伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

次の「ええじゃないか」が本番

2008-05-12 19:50:07 | Weblog
根源の存在が一番恐れる事は、「無」ではないか?と、
今日、ふと想いました。 無=何も無い事です。
宇宙がサッカーボールの大きさから始まった学説が主流だ
そうですが、なぜ始まったか? が問題です。
私は、永い永い何も無い状態があり、退屈だったのではと
感じます。

人の悩みは、千差万別です。 その人に取っては、今の悩み
が真剣で、命を削る様な悩みのものです。
他人から見ると、それで悩む理由が分からない場合も有る
でしょう。 でも、悩む人には真剣な悩みです。
 ・あの宝石が欲しくて欲しくて、夜も眠れず日常が落ち着か
ず苦しい。 ・あの大学に合格出来なければ、死にたい。
・子供が5人もいるのに、旦那が死んでしまった。これから
 どうすれば良いか分からない。 ・資金繰りが詰まり、倒産
するかも知れない。 ・癌に罹り、余命が少ない。 などなど。
人の状況に応じて悩みは有ります。 たとえ何も悩みが無くて
も、将来に悩みが到来するのでは無いかと、悩みが無い悩み
も、人によりあります。 現在持つものを、無くした場合を予測
する心配を、人はわざわざするものです。
人は悩む事から逃げられ無いのならば、逃げずに、その悩み
を冷静に眺めれば良いです。 懸命に生きてさえいれば
時間が成る様に成る解決をして行きます。

根源の存在も恐れる「何も無い事」。
ええじゃないですか? 悩みが有る事は。
神霊から観ると短い人の人生。悩む事が出来るのも、生ある
時間の中だけです。
何も悩まない「無」の心境は、根源の存在でさえ恐れるの
です。 従来の宗教的な求道は「無」を目指しますが、
はたして・・・これは正しかったのでしょうか?
何も無い事は、本当に「つまらん」ことです。
やって来る悩みは、拒まず、現状に感謝しながら今を生きれ
ば、それが、その人には最高の人生です。

江戸時代末期、全国から伊勢神宮へ御参りをする民衆運動
「ええじゃないか」が起こりました。伊勢神宮の御札が天から
全国に降って来たと伝承されています。
これは、倒幕派の組織が、伊勢神宮を精神的支柱にして天皇
が主権を握る時代に戻したかった為に、作為的に色々な形象
の御札をばら撒いたと感じます。 あの時代は、疫病や貧困、
先行きの不安感が全国に蔓延する時でした。これからの日本
の時代と似ているかも知れません。
その不安な時代背景の時に、神札が空から降るわけです。
その御札を粗末にした人間には、実際に不幸が起こったそう
です。 不安感と奇異現象が重なり、「ええじゃないか」騒動
が起こったのです。 この後に、幕府が倒れて明治維新と成り
ました。 では、天から降った御札は全て人為的かと言うと、
そうとも言い切れません。 御札の中に、「いせ札」 「天照」
などの単純な表記のものが有ったと感じます。
これは霊的に物質化した神札だと感じます。
伊勢の神札を意識的に利用した尊皇派も、実は大きな意味
で、伊勢の神霊に使役されて維新を成したとも言えます。

さて、また大きく時代が変わろうとしています。
過去のどの時代よりも・・・。
伊勢の神霊が躍動を始めています。
前回の「ええじゃないか」は、御札の降臨がきっかけでしたが
次の「ええじゃないか」は、インターネットを通じて世界中に
色々な「表現」の神札がばらまかれて、人類が伊勢への巡礼
を始めるかも知れません。
これが実現すれば・・・壮大な人類の夢が到来する事でしょう。

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コメント (140)
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