小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

精神科

2008-12-17 11:01:52 | 医学・病気
精神科
精神科とは、どういう所かと言うと、外科系と内科系のどちらかと言えば、やはり内科系の方だろう。手術はしないのだから。精神科は、半年やれば十分できるようになれる。精神科医は、精神科の薬を出して、患者と対話しているようなイメージがあるだろうが、そうではない。暴れる患者をすぐに沈静させるために注射しなくてはならないから、注射は出来る。また、精神薬は、副作用で、立ちくらみ、ふらつき、があるため、転倒して頭を切ることもある。そのため、縫合も少しは出来る。し、出来なくてはならないのである。小さな縫合にいちいち、内科医を呼ぶわけにはいかない。また、精神病院では内科医がいないか、いても常勤で毎日いるという事は無い。週、一回くらいである。その間に患者に内科的病変が起こったら、精神科医が対処するしかないのである。第一、当直は一人だから、夜、病変が起こったら精神科医が対処しなくてはならない。昼の病気では、簡単なものだったら、精神科医が処置するが、大抵は紹介状を書いて専門医に送る。精神科医は紹介状を書く事が多いのだ。腸閉塞や肺炎、皮膚疾患などは精神科医が対処する。さて、精神科医の仕事は患者に薬を飲むように説得することに尽きる。なぜかと言うと精神薬を患者が飲んでくれれば問題ないのだか、飲まない患者が多いのである。なぜ飲まないかというと、それは当然、副作用が嫌だからである。思考が抑えられる、口渇、便秘、ふらつき、などである。患者のQOLを低下させてしまうからである。だからといって、薬を出さなかったら幻聴や妄想はとれたり、軽減されたりしない。どのへんで、折り合うか、である。また、精神科は診断は難しくない。言う事が支離滅裂だからである。あと、入院時や定期病状報告書などで書く事が多い。極めて小さいマスの中に膨大な量の情報をまとめなくてはならないので、これは結構、難しい。しかし、慣れれば、ポイントがわかってくる。あと精神科医は、イエス・キリストにならなくてはならない。被害妄想をもった患者は、当然、医者に食ってかかる。ののしる。しかし、だからといって怒ってはいけないのである。「汝の敵を愛せ」の精神を持たなくてはならないのである。そのため、精神的に疲れる。休日も、やっかいな患者の事が気になるストレスがかかる。しかし、そういう患者は割合としては少ない。あまりデリケートな人間だと、このストレスに負けてしまう。内科はデリケートな人が向き、外科は、肝の太い人が向くと言われるが、そういう点からすれば、精神科医は外科気質の人の方がいい。また精神科医が一番いやがるのは人格障害の患者である。人格障害の患者には出す薬がないのである。また、人格だけは治らないのである。精神科は半年やれば、身につく。だから楽して精神科を選ぶより、内科や外科で技術を身につけといた方が、後で圧倒的に有利なのである。精神科は、体力が落ちて外科手術が出来なくなった医者が行くべき医療の墓場である。それに、外科や内科は、治療したあと、やりがいの満足感を感じられるし、手術してる時も精神が充実している。しかし精神科はそういう充実感もあまりない。しかしこれは精神病院の勤務医のことである。クリニックを開業すると、様子が全然、違ってくるのは明らかである。病院には親が患者を連れてくるが、クリニックでは患者が、悩みを医者に訴えに行く。そのため、聞く事が圧倒的に多くなる。精神科では他科のような医療器具は必要ない。ただ精神的ストレスは大きいだろう。だが、これからは高齢化社会で認知症の患者も増え、若者のフリーターやニートも当たり前になってしまっているほどだから、若者の人格障害の患者も増えている。需要はあるのである。

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