伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

伊勢日記 9

2009-04-19 10:30:50 | Weblog
私が二十歳前半の学生の頃、中型バイクに乗り
「奈良県三輪山ー瀧原宮ー伊勢神宮外宮」
を経由する往復を、天啓を受けて繰り返していた時期が3年間
ほどありました。
日本の太陽信仰において、神界から転写された最重要の
太陽軌道ラインが2本あります。

1本目は、淡路島と伊勢神宮を結ぶ直線です。
この淡路伊勢ラインは、今回の日本文明が興隆した3千年間
を担当した神気の降りる道でした。
現実的には、このラインの中に在る奈良に政治の中枢が
発生し、今の日本文化が始まりました。 伊勢に昇った太陽
が淡路の方向に移動するライン上に、古代の太陽信仰の磐座
や信仰場が、宗教を問わず沢山造られました。
昭和の時代までが、この淡路伊勢ラインが機能する時代でし
た。平成からは神気の降りる太陽軌道のラインは、白山と伊勢
を結ぶ直線に切り替わっています。
太陽軌道は「天のライン」です。
地下のエナジーに関する「地のライン」は、まだ淡路伊勢間
に在ります・・・。

2本目の最重要な太陽軌道である、白山伊勢ラインが目覚め
始めています。
実は、1本目の淡路伊勢ラインが目覚める以前の時代は、
白山伊勢ラインが機能する時代でした。この時代は、長かっ
た様です。つまり、淡路伊勢ラインと白山伊勢ラインは、文明
ごとに主役の役割を交代して来たのです。
逆に言えば、先に「天のライン」の切り替えに応じて、文明の
興隆の内容が切り替わると言えます。
淡路伊勢ラインは物質世界の興隆に関係し、白山伊勢ライン
は精神世界の興隆に関係します。

今回20数年ぶりに
瀧原宮へと行きました。昭和時代の印象と
かなり変わっていました。
台風で巨木が減ったせいでしょうか、とてもスッキリとしてい
ました。昭和時代は、参道が木々により薄暗かったです。
昔は、神社の神域に木の精霊が沢山居られました。
淡路伊勢ライン上にある瀧原宮は、倭姫命が三輪山と伊勢を
往復する中継点として使用されました。
今でも太古の様相を思い出させる御宮です。
これからは「天のライン」の切り替えにより、静かに休憩する
時代に入る事でしょう。

今回の伊勢で印象的だった事は、「譲り合い」でした。
伊勢の古い街道や、海岸沿いの町中の道路は本当に狭かっ
たです。何処にでもある道路事情でしょうが、今回は何故か
特に印象に残りました。 何度も道の譲り合いをしました。
険しい山道も行きましたが、無傷で無事に終わりました。
これからの世界も狭い難所を行くが、最後には「譲り合い」の
心が国同士の間で起こり、無事に物事が進む暗示だと、平成
二十一年春の伊勢参拝での神意だと受け取りました。
無事に帰宅し、ゆっくり休めると思っていましたが・・・。 (続く)

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コメント (338)
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