小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

学閥

2008-12-20 18:04:33 | 医学・病気
学閥

私は学閥というものの嫌らしさをつくつぐ感じた。
ある民間の精神病院に勤めた時である。
私はそこで精神保健指定医をとる条件で就職した。
給料は、その代わり安かった。
そこの院長は慈恵医大出身だった。そして勤務している医者も皆、慈恵医大出である。医師の求人というのは、院長が自分の出身大学の医局の教授に何百万かだして、医師を派遣して下さい、と頼んで医師を送ってもらうのである。僻地では、なかなか医師が来てくれない。医師の給料を上げて条件を良くして、ネットの医師斡旋業者に頼む手もあるが、来てくれる保証はない。確実に医師が欲しければ、出身医局の教授に頼むのが一番、確実である。教授の一番大きな権限は医局員の人事権と博士号認定の権限である。医局員、特に研修医は教授の命令には逆らえない。逆らいたかったら医局を辞めるしかない。なので医師の確保の確実な方法は教授に頼むことである。
そこの医局は、まるで慈恵医大のミニ医局だった。
私は余所者である。就職して、いつまでたっても受け持ち患者を持たせてくれない。これではケースレポートが書けない。なので、何度も院長と交渉した。だが、話題をそらすだけで話し合ってくれない。私は院長の受け持ち患者の診察や雑役などをやった。
私も院長の受け持ち患者の診察はしているので、ケースレポートは書く資格がある。だが院長は、完全に自分で受け持った患者でなければ、ケースレポートは書く資格がない、などと言う。
数ヶ月して慈恵医大から医師が一人来た。ケースレポートは8症例、必要なのだが、その医師は、小児の症例がなかった。ケースレポートは8症例きっちり、そろっていなくてはならないのである。
ある医局会議の時である。
院長も私もその先生もいた。その先生は、小児のレポートは別の先生が受け持った患者のカルテを見て、その子供を診療した医師に頼んで小児の症例のケースレポートを書いた事を言った。私なんか余所者なのでそこにいることさえ、眼中になかったから、口が軽くなって言ったのである。その先生は、その子の診療には全くのノータッチである。そして院長は、そのレポートにサインしたのである。
どんなにしっかりレポートを書いても院長のサインが無ければ駄目なのである。逆に言えば、自分が診療してなくても院長のサインがあれば、それはレポートと認められるのである。私はそれを聞いた時、ギロッと院長をにらんだ。院長はヘラヘラ笑って私の視線をそらした。
こんなのが病院において行われている学閥というものである。
そもそもこういう事は、してはいけないことなのである。
厚生省の指定医の審査はかなり厳しい。結局、彼は指定医になった。
もし私が、厚生省に連絡したら、その指定医の資格は取り消しになる可能性がある。また、そんな事を知っててサインした院長の指定医の資格も取り消し、か、厳重に注意される可能性がある。厚生省が監査に来て、カルテを見れば、その先生の字が一文字も全く無いから一目でわかる。

その院長の人間性には問題があった。
悪いヤツは何事でも悪いのである。
精神科では認知症の患者は出来るだけ拘束しないのが厚生省の方針である。そんな事は当たり前の事である。自分が拘束された場合を考えてみりゃ、わかることである。そこで厚生省の方針として看護婦を増やし、看護基準を上げる事によって、診療報酬の点数も上げるようにした。ほとんどの病院では、その方針に切り替える。しかし、そこの院長は慎重というかケチというか、看護婦を増やすと人件費が上がるので、看護婦の採用は極力ひかえた。結果、人手が無いから認知症の患者は胴をベッドに縛ることになった。ともかく胴拘束の患者が多いのである。患者が徘徊したり転倒して頭を打ったり、転んで骨折すると寝たきりになってしまいがちになるからである。
老人の認知症の患者も、その程度は変動するのである。認知症は不可逆ではなく、可逆性があるのである。そのレベルは長谷川式簡易知能評価スケールというので簡単にわかる。自分の名前、ここの場所、簡単な計算、野菜の名前を知ってるだけ言わせる、などのテストで点数として簡単に出来るのである。私がその病院に入った時、ある認知症の老人がいた。程度は悪かった。ここが病院である事さえわからなかった。野菜の名前も一つも言えなかった。しかし数ヶ月して、その老人の症状が改善しだしたのである。話が通じるようになった。野菜の名前もいくつも言えるようになった。ここが病院であることは、もちろん理解できている。
では病院は喜んだか、といえば、喜ぶどころか困った事になったと悩みだしたのである。症状が改善したとはいえ、全く元通りになったわけではない。70を越し歳もとっている。自由にして転倒したら困るから、拘束は解けないのである。人手が多ければ、拘束を解くことも出来るが、そこの病院は人件費をおさえ看護婦をギリギリにおさえていたので、それが出来なかった。
意識のしっかりしている人を拘束しておく事はおかしい。人手がたりないという理由で。
私が毎日、その患者に会いに行くと、その人は、
「どうして僕が縛られなくてはならないんですか」
「こんな人間は早く死んだ方がいいんですね」
と泣いて訴えた。私は病院の方針に逆らうわけにはいかない。逆らったら辞めさせられるだけである。
私はウソにならないよう、何とか、転倒による寝たきり予防などの理由を説明した。私立では息子を一人医者にするには一億かかる。手前の莫迦息子を医者にするために意識のしっかりした患者を一日中縛っておくのはどう考えてもおかしい。

