伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

末法は輝ける未来世紀

2008-05-30 19:11:13 | Weblog
末法思想(まっぽうしそう)とは、仏教予言思想の一種であり、釈迦の立教
以来1,000年(500年とする説もある)の時代を
正法(しょうぼう)、次の1,000年
像法(ぞうぼう)、その後10,000年を末法の三時観で分けて考え、釈迦の教
えが及ばなくなった末法においては、
仏法が正しく行なわれなくなるという。
中世以降の日本では末法思想を、この世の終わりとする
終末論的なものであ
ると捉えることも多い。しかし末法思想はあくまでも仏法の衰退、つまり仏の教
えが時代を経て次第に通用しなくなる事のみを指しており、そこに世情不安や
天変地異は含まれない。したがって末法思想は「この世の終わり」を意味する
ものではない
。     (フリー百科事典より引用)

これは釈尊が本当にした数少ない予言の1つだと感じます。
年代的にも、現在は釈尊が示した末法の年代に入ってい
ます。
これは仏教だけでは無く、近年2000年間の従来の全ての
「集団組織を形成」する宗教形態の終わりを、釈尊が予言
されたと感じます。
現在、太陽からの電磁波を受けて、地球の地磁気環境は
激変を始めています。 人間の霊性と磁気には、密接な
関係があります。 過去の地球の磁気環境では、有効で
意味が有った従来の特殊な宗教的行法や呪文、習慣、
集団形成での学び相乗効果も実践効力を失い、中には
反作用のみを人間に与えるものが沢山あります。

瞑想や呪文、近年の人間が神霊の力を金銭で売り買い
する、他人の霊的磁気に触れ依存させる行為は、人の霊性
を退化させる行為に、これからは成ります。
ただ、全ての宗教的教えが駄目に成る訳ではありません。
例えば、今からの時代でも通用する仏教系の教えでは、
道元が示した、日常での生活作業・行為に無心に集中する
事により、その中に隠れている仏性を感じ取る行為は大変
これからも有効に成ります。「目を明けた瞑想」と言えます。
これは、内在神へ通じる道に成ります。
瞑想よりも、今を目を開けて見る事が益々大事に成ります。

先祖供養も、先祖霊へ自分なりの「感謝の気持ち」を捧げる
ものならば、良いです。
ただ、従来の組織や先生に任せ依存するものには、霊的な
それぞれの癖があります。 この癖の色の元では、正しい
感謝供養をしても、先祖霊に通じ難く反映され難いです。
例えば、宗教集団の配下でボランティア活動をするのと、
何処にも所属しなくて、自分の意思で同じボランティア活動を
するのでは、同じ行為結果を出していても、霊的には違うも
のに成ります。 自分の意思でする場合は、何時でも止める
事ができます。 「自分がしたいからする」 のです。
真の意味での、その人に取ってのボランティア活動と成ります。
強制や縛りが有りません。

これは魔人と呼ばれた、スサノオ七段目の分霊を宿した
アレイスター・クロウリーがエジプトにおいて、来たるべき未来世界
の太陽神からの啓示を受けて、
「汝の欲する事を成せ」と、1904年4月8日に受け取った事に
通じます。
末法とは人類を縛り付けていた、霊的魔術からの開放です。
人類が「内在する神」と共に、生きる世紀の始まりです。

「良心(内在神)の欲する事を成せ!
これがカンナガラの全てである。」 ・・・・・by リーマン伊勢白山道 

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
   
応援して下さる方は、この4箇所をクリックして下さい。
初めての人は、左側の「
検索システム」を利用して下さい。
コメント (115)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする