伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

自分を拝する

2008-05-29 19:53:21 | Weblog

私は年に1度は、伊勢神宮へ参拝したいとは思います。
去年の5月の神宮参拝は、数年ぶりの参拝でした。
家庭を持つと、なかなか時間と御金を掛けて行けないのが
実情です。
学生の頃は、中型バイクに乗っていましたので、数ヶ月に1度
のペースで参拝をしていました。
去年の参拝では、数年ぶりだったので伊勢外宮や伊雑宮に
参る事を本当に楽しみにしていました。
意気込んで、やっとの思いで参拝はしますが、私の参拝は
同行する家族も驚くぐらい、あっさりした短時間の参拝です。
たとえ本殿前で、他の方が前に居られても気にしません。
背中越しに参拝します。 まあ、せっかくの参拝ですから、少し
待ってでも先頭に立って参拝すれば、気持ちの良いものです
が、何が何でもと執着して気を揉んでまで先頭に立つ必要は
ありません。 良い場所を長時間、一人で占有して参拝してい
る人が中にはいます。そのような人を観ますと、首から名前と
住所を書いたプレートでも下げていれば、お似合いだと思い
ます、笑。
本人の心境は、ネーム札を下げてでも自分の事を神霊に知ら
せたい気持ちで参っているようです。
神霊には、参拝者の名前も住所も全く関係ありません。
魂自体を観られるのですから。
神前で「我良しの我」を出す所作の参拝ほど、神霊が嫌う
参拝はありません。 神と感応するには、程遠い参拝です。
だから感じるものが得られ無いので、だらだらと長居をするの
です。

真の神霊への参拝とは、神社へ行く計画段階から参拝が始
まっているものです。
参拝の当日は、最後の締めです。 高次元の神界の存在に
は、事前にどんな魂が来るのか、分かっています。
神霊が鎮まる神社とは、参拝者の内在神が引き出される
場所の事です。参拝計画を立てた時点から、神社の祭神と
自己の内在神が感応して引き合い、参拝がしたく成るような
気分に成る、事前の観応が始まっているのです。
例えば伊勢伊雑宮には、天照太御神の十段目の最高神が
鎮まりますが、参拝者の現段階の内在神のレベルに応じた
神霊の観応をします。 つまり、自身の内在神を拝している
とも言えます。 参拝者次第なのです。
また、動物霊の形象を持つ存在が鎮座する神社では内在神
が感応しないので、参拝しても違和感を感じ、清清しさがあり
ません。 
我良しの参拝者が、せっかく伊勢伊雑宮に参拝しても、何も
感じ得ることは出来ないでしょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (114)
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