大成された。

明治五箇条の御誓文の正本は、幟仁親王により有栖川流で記されている。また香淳皇后武蔵野東陵の陵碑も有栖川流で書かれている

明治以降は幟仁親王から威仁親王妃慰子、徳川實枝子、宣仁親王妃喜久子の母子3代に受け継がれ、現皇室においては秋篠宮文仁親王と正仁親王妃華子が宣仁親王妃喜久子より伝授され、継承されている。

 

 

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