伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

皮肉なもの

2008-05-23 20:29:41 | Weblog

昨夜のTVニュースを見ていましたら、タイ国やフィリピンでの米価格
の高騰をレポートしていました。
市場価格の半値近い政府米が限定で販売されていました。
機関銃で武装した兵隊が販売していました。
米を積んだ軍用トラックが到着すると、瞬く間に長蛇の列が
出来ていました。中には数時間を掛けて、徒歩で駆けつけた
住民も居たようです。せっかく列に付いていても、途中で米が
売り切れてしまい、多くの住民が買えないまま追い返されて
いました。 日本のTVレポーターが買えなかった主婦にマイクを
向けると、「もう何日も御米を食べていない!せめて人間らし
い生活をしたい! 私達も人間なんだよ!」と、泣きそうな
をして叫んでおられました。
沢山の子供を抱えた母親の鬼気迫る悲しい顔には、胸を打
たれました。 でも、その顔の奥には生命力を感じました。

日本では、米を好きなだけ買える収入が有っても、対人関係
を気にして悩み、自殺する人が絶えません。
米が買えなかった主婦に、この日本人の抱える悩みは理解
出来るでしょうか? もし、立場が交代できるものなら、この
主婦は喜んで交代したがるでしょう。

人間は生きる為の基本が満たされ、アタリマエに成るに従っ
て心が弱く成るようです。
人間は物質面が満たされると、物や自分の立場を持つ上で
守ろうとする為の色々な煩悩が生じます。
釈尊は煩悩を生む全てを捨ててしまえと言い、自らも国の
王座を本当に捨ててしまいました。
今の時代では、たとえ煩悩を生む物を持っていても、それへ
感謝の心を忘れなければ良いと、私は感じます。
いちいち捨てる事も、因縁が生じますから。
釈尊が捨てた家族と国は、その後どうなったでしょうか・・・。

生活基本の富裕は、精神の無駄な漏電を呼び、生命力を削り
出します。
真の生活貧困は生きる事が精一杯で、精神の無駄な漏電が
無い為に、逞しさが出て来ます。  皮肉なものです。 
しかし、感謝の心を常に保持する事が出来れば、心の富と
逞しさの両方を得る事が可能です。

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コメント (106)
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