こんなのはまだかわいい方である。
この病院の院長はもっとひどい事を平気でする。
私は病院に勤めた時から、人間以下の雑役夫だった。私は受け持ち患者を持たせてもらえず、もっぱら院長の患者との精神療法だけだった。他の医者の受け持ち患者に話す事も許されなかった。そのため、ある気の強い看護婦は私を莫迦にした。私は院長の受け持ち患者にひたすら問診し症状をカルテに書いた。院長は病院の経営やら患者集めやら何やらで忙しいので私に院長の仕事をさせたのである。ある強迫神経症の患者がいた。私はその患者とは就職した時から相性が合い、よく話した。彼の精神症状は悪かったが、それほどひどいものではなく、私のアドバイスや薬で何とか、病気を飼いならしていた。半年以上たった頃の事である。彼の症状がひどく悪化した。私は彼とはよく話しているので、症状の変化はよくわかる。そもそも、この病院では入院患者の受け持ちは一人の医者が60人以上いて、患者の症状はナースから聞いて薬を処方する場合もある。しかし、私は患者と直に話しているので、実感としてわかるのである。彼は息をハアハア言わせながら苦痛を訴え、「病院にはご迷惑をおかけになることになるかもしれません」と真剣な表情で言った。私ははっきりと自殺の意志を感じとった。それで、詳しく彼の悩みを聞き、自殺未遂の経験も聞いた。自殺未遂の経験は数回あった。ちょうどその頃、院長がその患者の薬を替えていて、それが原因かもしれないとも思った。それで、彼の病状のひどさをカルテに書き、「自殺の可能性あり」、「隔離、拘束も必要」とカルテに書いて、さらに目立つように、その文に赤線で印をつけた。私を莫迦にしていた看護婦に、「隔離、拘束してほしい」、「紐やシャープペンはとりあげてほしい」と言った。しかし看護婦は私を莫迦にしているため、聞く耳を持たなかった。ナースは患者の病状は医者より自分達の方が上だというプライドを持っているのである。その後、院長も病棟回診で私の書いたカルテを見ているのに、平気で単独外出を許可した。私は彼の外出中、気が気でならなかった。こんな病状では外出などもってのほかであり、あえて許可するなら看護婦付き添いにすべきだ、と思っていた。幸い、その日は無事に帰ってきた。私は彼が帰ってくるや、すぐに彼の所に行った。彼は息を切らしていて、不安が激しい。私は病状のひどさをさらに詳しくカルテに書いた。その数日後の事である。院長はまた彼に単独外出を許可した。私は気が気でならなかった。そして、外出した先で彼はカッターで自分の体を切り刻んだのである。直ぐに救急病院に運ばれた。幸い、傷は浅く、数日で彼は病院に転送された。と、まあ、こんなことがあったのである。

私は彼がカッターで自分の体を切り刻んでくれた事が、本当に嬉しかった。なぜって、私の予測が見事に当たったからである。数日後の病院の全体会議でその事が問題となった。もはや、院長も、私を莫迦にした看護婦も私には頭が上がらない。それ以来、そのナースは私に頭が上がらなくなった。さらにひどいのは院長である。再三、私が注意の警告を言い、カルテに記載したのに。院長は能無しのクセにプライドだけは人一倍強く、私が何か主張すると余計、むきになって私を否定しようとする。かわいそうなのは、そんな医者のプライドによって体を切り刻んでしまった患者である。人の命がくだらん医者のプライドによってもてあそばれている。所詮、医学なんて他人のつくってくれたものであり、誰がやっても同じである。だから私は医学なんかにたいして興味が無いし、プライドなんか無いのである。
こんなのが病院の現状なのである。権力を持った病院の院長は皆、タヌキである。嫌気がさしたので私はその病院をやめた。

ちなみにこの病院は神奈川県の清川遠寿病院で、院長は増田直樹である。

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