伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

花は既に咲いている

2009-04-01 10:56:12 | Weblog
人間は現実を直視するのを避けて逃げるのが好きです。
こんな自分は、本当の自分では無い。
もっと役目がある筈だ。
何かのせいで不運なんだ・・・。
これらの不満の行き先は、最終的には自分や他人には行か
ずに、本人の深層心理で親や先祖へ向ける若者を見掛け
ます。 そして、見えない他の良さげな霊的世界へ逃げ道を
探します。

今、自分が存在している奇跡中の奇跡に気が付かなければ
生けません。
基礎が無い上に建物は建ちません。
地上に見える立派なビルを建てる場合は、見えない地下に
数十メートルもの基礎を造らなければ建ちません。
見える高さが高度なほど比例して、隠れた地下にも基礎が深
く延びているのです。
先祖供養の真理と同じです。
現実界で華々しく物心共に開花繁栄するには、見えない根
の世界も深く延びる必然があります。
自分の命が授かった家系の霊線という根っこが、水を良く通
して健康である必要があります。
根腐れの状態では、花は咲きません。
儚い花に大金を掛けて、人工肥料や怪しい光線を与えるより
も、根っこさえ健全に延びる環境にしておけば、花は毎年咲く
でしょう。 根を見ずに花に執着しては生けません。

全ては、太陽と大地と言う両神の間での出来事です。
上を観ても下を観ても神様ばかりです。
現状の有り難さに気が付ける人間は強いです。
小さく納まるどころか、天地の間で何も心配せずに自分なりの
花を咲かせるでしょう。
全てが「必ず変化」して行くのが現実界です。
良い事も続きませんが、悪い事も続きません
いや、自分はずっと悪い事だらけだと言う人が居ます。
その人には、現状の有り難さが見えないだけです。
見えない人は、幸福を味わう事も出来ません。

インドの聖者
ラーマクリシュナは、近くに出かけると家人に伝え
たまま、半日も帰って来ない事が頻繁にある人でした。
家族が探しに行くと、道端に咲く花の前で恍惚状態のまま
立ちすくんでいました。
この様な事が、ある時は繋がれた牛の前だったり、囲われた
ニワトリの前だったりもします。
家族が「どうしたの?」と聞くと、神様の美しさに見とれていた
と言いました。 万物全ての中に神性を観られれば、こんな
幸せな事はありません。
ほら、あなたの目前で怒っている人の中にも、神様が居るの
です。 言うことを聞かない憎たらしい時の子供の中にも、
神様が嬉々として居るのです。
どうして自分の心を痛める必要がありましょうか?

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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