城郭 長谷川博美 基本記録

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多賀城郭講演白熱 

2024-04-14 11:23:06 | お城日記

★多賀城郭講演白熱

令和6年4月13日の記録

◆一般者

いやいや今回の研修会と

現地見学会は内容が専門

的また本格派と言う事で

高い評判の世評だとか?

◆参加者

 

◆多賀町の参加者 女性

初めて長谷川先生の城郭

講演に参加をして衝撃を

受けました。まさか多賀

山中に異常な数の城郭が

存在した事など全く認識

していなかった訳で驚き!

 

 

◆東海系 女性

まったく驚きませんでした

城跡存在当然の事だと思う

室町期に土岐氏斎藤氏

近江に侵入した文献があり

史実であり鈴鹿山系の山越

大君ケ畑越え、五僧越など

も存在し東海から山越えで

近江に入るルートや山城が

存在した事は至極当然の事

東海の秀吉が多賀来栖に来

てた事などはむしろ自然!

東海勢力織田信長が近江に

進駐して安土城を築城した

事も至極当然の事信長存命

中鈴鹿山系八風越を尾張や

美濃から往来した文献など

多数あり鈴鹿山系こそ東海

の文化が近江にもたらされ

た戦国流通路だと言える事。

 

◆清洲様

東海織田信長は彦根の松原

で熱田大工の岡部又右エ門

に多賀から芹川を材木切り

だして大船を造船してる訳

で多賀こそが木材の源です

この鈴鹿山系に織豊東海系

の大名系説話が多数残され

いいる事は自然な事ですね。

 

◆彦根男性

湖北脇坂安治が彦根三津屋

の田付氏であった事を聞き

驚きの仰天の歴史講演です

また明智光秀に最初は脇坂

が属していた事にも驚いた!

 

◆長浜市 参加者 男性

でも多賀の山奥に城ある事

など信じられへん事ですわ。

 

◆米原市 参加者 女性

もうその現代的発想間違っ

る訳ですね。伊勢から海産

物が内陸近江に入荷してた

事は当然の普通な訳ですよ。

近江には海がないから塩は

伊勢や越前や若狭から入荷

していた事をば現代人とは

全く考えてはいない訳です

多賀の山奥と言う発想自体

が現代人の発想であり多賀

の鈴鹿山系こそ海産ロジッ

ステック海産物物流の主流

経路であり多賀は鈴鹿山系

山奥と認識した段階で既に

巨大な男鬼城や桃原城など

超巨大城郭遺跡を全く理解

していない無用の山岳僻地

の城郭と現代人は決めっ付け

ける発想が固定概念化され

てしまう心理側面があるわ!

仮にも多賀は近江守護所でも

あった訳で傑物の佐々木道誉

も甲良を拠点としていた歴史

 

◆長谷川

多賀桃原城を拠点とした京極

政経は文明5年(1473年に出雲

・隠岐・飛騨・近江守護職へと

正式補任されて任じられる事実

からすれば多賀山中の城郭自体

が小規模脆弱である事自体こそ

が室町戦国理論としては破綻を

している証左と言う事になる訳

桃原城、男鬼城が異様に大規模

である事は正統な訳なのです!

 

 

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