伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

御経は前座です

2008-05-14 19:12:54 | Weblog
先日の恩人の一周忌法要は、浄土真宗の僧侶が呼ばれて
営まれました。御住職が病気なので、代わりに若い僧侶の方
が来ておられました。浄土真宗の僧侶は、面白い講話をされ
る方が多い印象が私にはありますので、法要後の御話を楽し
みにしていました。でも、若い僧侶なので、今回はどうかな?
と思っていました。 それが意外にも、良い話でした。
話の出だしが、いきなり・・・・
「今日は長いこと、意味の分からない御経をお聞かせして、
 すいませんでした。私は、今日の法要の前座に過ぎません」
これまた、面白い切り口だなと・・・
「今日の法要のメインは、この後に用意されている皆さんの
 食事の席です。 そこで、久しぶりに会われた、故人と縁あ
 る皆さんが、話す内容が最も故人への供養となります」
これは、霊的に正しい事を話す方だなと・・・・
「わざわざ御金を掛けて法要でもしない限り、遠方から忙しい
 中を、故人を知る人が集まる事は無いです。ようは、故人を
 知る人が集まって仲良くすることは、故人の人徳であり、
 また、それが故人を一番喜ばす事なんです。」・・・・と、
まさに、このとうりだと感心しました。 (え?読者の方?笑)

浄土真宗の僧侶は、良い意味で人間臭く、下から目線の人が
多いです。 やはり親鸞が感じた、人間の悲しさ、人間のどう
しようもない馬鹿さ、悲哀・・・などを見つめて受け入れる事が
宗派の伝統として流れているようです。
ただ、線香1本を3本に折って捧げる風習は駄目です。
これは、根底に「もったいない」が有るのでしょう。
霊的には、意識的に折る行為をしたものを捧げるのは良くあ
りません。先祖に捧げる気持ちが大事なのに、もったいない
気を送るべきでは無いです。また、霊前で「折る」という行為を
空間に刻む事は、あの世でも何かを「折る」因子に成ります。

私の使用する線香は、大箱1個が千円切るぐらいの値段
です。 同じ棚には、まだ数百円安い線香もありますが、先祖
に捧げる線香をケチる性根は、現実界での貧乏を呼びます。
かと言って、金回りを良くしたいからと高価な線香を買う性根
も生けません。 線香一つ買うにも、先祖を思う気持ちから出
る選択が大事です。
浄土真宗の宗教観で、線香3本を感謝の気持ちで先祖に捧
げ、尚且つ「先祖代々の霊位」の位牌があれば、霊的な法則
にも適った宗派に成れる要素が有ると思いました。

従来の外来語を模写した御経により、大事な霊的作用を起こ
す日本語による感謝を現す思いの焦点が、ぼやけて薄まる
事が残念です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (129)
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